背徳的 240827
2024/8/27
その感覚を初めて覚えたのは、『ベニスに死す(ルキノ・ヴィスコンティ監督)』を観たときではなかったか。美に憧れ、美に翻弄され、ついに美を失って(自分も失って)しまう主人公を、理解できなかったが感応してしまった。18歳前後のことだ。
私がいけばなを始めて、同門の学芸員を訪ねて高畠華宵大正ロマン館に行ったとき、館長が「爛れた美」という言葉をしきりに強調した際、私は「退廃的」という言葉で応戦したように思う。40歳頃のことだ。私は精神的な成長が遅かったので(最近、同級生と話をすることが多く、少年時代のことがよくわかってきた)、どうやら40歳の頃に第二次成長期を迎えたようだ。
しかし、アンチ・ジャイアンツの気質はかなり幼いころから持っていたようで、それがぐいぐい成長したのも40歳の頃だ。そして、マイナーに惹かれながらもメジャーを捨てられない自分の殻を脱ぎ、マイナーな立場を築きながらメジャーを演じる技を磨き始めた。
メジャーを良しとしながらマイナーを夢想するのと、マイナーでありながらメジャーを装うのと、どちらが背徳的だろうか。