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いけばな随想
diary

自分のための花 240902

2024/9/2

いけばなを誰に見せるのか、大きな問題だ。私以外に誰もいない時と場所でいけることもあり、その時は自分1人が主客の役割を入れ替えて問答を繰り返すことになる。

自分のことは自分ではよくわかっていないと言われるように、自分の花を自分で批評するのも難しい。どうあがいても玉井っぽいと言われるようなステレオタイプがあって、それを抜け出せないことについて自己批判することが多く、結局は堂々巡りに陥ってしまうのだ。

こういう行き詰まりは、歳を取るほど頻繁に起こる。新陳代謝が鈍り、血管も何もかもが詰まってしまうのだろう。この停滞状況を脱するためには、理屈に構っていてはいけないと感じる。当てずっぽうに銃を乱射していると、全く偶然にも1つの弾丸が思ってもいない的を撃ち抜いたりする。脳味噌に頼らず肉体の勝手な動きに賭けてみることで、閉塞状況を打開できるかもしれない。

肉体に沁み込んだ体験の記憶も、自分固有のものとして筋肉にへばりついているので、自分らしさの片鱗は、最後までなくなってしまうことはないだろう。1人で花と語りつついけるのも楽しい。

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