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いけばな随想
diary

自由花 240710

2024/7/11

自由というのは、政治的には、独裁的な絶対王政や様々な統制による圧政などからの解放という場合に使われる。個人的場面では、物理的な拘束や村社会の不文律からの自由、また、道具や技術を使いこなせない不自由からの脱却など、何らかの脱制約状態を自由と称する。

いけばなの流派によって、「自由花」と称するジャンルがある。これは、形式ばった型から解放されたいけばなという意味だ。習い事のはじめは、必ず真似事からのスタートであるから、習い事には全くの自由という前提はない。全くの自由が欲しい人は、他人から習ってはいけない。

草月には、自由花と呼ぶいけ方がない。なぜなら「花はいけたら人になる」というイメージを常に抱いているから、どんな「型」でいけたとしても、最後にはその人らしくなることを許しているのだ。逆にいえば、束縛が好きな人は束縛されたままいけばなをするのもいいし、習い方の選択も自由なのである。

だから、敢えて自由花と呼ぶ必要があるのかと思うが、それは伝統の年月が長い流派においては必要だったのだろうと、同じ日本民族の1人として感じる。

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