花器との出会い 231129
2023/11/29
アート作品は、鑑賞はしても使わない。一方、花器はもちろん使うためだけに買う。
微妙なのは、陶磁器のオブジェで、「花器として使えないかなー」という期待も込めて買うのだが、たいていは作品の存在感に負けて、使うことを諦めがちになる。
花器は、好きで買っても、花をいけようとするとうまくいかなかったり、逆に、こだわりなく買ったり、人から仕方なく譲り受けたりしたような花器は、花をいけようとすると調子よくいったりする。こじつけるようで恐縮ながら、好きなものだけ食べていると栄養が偏って成長が阻害されるから、嫌いなものも食べなさいという、栄養指導に似ていなくもない。間違いなく、嫌いなものも食べて人は大きくなる。
花木と花器の取り合わせは、本当に意外性に満ちている。いけばなを始めた頃は、鮮やかな黄や青の花器を、誰が何を好んで使うのだろうと不審だった。主役の花を生かすためには地味な色や形の花器がふさわしく、自己主張の強い花器は邪道だと思っていた。
しかし、花材と花器、両方ともが主役でいけばなとなる。今は、無限の取り合わせが楽しい。