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いけばな随想
diary

草月の多様性 250416

2025/4/17

 いけばなをやっているということが珍しいとされる時代になった。そうなると、いけばなをしている人は変わっている人たちとして一括りにされるかもしれない。
 しかし、わざわざ少数派の領域に住む人は何事にも意識的である人が多いから、むしろ誰もが別々の方向を向いていて、とても一括りになんかできないというのが私の見立てである。
 着ているもの、食べているもの、やっていること……、他人と少し違うなと見える人は、たいてい中身はもっと違う。時には奇をてらっていることがあるかもしれないが、たいていは地が出ているだけで無策である。無策なのにも関わらず、周りからは珍奇の目で見られてしまう。
 草月をやる人は、いけばなの伝統と造形の現代性の両極端を1つの作品にミックスさせようとする(先天的に、または偶然に出会ってしまった指導者の影響で後天的に)。このとき、いけばなの伝統の部分では他の流派と同じスタンスだが、問題は造形の現代性の部分で、これは時代による表現の流行にも左右されるが、何よりも人数分の性向が淀みなく表れ出て、多様性の証拠を示すのである。

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