解釈 250621
2025/6/21
いけばなの資料を束ねているファイルの表紙に、「解釈してはいけない」と書いたのは5年くらい前のことだ。
私は、他人のいけばなの純粋な鑑賞者でありたいのだが、いけばな教室を主宰しているからには、全く解釈しないで済ますことは契約違反のような気がして悩ましい。
美術館に行って絵を眺め、即座に「好き」「嫌い」と感じる作品もあるが、大抵は「気になるけど、(自分の気持ちが、すぐには)よくわからない」という具合で、感じるまでに相当時間のかかる場合が多いのだ。『プレバト』の夏井いつき先生の居合抜きのような即断コメントを見るにつけ、ああいう瞬発力が欲しいものだと羨む。つまり、瞬発力のない私が講釈を始めると、ああだこうだと屁理屈を喋ってみたり、却って分かりにくい比喩を用いたりして、聞く方が煙に巻かれてしまうのである。
表現の世界には、衝動がある。共感や直感的な喜びがある。他人の作品に対してもそこを掴むことが大事で、周りからじわじわ解釈していくというのは本質を掴み損ねることになる。そう思って、解釈するけど「解釈してはいけない」と書いた。