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いけばな随想
diary

象徴 231225

2023/12/25

 いけばなと呼ぶとき、それはいける行為と不可分だ。華道と呼ぶとき、それは人間を探究する哲学で、必ずしも目に見える行為と表現された姿かたちのみを指さない。華道によって哲学・美学を追究した成果を、いけばなというかたちで象徴させるという関係だ。いけばなは、華道という見えない住人(密儀)の住みかだ。
 私の宗教的信仰心は薄い。しかし、「1粒の米にも神様が宿る」というような表現を、人間と宇宙を結び付ける何らかの力が働いているという私の感覚は受け入れる。
 仏教におけるお経や、キリスト教における聖書は、その真実を伝え広めようとするテキストだと思うが、お経や聖書には隠喩や寓話など沢山の象徴的表現が含まれているため、論理的に理解できるものではない。
 いけばなのテキストも、華道の密儀をとりあえずわかりやすく示したもので、その深奥に行き着くためには、文言の向こう側に跳躍する能力が必要だと理解している。枝の角度や長さを示していても、それが植物の持つ「気」を捉えたものではない。かといって、テキストを無視すると、深奥世界への入口が見つからない。

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