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いけばな随想
diary

道草 240106

2024/1/6

 先日、道草を食って道の駅に寄った際、誰かが当たってサイドミラーが壊れた。道草という言葉も、道草を食うという表現も、ノスタルジックで好きだ。
 私が3歳のとき弟が生まれ、しばらくして長期入院することになった。彼に付き添って母も大阪へ行ってしまったので、私は田舎の祖母に預けられた。田舎なので、近所のほとんどの人が私を知ってくれたらしく、安心な環境のもと1人で歩いて保育園に通った。
 物心ついて確かめると、大した距離ではなく、角を1つ曲がれば真っすぐな一本道だ。途中に1軒、駄菓子屋があり、私はいつもそこを覗き込んで長く立っていたという。直接の記憶はないけれど、道草したかもというおぼろげな感覚が、人から聞いて想像した情景として残っている。
 華道は花を追究する「みち」で、「みち」であるならば華道も道草をすると楽しいのではないか。目的に縛られない遊びは、よりクリエイティブになれる。
 人間どうせ死ぬんだからと開き直ってしまったら、生きる証は無に帰す。それならば、どれだけ楽しく充実した道草をするか、華道においても当てはまると思う。

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