集団思考 250224
2025/2/24
友人や仲間がたくさん集まっている中で、大勢と異なる発言をするときは人々の顔色を伺ってしまう。この行動は私自身の性向で、周りの人々を眺めても同じような人が少なくないと感じる。同調しようとするお仲間がたくさんいらっしゃるのは安心だ。
他方、ちゃんと自分の意見や美学を持っていればいるほど他人の意見に耳を貸さずに自分の意見を声高に叫ぶ人と、逆に遠慮してしまう人とがいる。何かを評価しなければならないとき、それがたとえば華展会場は高額でも集客力の高いデパートにするか、集客力は低いが安価に借りられる公共的施設にするかを決めるとき、意見が拮抗していれば、なおさら神経質な私は遠慮して口をつぐむタイプだ。
自分に意見がない場合、賛否が拮抗している状況というのは不都合である。周りの意見に同調して大声を上げることができない。ぐずぐずしていると、自分が多数決のキーマンになってしまう危険性が高いからだ。
今日まで「全国くらしの器フェア」でいけばな展示があって、「このいけばなは素敵ですねえ」と同調を求められた私は、心にもなく同調してしまった。