「場」を読み込む 251105
2025/11/6
花いけバトルの花の扱いが粗雑過ぎる、という意見があった。いけばなの技術は、切る・曲げる・留めるから成り立っているが、花いけバトルは、切る暇もない・曲げている余裕もない・投げ込むだけできちんと留まっていない、と無い無い尽くしだ。しかし、5分間×何回戦かの時間、不特定多数の観客を飽きさせないで巻き込んでおくためには、それくらい吹っ切れないとだめだとも思う。
いけばなの「場」を掘り下げると、政治、経済、文化の背景があり、また、いけばな制作者の過去・現在・未来があるので、「場」は眼前の自然的空間としての性格と、歴史的、社会的な性格とを併せ持っている。つまり、「場」は一定しないで、組み合わせや関係が刻々と変わる「状況」であり、そこでの価値観さえも流動的だ。
そんな「場」にいけるのだから、花いけバトルの目的や期待される効果などを考えると、これを一概に否定できない。
世に草月が現れたとき、伝統ある各流派が驚いたり貶したり無視しただろうことが容易に想像できる。「場」の空気を読んで妥協するか、「場」の空気を変えるか、それが問題だ。