つくりものの花 250526
2025/5/26
つくりものには、いいものと良くないものとがある。同じ“つくりもの”でも、絵画の原画は本物と呼ばれて肯定されるが、大塚国際美術館の陶板による複製名画は偽物と否定されもする。生花でつくり上げたいけばなはいいが、工業製品の造花を使ういけばなはよくない。それでは、プリザーブドフラワーという“加工生花”、これは偽物なのだろうか?
いけばなでは、もともと「枯れもの」や「晒しもの(漂白花材)」、「着色花材」なども使われてきた。これらも、昔の華道家にとっては偽物だったかもしれない。私の思うところでは、本物と偽物の境界は高尚さで線引きされた。
ところがアートの世界では、アンディ・ウォーホールの作品(マリリン・モンローやキャンベル・トマトスープのプリントなど)には、高尚さは感じられない。むしろ威張り腐った高尚さを否定している。ずっと前から、キッチュさも芸術の価値の一端を担ってきたのだ。
さて、視野を空間に拡げてみる。部屋から建物へ。建物から都市へ。そこは既に高尚さとは無縁の、ビジョンも計画もない、造花が似合う俗生活のハリボテ空間だ。