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いけばな随想
diary

イメージの具体性 241104

2024/11/4

 これまで、言葉による表現ははっきりしていて、イメージはぼんやりしているというふうに感じてきた。しかし、改めて逆ではないかという気がする。
 言葉は実態を持っていないし、言語化すればするほど対象は抽象的な概念に遠ざかっていくように感じる。たとえば「伝統と現代性を併せ持った草月流」と聞いて、誰が「わかった」と納得するだろう。逆にイメージはといえば、絵に描けるように具体的なのだ。「草月のイメージ」というと、私のアタマにはたとえば勅使河原蒼風から霞、宏、茜という「代々の家元の顔」が浮かんでくる。極めて具象的なのである。
 生活スタイルが変わると、その生活を説明していた語句も変わる。昔はいけばなと聞くと、実際にいけている様子が巷に溢れていたから、「お茶と一緒に習っていたアレ」ね、とすぐイメージできたかもしれないが、いまの若者で、いけばなと聞いて「アレ」ね、とすぐイメージできる人がどれだけいるだろうか。
 イメージは、生身の体験から生まれるものだ。言葉でわかったフリをしても、何もイメージできないという事象がとても多い現代なのだ。

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