仕事と誇り 251206
2025/12/6
高校生と接して感じることがある。どこへ進学するのか、どこへ就職するのか、その進路を選択するにあたって何をどこまで承知しているのかわからないし、どういう誇りをもって志願するのか伝わってこないのである。仮に大人の歪んだ善意によって、現時点での相対的な能力・成績等の外的要因を基に、若い人たちの意志的なやる気が望んでいない方向に“矯正”されることがあれば悲しいことだ。
自分も専門学校で18年間進路指導をしてきたし、自分自身が5つも職業を変えた経験から、人が進路を決めてそれを続ける最大の理由は、そこに身を置く誇りがあるからだと思ってきた。何らかの理由で誇りが失われたとき、人は転身する。
いけばなには、枝を矯める(ためる=曲げるの意)という言葉がある。枝の表情が良くないと思ったとき、その人の好ましい枝の姿に曲げることを言う。下手に曲げられたら、枝にとっては「放っといてくれ!」という大迷惑な話である。
私が「いけばなでは暮らしていけません」と笑って言えるのは、そこに誇りを感じているからで、何気なくついでにやっているからではない。