単純さとシンプルさ 251121
2025/11/22
草月テキストの4‐8「単純化の極」は、哲学というか禅というか、テキスト曰く「それ以上省略すると、その植物素材ではなくなってしまう、いけばなではなくなってしまう、というぎりぎりまで……ということは、極限まで単純化されたその作品は、逆にすべてを含んでいなければならない……」。
ここで言う単純化は、ある方向に向かって作業を徹底しなければ成り立たない。簡素化とは違うし、シンプルであることともまた違う。昨日お会いした葉山有樹氏は、筆で極細線を描くことを徹底されていた。日々飽くことなく線を引き続ける。展覧会場の片隅でも。で、私は何を徹底するのか自問して、行き詰まる。
葉山氏の線引きは50年で、片や私はいけばな25年(しかも本業ではなく)。半分の時間で彼に匹敵するくらいの徹底行動をするにも、時間が足りない。この歳になったからには、時間の長さではなく、切り口や軸足の置き方にこだわるしかないのだろう。
葉山氏の陶磁器も、弦楽器のストラディヴァリウスも、唯一無二の哲学的単純さと緻密さで何百年も魅力を保つ。いけばなには何が残せるかな。