時を経て 250924
2025/9/24
効率化を求める気持ちは、わかる。寿命には限りがあるのだから、少しでも多くを見たり聞いたりしたいし、やってもみたい。しかし急ぐと見えないものがある。一瞬見えた気がして見失うものも多い。
私の庭先には流木がいくつも転がっていて、季節に数回あっちへ持って行きこっちへ動かすというようなことをして、朽ちていき欠けてゆくことを繰り返しながら姿を保っている。昨年は、いちばん大きな流木に蟻が巣作りしたのを見つけ、日中の焼けたアスファルトの熱と夜の水攻めを繰り返して、どこかへ移住してもらった。ゆっくり過ごしていれば、それはそれでいろいろなものが見える。
存在感が大きいため使い辛くはあるが、そんな流木のような年月を経た“枯れもの”を、新鮮な切り花と共に使うことがある。しかし花材はともかく、出来上がったいけばな作品は、経年変化を楽しむことができない儚さだ。
人を写した写真は何十年経っても生々しさが蘇るのに、いけばなの写真はそれほど心ときめかない。だから最近は、作品だけではなく、制作者のにこやかな顏も入れたスナップ写真を撮るようにした。