時間といけばな 250919
2025/9/19
もし、散文的ないけばながあったら、豊かな時間を愉しむという鑑賞のしかたもできるだろう。時間を愉しめることは、急いで到着しなければならない約束がないという幸せと同じだ。
ただ、言葉は多義的だから、俳句のような短詩形であっても時間をかけて咀嚼する深みがあるが、いけばなの鑑賞は難しい。見たことのある花が使われ、名前も知っている花だということになると、その具象的な花しか目に入らない。また、一切名前を知らない花だとすれば、抽象絵画を見て「わからん」と呟くような対象となる。どちらに転んでも、5秒くらい眺めて「ふん」と言って立ち去られる。
鑑賞者は、作者に対する思いやりなどないから、作者としては、無理矢理にでも目を引く装いを取らざるを得ない。展覧会場を舞台とみなし、他の作品を共演者とみなし、自分が最も輝ける主役として出演俳優の中で最も強い個性を強調することで、“冷酷な鑑賞者”や“無関心な鑑賞者”の目を1分でも2分でも長く自分に向けてもらいたい。
アイディアや演出に走り過ぎて“王道”を忘れるのは、青二才の新米俳優の愚行であるが。