言葉にならない 251219
2025/12/21
絵画作品に息を呑むことが何度かあった。青年期までは世の中にインターネットがなかったから、その絵のことや画家のことをよく知るためには、図書館か書店に行って画集を立ち読みするしかなかった。余程のときは、勢いで買う。そして、解説の上手なことに舌を巻くのである。
作品を見たときの気持ちを言葉にするのは難しい。感動した丸ごと1つの全体を細かく切り刻んで言語化しても、それはもう1枚のシャツではなくバラバラの端切れのようでしかない。言葉になる前のブクブク泡立つような心の動きは、上手い言葉に置き換えようにも自分の言葉にならず、他人の言葉のように胡散臭い。
いけばなは、絵画に比べてとても感覚的に制作される。だから尚更、いけばな作品を見た印象は、言葉で明確に表そうと思えば思うほど核心から遠ざかって行くようだ。いけばなの作品集に、人物のプロフィールや制作の背景が書いてあっても、作品そのものについての解説がないのもそういうことであろう。
いけばなは、言葉以前のものである。制作前や制作後には言葉があったとしても、作品に寄り添う言葉はない。