AI表現 260103
2026/1/3
終活として、去年から録画していた映画を見直している。1970年代は、客の「入れ替え無し」、「3本立て」や「オールナイト上映」も多く、1,000円で長時間楽しめた。オールナイトだと思い込んで映画館に入り、朝4時に徳島市内の冷たい町に放り出されたこともある。
今日は、『007』の第6作から第8作を3本立てで見ようと思ったのに、第7作「ダイヤモンドは永遠に」の途中で何度も眠たくなった。その度に巻き戻して見るから、2時間の映画を見るのに2時間半もかかった。
『007』シリーズは、ストーリーも演出も単純なので、途中で眠ってしまっても全体が理解できなくなるということはない。文字で書かれた脚本を映像化するというのは、たとえば大爆発やカーチェイスなどはとても大変なことだったし、映像が見る側の私の想像力を超えることが稀だったからだ。こんにちでは、SFXやAIで何でも映像化できる。むしろ、非現実的な映像を言語化することが難しいくらいだ。
思想や言葉と視覚表現との間に、緊密な関係が見えるか、解離が見えるか、最近のAIいけばなを見ても面白さの本質を考えさせられる。