集中と弛緩 250705
2025/7/5
いけばなの生徒さんの甥御が水泳選手である。そして、十分の1秒を縮めようとして力みが出てしまい、大会で1位を獲ることはできても目標タイムを出せないでいるらしい。
昨晩、日本陸上選手権をテレビで見た。100m走は緊張と集中のうちに競技が始まり終わるように見えるが、選手には果たして緊張を緩めるタイミングがあるのだろうか。そして、アスリートが極めようとする1秒は、アーチストにとっては何だろう。
日本画家が襖絵を描いている動画を見た。最初のひと筆を紙の上に置く瞬間、見ている私が息を呑む。ぐっと唾を呑み、顔がスマホ画面にせり出して足指に力が入る。画家本人はサラサラサラと軽やかに筆を運ぶ。幅が30cmもある刷毛に持ち替え、「えっ、そんな!」と声を上げるほどの大胆さと脱力感で、刷毛をスイーッと1m以上も走らせる。
私がいけばなをする時、他人の目があると緊張を緩めることができない。嫌な汗をかきながら力んでいる。玄人という言葉の「玄」、幽玄の「玄」は、私がそこに至りたい境地で、深みはあるのに重さがない感じ。充実していて垢抜けた感じ。
日々の景色 250704
2025/7/4
昨日は、松山商業高校華道部の活動日だった。稽古には草月流のテキストを使う。各カリキュラムには、立面図(正面図)と平面図が示されていて、花材の長さ、角度がわかるようになっている。立面図に示される花材の角度は、床面を基準(0度)とした立ち上がりの角度である。平面図に示されるのは、正面を基準(0度)として奥に向けて広げる角度である。
華道部員たちと付き合ってきて、見えてきたことがある。人間は自分の身長の範囲で物を見ることが多いからか、立面図は得意でも真上から見下ろす平面図は苦手だということ。
この2つの図面は、家を建てる際に施主が請負業者と相談するときにも必要で、図面から実物を想像する能力がなければ打合せが進みにくい。私は美術部員として、演劇スタッフとして、デザイナーとしてのキャリアが長かったから、3次元空間の把握力がまあまあ高くなったのだろう。
鳥が見る景色とトンボが見る景色、魚が見る景色と人間が見る景色、それぞれ大きく違うことは知っていたけれど、同じ人間同士でも、きっと景色の見方がそれぞれ異なっているのだ。大いに。
誰かと何かを 250703
2025/7/4
販売促進(PR)の仕事を請け負う企画コンペでは、競うための人材調達として、デザイナーやコピーライター、カメラマン等のプロフェッショナルの獲り合いに始まり、ライバル社の過去の企画や他社の先進的デザインの研究や模倣など、勝つために何度も徹夜した。ビジネス世界での競争は、楽しかったけれど消耗戦であった。
人間の経験を集積して賢いAIは、人間特有の感情的な弱味がないから、競争的共創も共創的競争もやってしまえるだろう。だが、私たちは一世代分の経験しかない人間的人間なので、誰かと何かをやると競争か共創のどちらかに傾きがちだ。
隠居仕事では、誰かと何かを競うことが第一義的ではない。だから共創ができるはずだ。そして、共創には世界観や物語の共有が必要で、その骨格がしっかりしていると、何を何円でやるのかという枝葉の利害関係に左右されない。
暮らしの中にいけばながある美しい世界観や物語を紡ぎたいと思う。必要ならば「いけばなの効用」などという美しくない武器を準備して、具体的に何に何円で協力していただけるのか、説き伏せることも厭わない。
仕事は楽しい 250702
2025/7/4
時代劇では、封建制度下の士農工商の身分が明確である。職業的な可能性を拡げる挑戦を、昔の人々が実際に思いつかなかったのか諦めていたのか、自己実現の欲求を持っていたのかどうなのか興味がある。
現代は、仕事である以上、成果だ評価だというものが付き纏ってくる。そのように宿命づけられた仕事を通した自己実現が、若いうちは人生のテーマだったが、そういう仕事を退職した今は、何となく江戸時代の隠居みたいな自分の立場を感じている。
社会生活をしている以上、最低限の報連相や時間管理の作業はなくならない。しかし、世俗的な意味での成功目標から解き放たれ、何月何日までに何円の利益を上げなければならないというノルマを捨て去って、それこそ悠々自適な立場になっているのかしらん? と半分夢の中で過ごしているような怠けっぷりだ。
今日のいけばなの稽古に、1年ぶりに来てくれた人がいる。自分がどうでも良くなってくると、他人に対しても、せっつかなくて済む。会ってみると1ヶ月ぶりくらいの感覚で、特に「何しよったん?」と聞く必要も感じず、いけばなをただ楽しめる。
ビジネスは厳しい 250701
2025/7/1
辞書的な意味でなく、私の感覚で仕事とビジネスを比較する。背景には、仕事の手は抜きたくないが抜けることがあるという問題意識があった。
いけばなの仕事を振り返る時、数日後の段階での自己採点は90~110点くらいで、数週間後には70~90点、数か月後には50~70点に下がり、1年後にはもう欠点の気分だ。
私は3年前までビジネスマンだった。ビジネスの評価は自己採点ではなく、売上や利益の明白な数字がモノを言う。だから数字が上がっていれば仕事内容はあまり問われなかったし、私自身に不満があってもそれは搔き消された。つまり、ビジネス上の成功は、必ずしも自分自身の仕事の満足と相関関係ではない。ビジネスでは、自分も含めた諸条件がうまく組み合わさったら理想的な成果を得られて、それは、ひとり私だけの仕事ではなく、仲間の仕事が積み重なり連携し合って「私たち」の評価になり、その評価は時間を経ても基本的に変わらない。
ビジネスにおける自身の評価は、物差しの目盛が変わるたびにコロコロ変わる。成長している間、自己評価は下がり続けるのも当然だろう。