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或々日記
diary

元受講生の活躍

2020/10/25

 先日、旧姓Oさんから連絡がきて、私のこの中途半端なHPを
少しマシなものにしてみようという提案であった。
彼女はいま在宅ワークでそんなことをするトレーニング中で、
このHPで試行錯誤してみてくれるらしい。ありがたいことである。

ドイツで活躍中のInk Art JapanのOさんといい、皆すばらしい。

 

手の仕事だと思い知る

2020/8/16

教室の庭は、何本かの大きな木が生えている。
夏が来る前に隣家の方向に伸びそうな枝は切っておいたのに、
もう育ち過ぎていて、隣家の屋根をこすってしまいそうだ。
先週、左手親指の腱鞘炎で病院へ行った。グラスを持つだけで痛い。

その1ヵ所をかばうことで、からだ全体の動きがぎこちなくなる。
だから、いけばなもイカしていない。

足りないぐらいがちょうどいい

2020/7/10

だいぶ手慣れてきたと思う。この辺に落とし穴が待っている。
花が思うような姿勢を取ってくれない段階を越えると
花を征服できた気になり、自分の技術にうっかり慢心する。
そして「オレサマ」が出現し、これ見よがしでおこがましい作品に仕上がる。
過ぎたるは及ばざるがごとし!

パウル・クレー様(2)

2020/7/2

 いけばなは、いけた枝や花によって(視覚的に空虚な)空間も生成する。

いけた途端に作品として生を受け、同時に枯れ始めるという点で、

いけばなは時間的に変化するアートでもある。このいけばなの2つの面を

私に感づかせてくれたのは、パウル・クレーの次の言葉だ。

 

 芸術というものは、見えるものをそっくり写し取るのではなく、

見えないものを見えるように表現するものだ

パウル・クレー様(1)

2020/7/1

 私は学生時代に美術部や演劇サークルに所属して、絵が好きだった。

いけばなを始めてしばらくのこと、パウル・クレーの次の言葉で

私はいけばなに親和感を覚え、継続するモチベーションを得たのであった。

 

 自然に近づき、自然に学び、自然をさかのぼり、自然に抱かれ、そして

自然と訣別することによって、自分自身の自然を展開できる

講師の事