元受講生の活躍
先日、旧姓Oさんから連絡がきて、私のこの中途半端なHPを
少しマシなものにしてみようという提案であった。
彼女はいま在宅ワークでそんなことをするトレーニング中で、
このHPで試行錯誤してみてくれるらしい。ありがたいことである。
ドイツで活躍中のInk Art JapanのOさんといい、皆すばらしい。
先日、旧姓Oさんから連絡がきて、私のこの中途半端なHPを
少しマシなものにしてみようという提案であった。
彼女はいま在宅ワークでそんなことをするトレーニング中で、
このHPで試行錯誤してみてくれるらしい。ありがたいことである。
ドイツで活躍中のInk Art JapanのOさんといい、皆すばらしい。
教室の庭は、何本かの大きな木が生えている。
夏が来る前に隣家の方向に伸びそうな枝は切っておいたのに、
もう育ち過ぎていて、隣家の屋根をこすってしまいそうだ。
先週、左手親指の腱鞘炎で病院へ行った。グラスを持つだけで痛い。
その1ヵ所をかばうことで、からだ全体の動きがぎこちなくなる。
だから、いけばなもイカしていない。
だいぶ手慣れてきたと思う。この辺に落とし穴が待っている。
花が思うような姿勢を取ってくれない段階を越えると
花を征服できた気になり、自分の技術にうっかり慢心する。
そして「オレサマ」が出現し、これ見よがしでおこがましい作品に仕上がる。
過ぎたるは及ばざるがごとし!
いけばなは、いけた枝や花によって(視覚的に空虚な)空間も生成する。
いけた途端に作品として生を受け、同時に枯れ始めるという点で、
いけばなは時間的に変化するアートでもある。このいけばなの2つの面を
私に感づかせてくれたのは、パウル・クレーの次の言葉だ。
芸術というものは、見えるものをそっくり写し取るのではなく、
見えないものを見えるように表現するものだ
私は学生時代に美術部や演劇サークルに所属して、絵が好きだった。
いけばなを始めてしばらくのこと、パウル・クレーの次の言葉で
私はいけばなに親和感を覚え、継続するモチベーションを得たのであった。
自然に近づき、自然に学び、自然をさかのぼり、自然に抱かれ、そして
自然と訣別することによって、自分自身の自然を展開できる