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いけばな随想
diary

暗闇の花 240623

2024/6/24

華道の歴史は室町時代に遡る。ひとまず西暦1500年頃としておく。日本で電力供給が始まったのが1900年頃なので、いけばな成立後400年くらいは日本の夜は暗かった。いけばなは、昼と夜でまるで違った印象だったと想像できる。

私はショットバーにいけさせてもらっていて、そこは現代で最も暗い空間の代表だ。スマホの性能が良くなったとはいえ、実際に暗い場所で三脚も使わず撮影した写真はエッジが立っていない。肉眼では魅力的に見えても(自画自賛!)、写真に撮ると非常に画質が悪くて嫌だ。

インスタグラムに作品を投稿するには、もっと写真としての完成度を高めたいところだが、フォトグラファーでない私が努力する範囲というものがあるように思う。私が目指さなくてはいけないのは、客のいる実際の店舗空間でいかに完成度を高めるかということで、記録写真の出来映えではない。

ファインアートは、環境に関係なく作品の独立性が担保されているかもしれない。いけばなも作品として展覧会場に展示されてもいいが、いけばな本来の存在価値は、現場空間との幸せな相互関係である。

いけばなの文化 240622

2024/6/23

チンパンジーの世界には、文化の差があるという(『想像するちから』松沢哲郎著)。石器を使ってヤシの種を割ってその核を食べるグループがいれば、シロアリの塚(巣)の穴に細い棒を突っ込んで“シロアリ釣り”をするグループもいたりする。

日本人はいけばなをするが、いけばなをしない民族もいる。文化の差は何かといえば、想像力を働かせる関心の対象が違うということ。動物や花の呼び名を子供に付ける民族と表意文字で名前を付ける民族。魚の干物づくりに長けた民族と肉でソーセージをつくることに長けた民族。

いけばなをしてきた日本人は、いけばなのどういうところに関心を寄せ、想像力を逞しくしてきたのだろうか。縁側という緩衝地帯を挟んで、日本人は外界の花を室内に取り込んできた。同時に自分の心や感覚を外に泳がせて、枯山水をつくったり築山を盛ったりした。

ツバメが飛んでくると春の訪れを感じ取り、初ガツオで初夏を感じ、ウナギを食べて夏を迎える。食べ物に関心が向く私だが、要は、日本人は季節と旬の物の関連付けが大好きなのだ。季節と花の関連付けも同じだろう。

狂気 240621

2024/6/22

1973年に、ロックバンド・ピンクフロイドがアルバム『狂気(原題:The Dark Side of the Moon)』を発表した。1975年には『炎』が発表され、その収録曲の中には「Shine On You Crazy Diamond」があった。狂気からCrazyへと彼らは展開したのだった。

私は、1976年に近所のレコード屋で偶然『炎』をジャケット買いして、父母や弟妹に変な顔をされながら、毎日「Shine On You Crazy Diamond」の歌と声にうっとりしていた。翌年『狂気』を買い、17歳の私は完全に打ちのめされた。人生で初めて、狂気への羨望のような熱い気分を味わった。

狂気というのは、本当に狂っている人の思いや行為に対しては使わない。常識的で普通と思われている人の異常な言動にこそ、狂気という表現はリアリティがこもる。計算しつつ壊れていくような危なさが狂気だ。

勅使河原蒼風のいけばなには、鬼気迫る狂気が宿っている。常識もあり、構想力も交渉力もあって創造力もある人の、計画的な狂気が感じられる。私には、狂気を振る舞うだけの突破力がない。狂気はこっそり持っているのだけれど、世間体が気になって勇気が出せないのだ。

言葉 240620

2024/6/20

いけばなの制作気分を伝えようとすると、言葉に頼る。言葉を使わなくても、植物の葉や花で意が伝わってほしいがそれは難しいということで、人々は「言の葉」を用いることにした。

しかし、馬や鹿は、「言の葉」を用いずにコミュニケーションをとる。彼らは言葉を使わなくてもコミュニケーションがとれるのに、人間が言葉を使わないとコミュニケーションがとれないとは、馬・鹿以下か?

私は猫を飼っている。前のオス猫に比べて、今のメス猫は愛想がない。しかし、3歳になって、だいぶんコミュニケーションがとれるようになった(と勝手に思っている)。見つめると見つめ返してくれるようになった。毛を梳くために彼女の体を左に倒すと、抵抗なく横になる。右に倒すと、これもすんなり横になる。しかし2分間が限度だ。それをこちらも分かっているから、彼女が暴れる前に解放する。彼女のことが十分に分かっていることを、私以外の人は理解してくれないが。

いけばなを見て、分かったような顔をしてくれる人に会えると嬉しい。とりあえず「わからん」と首をひねる人に出会うとすごく悲しい。

小さな大事 240619

2024/6/20

物事の優先順位を間違えると、人生の岐路に立たされるような大問題を引き起こす。職業を4回も変えた私には、ほかにもたくさんの岐路があった。優先順位が一番高いものには労力の大半を振り向けるべきだが、思うようには振る舞えなかった。

優先順位が高いはずなのに、それをぞんざいに扱ってしまう典型事例は浮気である。私はそのような典型的な失敗を繰り返してきた。いけばなの先輩に対する敬意においてもだし、家元に対してどれだけ敬意を表せているか心もとない。

そんな大きい事例ばかりではない。花鋏は、いけばなをする者にとって優先順位一番の道具である。それを私はぞんざいに扱ってきたことについても、非常に気分が重い。あらゆるアスリートは、シューズなど自分の道具に細心の注意を払う。そしてまた、アスリートは身体のケアにも余念がない。

私はアスリートのように鋏を大切にしなかったし、自分の腱鞘炎もほったらかしにしてきた。大小に関わらず、大事にすべきものを大事にするという当たり前のことが、すべて結果に表れるという恐ろしさを放置してはならないのであった。

講師の事