ダンディー 240529
2024/6/2
1980年頃だろうか。学生が学生運動やヒッピーなどの文化にくるりと背を向けて、シティボーイやダンディーを意識し始めたのは。
その頃の私の本棚(酒屋の店先から盗んできた瓶ビールのケース)の一角には、吉行淳之介や筒井康隆の文庫本に混じって、『ルパン三世』(モンキー・パンチ)や『ゴルゴ13』(さいとう・たかを)なども並んでいたような気がする。学生時代の4年間、ベッドもビールケースだった。
ビールケースを盗んできては、自室のあらゆる家具として使うことには、一種の気取りがあった。金がない学生を気取っていた。アルバイトに明け暮れていたから、生活費がないわけではなかったが、レコードと本を買い、映画と演劇を見て明け方まで酒を飲むことに金は使った。そのかわり、食事は3合飯にマーガリンと胡麻塩をかけて食べていたのは、気取り以外の何ものでもない。
あれから40年も経ったのに、今でも気取って生きている。気取っていないように見せかけて気取っている。私が表現したいいけばなも、気取らないことを気取るダンディーないけばな、そうなんだ、そう思う。
進歩 240528
2024/6/2
技術の進歩によって、生活の利便性がどんどん高まって現在がある。便利な機器や道具を敢えて活用しないなんてナンセンスだという見方が当然ある。
また、技術が進歩したと感じられやすいものは、衣食住など人間生活に最も深く関わっているジャンルである。全国民が毎日のようにトライ&エラーを繰り返すから、改善と進歩のスピードがますます速くなる。
しかし、利便性という楽な道を選ぶことは、とりもなおさず高速進歩の道を選ぶことでもある。便利さを享受するためには、右へ行ったり左へ寄ったりせず、その川の本流に逆らわないことだ。どっぷりと浸かって流されている限り、溺れることもない。偏屈な私は、川の流れにしろ海の潮流にしろ、それに逆らうかのように自分の力で漕ぐことに満足を見出すタイプなので、時に溺れかけたり思わぬ方へ流されたりする。
スローライフの象徴的なたしなみだと思ってきたいけばなでも、近頃は物流の進歩によって遠い国から花がやってくる。いけることを大切にしたいのだが、それを撮影してSNSに投稿することに労力を使う自分が、ちょっぴり悲しい。
もう一押し 240527
2024/6/1
若い頃は徹夜も大好きだった。30歳代は、まだ半徹夜を連続でこなすことができた。明日の仕事に差し支えるというような不安はなく、納期を守るというよりも、もっと完成度の高い成果を実現することに妥協したくなかった。クライアントのためというより、クライアントをダシにして自分が描きたいゴールを完成させたかった。
しかし、実力・実績ともに足りないし、金力や人脈もないから、やれることといえば無我夢中で勉強するか、あらゆる会合や飲み会に出掛けてアピールするしかなかった。
いま、まだまだ自己犠牲の境地には至らないけれど、自分だけがよりよく生きたい狭い視点から、自分が生きやすい環境を整えたいという広い視野でゴールイメージをを描けるようになった。いけばなについても、自分が自分のいけばなをすることと同じくらいの気持ちで、高校生が華道部の活動に対してやる気を出せる環境をつくりたいということを考えている。
この態度が生まれたのは、ひとつには気力と体力の衰えがある。もう一押しの頑張りが利かないために、自分のもう一押しを他人に委ねたいのであった。
綺麗を超える 240526
2024/5/30
人間は、綺麗なだけではそれでお仕舞い。若々しさや皮1枚の美しさだけでなく、人生で何に眼差しを注いできたか、どんな失敗や後悔にさいなまれてきたか、それらが深みのある美しさをまとうために必要な経験である。
花はそれ自体が風雨や日照りに遭い、虫や鳥にも痛めつけられて育ってきたから、みな強くて美しい。虫食いの葉っぱですら美しい。散りかけたり枯れた姿はまた別格に美しい。それを切り花にして人間がいけばなをする。綺麗なだけの人間が綺麗なだけのいけばなをすると、せっかくの花の魅力や価値を減じてしまうから、私はそうでないいけばなをしなくてはならない。
強く美しいとはいえ、花は思いがけなく頼りないはかなさも持っているし、逆に私が翻弄される猛々しさを持っていたりもする。そんな数限りない性格と付き合っていくために、私はもっと積極的に「苦」や「労」を背負わなければならないのだろうか。これまでの経験では足りないのだろうか。
綺麗であることはいけばなとして大事な要素であり、それを超える何かを探すことはいけばなをする人の大事な資質だと思う。
負のいけばな 240525
2024/5/29
中学生のとき、人造石を彫ってオルゴール箱を作った。漠然とトルコ風をイメージして、水色とサーモンピンクで箱を塗った。我ながら良い出来映えが嬉しくて、蓋を開けてはオルゴールを鳴らした。裸でむき出しのオルゴールの小さな機械が、厚みのある秘密めいた箱に収まっているアンバランスな組み合わせが、侵し難く大切に感じられた。私が「蓋物好き」になったのはそれがきっかけだ。以降、香合や文箱などが宝物である。
オルゴール箱からは音が出るし、竜宮城の玉手箱からは煙が出る。しかし、私の持っている香合や文箱のほとんどに中身が入っていない。空であり、無である。私が私淑している松岡正剛さんの言葉を借りればウツロである。
空や無は、充足感に対する不足感やマイナスの財産である負債にも通じる。そして、空や無がゼロであるのに対して、不や負はゼロ以下のマイナスなので空や無よりもウツロ度合いが高い。マイナス空間の入れ物は、蓋を開けたとたんに外から何かを吸引する。
マイナス箱には命が吸い取られるかもしれない。そんな負空間を持つ危ないいけばなをつくってみたい。