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いけばな随想
diary

言葉 240620

2024/6/20

いけばなの制作気分を伝えようとすると、言葉に頼る。言葉を使わなくても、植物の葉や花で意が伝わってほしいがそれは難しいということで、人々は「言の葉」を用いることにした。

しかし、馬や鹿は、「言の葉」を用いずにコミュニケーションをとる。彼らは言葉を使わなくてもコミュニケーションがとれるのに、人間が言葉を使わないとコミュニケーションがとれないとは、馬・鹿以下か?

私は猫を飼っている。前のオス猫に比べて、今のメス猫は愛想がない。しかし、3歳になって、だいぶんコミュニケーションがとれるようになった(と勝手に思っている)。見つめると見つめ返してくれるようになった。毛を梳くために彼女の体を左に倒すと、抵抗なく横になる。右に倒すと、これもすんなり横になる。しかし2分間が限度だ。それをこちらも分かっているから、彼女が暴れる前に解放する。彼女のことが十分に分かっていることを、私以外の人は理解してくれないが。

いけばなを見て、分かったような顔をしてくれる人に会えると嬉しい。とりあえず「わからん」と首をひねる人に出会うとすごく悲しい。

小さな大事 240619

2024/6/20

物事の優先順位を間違えると、人生の岐路に立たされるような大問題を引き起こす。職業を4回も変えた私には、ほかにもたくさんの岐路があった。優先順位が一番高いものには労力の大半を振り向けるべきだが、思うようには振る舞えなかった。

優先順位が高いはずなのに、それをぞんざいに扱ってしまう典型事例は浮気である。私はそのような典型的な失敗を繰り返してきた。いけばなの先輩に対する敬意においてもだし、家元に対してどれだけ敬意を表せているか心もとない。

そんな大きい事例ばかりではない。花鋏は、いけばなをする者にとって優先順位一番の道具である。それを私はぞんざいに扱ってきたことについても、非常に気分が重い。あらゆるアスリートは、シューズなど自分の道具に細心の注意を払う。そしてまた、アスリートは身体のケアにも余念がない。

私はアスリートのように鋏を大切にしなかったし、自分の腱鞘炎もほったらかしにしてきた。大小に関わらず、大事にすべきものを大事にするという当たり前のことが、すべて結果に表れるという恐ろしさを放置してはならないのであった。

古さと良さ 240618

2024/6/18

錆びる鉄の鋏の方が、錆びないステンレスの鋏よりも愛着が湧くという話の続きだ。

それでは、誰が使ったかわからない錆びた鋏と、祖母が使っていたことがはっきりしている錆びた鋏は、どちらが自分にとって価値が高いかというと後者である。

ところで、私のいけばな教室では現金精算をお願いしており、釣銭のために、より新しい硬貨になるよう日々入れ替えながら貯めている。汚れが沈着した100円玉も、真新しい100円玉も、その100円の価値は同じなのだが、汚い方は94円、綺麗な方は106円くらいの開きが実感としてある。去年のある時、私は手持ちコインを全部洗剤で洗ったくらいだ。私が初めて海外旅行に行った時、現地の紙幣の汚さに辟易したことを思い出す。あまりに汚過ぎて、親指と人さし指とでぶら下げるようにつまんだものである。

欠けた花器をそのまま使うか金継ぎして使うか、趣味の分かれる所だが、私は金継ぎができないという理由から、欠けたまま使うしかない。いま日本の金継ぎが世界的に注目されているようで、私も良いとは思うが、できれば銀の方が好みに合う。

落とし穴 240617

2024/6/17

花鋏を選ぶ基準がわからない。ステンレス製は錆びにくく切れ味がへたれないメリットがあるようだ。で、買った。確かに錆びにくい。確かに切れ味も悪くなりにくく感じる。問題は全くないのだが、問題はこの「問題がない」ということかもしれない。

私のマイカー歴は、友人から5万円で買った三菱ランサーから始まる。2台目が喫茶店で顏なじみの人から20万円で買い受けたトヨタカムリ。次が正規ディーラーで中古のトヨタカローラ50万円。次が吉田町のマツダの販売店から中古のフォードハッチバック45万円。

趣味がカヌー(カヤック)だったこともあり、車の天井にカヌーを載せるし、しかも海カヌーを運ぶと潮水が滴るため、確実に車体が錆びるのだ。トヨタ車は、走行上の問題はなかったが、カヌーを2艇載せて中国自動車道を山口までカローラで往復した際、カヌーが受ける風圧で天井が沈み、前席ドアが押し広げられた。車体を軽くする工夫が強靭さを失わせた。フォードは骨組みが無骨に重いため、ルーフレールを取り付けて物を運ぶには良かった。

車でも鋏でも人でも問題児に愛着が湧く?

私の鋏 240616

2024/6/17

いけばなを24年続けていると、花鋏も何本か溜まった。最初の1本は、祖母が使っていたであろう錆びた鋏で、実家の押入れの奥で見つけた。

2本目はホームセンターで買った。2千円以下の安物を500円で研ぎに出す気になれなくて、ヤスリの棒を買い自己流で研いでいたが、綺麗に研げていない鋏を人目にさらすのが恥ずかしく、それ以降も2年に1度いけばな展があるたびにホームセンターで買い足した。

いちばん古くなった鋏は、庭仕事用に格下げする。時に土を掘って庭木の根っこを切るので、小石を噛んで刃が欠ける。そうすると、2番目に古かった鋏の出番である。

さて、次第に師範の格が上がり、数年前、昇格試験などで家元の目に留まる可能性が出てきた。その頃は土佐打ち刃物のちゃんとした鋏を使うようにはなっていたが、そろそろ草月のロゴ入り鋏を買わなくてはなるまい。

しかし、鋏の手入れが苦手なことをわかっているから、最高の鋏を買うのはまだお預けだ。草月流の「流」(松竹梅の「梅」に相当)の鋏を買った。その鋏で直近2回の昇格試験を受け、その後専門の研ぎ屋に出した。

講師の事