いけばなの見方 240114
2024/1/15
いけばな展の会場で、私はできるだけ1点か2点に目を付ける。多くても4点までに絞る。私の目線は、それらの作品に注がれて、記憶の中の作品と見比べられる。記憶の中の作品がいくつあるのか、自分でもわからない。しかし、目の前の作品に触発されて、記憶の倉庫から、ベンチマークとなっている作品像が立ち上ってくる。
そのとき、「いけばな」の領域内の作品と見比べることで、いけばなの世界により深く入っていくこともあれば、領域外の彫刻やインスタレーションを思い浮かべて、「いけばな」の核心を離れ、目前の作品にすら背を向けてしまうような見方をすることもある。
内に向かう見方をしているとき、私は目で見ていながら、枝葉のしなりや傾きのつくり方を自分の手でトレースするように、いわば手で見ている。作家の創作精神への共感が膨らむのだ。
外に向かう見方をするときは、目で見ていながら、その作品が置かれた部屋全体のことや、作品間の距離なども気になりつつ、未来のいけばな展にまで心が行ってしまう。おこがましくも、その作品を夢想のための踏切板にしているのだった。
前衛的いけばな 240113
2024/1/15
付和雷同とか、尻馬に乗るというのは、生きる態度として否定的な評価を受ける。しかし、日本のある時代のある社会においては、それが生き延びるためには望ましい態度だった。
私は、母方の祖父に会ったことがない。第二次世界大戦中、同僚教員からの密告で「アカ」と宣告され、牢に繋がれた挙句、洗脳教育を受けた。そうして心身を消耗し、若くして死んだ。
その血が流れているからか、私は子供の頃から「アンチ・ジャイアンツ」だった。しかし、気弱なために、それを他人に悟られないよう、表面的にはメジャー志向を演じてきたし、そのようになり切っている自分もいた。時に頑張ってリーダーシップを発揮することもあったけれど、居心地がいいのは世間に紛れ込んでおくことだった。
茶の世界も、花の世界も、もともと前衛的な性格を持っていたと理解している。時代時代で、その新しさが脚光を浴びて持て囃され、ファンを獲得してきたのではなかったか。
こういうことを思いながら、一方では、流派のテキストに対してきちんと継承しなければならないという思いを強く持っているのも嘘ではない。
手際 240112
2024/1/15
いけばなを始めてから、理屈っぽい私の性向が変わり、手探りとか手習いという身体的な学びの大切さに目覚めてきた。
身体的な五官でいうと、年齢的に目や耳は確実に悪くなってきている。鼻詰まりもよくあるし、歯や舌の状態も相当悪い。ところが、手は荒れるしいつも肩が凝っているような状態だから触覚も減退していると思いきや、五感の働きの中で、触覚だけは弱くなったからこそより敏感になった感じがする。
そんなことで、いけばなに求められる「切る・曲げる・留める」手の技術を、観念的ではなく身体的に理解できるようになって思うのは、言葉で手際良く説明したとしても、その手際の良さが必ずしも生徒さんの理解にとって十分ではないということ。手際というのは、文字通り「手の際」の問題で、そもそも「手際よく説明」することなど、できない話だったのである。
残念なことに、私には生徒さんの手の感覚はわからない。見た様子から推測して、言葉でこうした方がいいよと言っても、それが生徒さんの頭に伝わり、頭からの指令が手に伝わるかは相手次第だ。手際のいい手習いは難しい。
続けること 240111
2024/1/14
私は、勢いでいけばなを始めた。勢いがあったので、はじめ何の迷いもなかった。
それから、数年後、病気を患った頃に止めたい気分になった。いけばなをして気分がリフレッシュされるのではなく、仕事も大変な時にプレッシャーとなって覆いかぶさってきた時だ。心がぎゅうっと押し潰されるような気分になると、お金も時間も削り取られるような、目先の損得勘定まで生じた。元々、私は飽きやすくて、突き詰めることが苦手な器用貧乏だったので、いけばなも止めてしまいかねなかった。
それを続けられたのは、半ば強引な先生の引き戻しがあったからだと、あの頃のことを感謝している。
先生の差配で何とか踏み止まれた時、少し心に余裕が戻った。そして、シーカヤックの経験を思い出したものだ。シーカヤックは、1回のツーリングで数時間は漕ぐ。すると、潮の流れも風向きも180度変わる。環境変化の方が自分の漕ぐ速度よりも早いので、できるだけ遠い目標を定めて漕がないと、あたふたしてしまうことになる。
いけばなでも何でも、遠い目標設定ができた時、それを続けることが可能になる。
有難味 240110
2024/1/14
世の中が物々交換で成り立っていた時代には、儲けるためには「わらしべ長者」作戦が必要だった。その「わらしべ長者」の偉さは、相手も儲けた気にさせるところにある。こっちもあっちも「ありがとう」を言い合う、お互い様の取引だ。
いま、私がお金を払いながら「ありがとう」と言う相手は、医者ぐらいだ。もちろん、飲食店や服屋へ行っても、接客の良い相手には「ありがとう」を連発する。
しかし、DXが進んでくると、物やサービスを買って「ありがとう」を言う動機も機会も減るように思う。売る側がコストパフォーマンスを良くしようとすればするほど、買う側の私としては有難味が減りそうだ。
私の習い事経験は、24歳までに、ヤマハオルガン教室2年、習字8年、英会話1年、茶道1年で、先生方はみなさんとても低いコスパで教えてくださっていた。40歳で始めたいけばなも、習う側が早く帰りたくなるくらい先生のタイムパフォーマンスは悪かった。
いま教える立場になった我が身を振り返ろう。受講者が「ありがとう」と言いながら、受講料を払ってくれているだろうか? 心許ない。