いけばな? 華道? 231014
2023/10/14
私の教室は「いけばな教室」とうたっていて、「華道教室」と呼んでいません。自分を華道家と呼ぶのもふさわしくない気持ちです。茶道でも華道でも、「道」と呼ぶジャンルには修養・修身の性格が奥底にあると思うので、そこを重視できているかどうかが怪しいからです。
修身を取り払ってしまえば、いけばなも芸術に仲間入りできるかもしれないと思うこともありましたが、家元に教えを乞う立場で一匹狼にならない私は、オリジナリティを徹底追求することこそが仕事の芸術家にはなれません。「道」には教える側と教えられる側があって、上下関係に縛られた世界です。
つまるところ、華道家にも芸術家にもなれない私は、「いけばなをしたり、教えたりする人」くらいがちょうどいい肩書なのでした。
他方、いけばなは、海外からの興味関心は依然として高いと感じています。海外へ普及する過程で、含みの多い「いけばな」という語が意味を伴わない「IKEBANA」となり、日本的こころや日本人的振る舞いが漉し取られ、いけばなから創作行為・芸術的行為の部分が抽出されて好感を得ているのでしょうか。
いけばなの優劣 231013
2023/10/12
俳句甲子園や書道パフォーマンス甲子園など、文化部の高校生が活躍する競技会が増えてきました。華道関連でも、近年、全国高校生花いけバトルが繰り広げられています。先般、それの四国大会を観戦したらとても面白かった。高校生の創造力と瞬発力には興奮させられました。どの作品にも数値化に収まりきらない見所があるのに、審査員はすべてに得点を付けなくてはならないのは大変だろうと感じました。
武道には、規定や基準があり相対的な優劣がはっきりするという競技性が備わっていますが、いけばなは規定や基準が分かりにくいので、審査員でも優劣を付けるのが難しいと思います。
いけばなには、それをいける「時と場」があり、それを見る人があらかじめ想定されるので、できあがった作品がそういう関係性から独立して良し悪しを申し渡されるものでもありません。
優劣つけがたいといえば、料理コンテストも典型的です。味の好みが違う審査員が互いに納得して1等賞を決めるためには、審査員個々の社会的立場やそのコメント力が重要で、得点の数値だけでは説得力が低くなってしまいます。
手習い 231012
2023/10/11
私は頭でっかちです。何を見てもただ感動するということはできず、感動の原因を理詰めで明らかにしたいのです。
子供のころ、鉄棒で逆上がりの練習をするのに、私は絵を見て納得してしまうまで体を動かせませんでした。後ろ宙返りもそうでした。体で覚えるべきことを、まずは頭でシミュレーションしてからでないと先に進めない少年だったのです。
いけばなを始めた頃も、やはり頭で花をいけていました。いけ終わった後でも講釈ばかり垂れている自分が嫌でした。理屈っぽく花をいけたときは、その作品も説明的でつまらないものになってしまうようです。
いけばなとは足掛け23年の付き合いになります。近頃は手の方を頭に先行して動かせるときもあって、自分を褒めてやります。何とか花鋏を扱うことができる体になってきました。矯めやすい(曲げやすい)枝や、折れやすい茎なども、手の感触で分かり始めました。知識や理屈でなく、体で覚えた経験で花材それぞれに対する手加減もできるようになり、表現するバリエーションも増えました。左手が軽く腱鞘炎でちょっと痛いですけれど。
そこにあるリアル 231011
2023/10/11
この数年、いけばな講習もリモート開催の機会が増えました。私はそれが苦手で、受講するのも気持ちが乗らないし、教えろと言われかねない場面では身を潜めて気配を殺しています。
肉眼で花を見るときは、自分の体と脳の赴くまま近づいたり離れたり、右から見たり下から見上げたりできます。教える方も習う方も、互いの仕草に対して自由にフォーカスできるし、集中度を高めたり緩めたりしながら声だけ聞いて目を離すことだってできます。
そして、いけばなは何といっても手仕事なので、枝の硬さと腕の筋肉の関係とか、剣山に大きい枝を挿すときの腰の入れ方とかが重要です。トゲのある木は時に歯向かって手指の皮膚を傷つけてきます。いけばなはそういう身体性に直結した表現なので、配信されたリモート映像は肌で実感できず、ちょっと白けてしまうんです。身体性はそれだけではありません。草木は切ったり折ったりするとかすかに音を立てるし、固有の香りを漂わせて、五感を刺激してきます。
それに、いけばなは数日で枯れ果てるので、花材と場所との関係も一期一会のライブ感を楽しめます。
いけばなの空間 231010
2023/10/10
先日、わが教室の庭が綺麗でないと指摘されました。庭が不様な原因の1つは、無計画に庭木を増やしたことにあります。
庭師さんならば、庭を1つの全体として捉え、構成要素として草木や石を計画的に配置します。しかも、木々の生長を見越して! その行為は、敷地に大きくいけるいけばなと言っていいくらいです。
私も屋外の花展で作品を制作するときは、周辺の風景も一体的に捉えて臨みます。おそらく庭園と同じで、背後の山などを借景として意識します。すると、どこまでが作品でどこからが背景なのか、自分でも説明できません。記録を撮ろうとした時の気分次第で、「写真に写り込んでいる範囲が作品です」ということになります。
ふだんも家や店の空間全体を意識していけばなをしますが、屋内の花展のときは、いけばなを独立・完結した作品としていけることになります。周辺には仲間の作品が所狭しと並んでいるので、作品同士が干渉し合うからです。そんなとき、自分の作品空間はできるだけ小さく設定することになり、見る人にも「もっと近寄って見てください!」と要求しがちなのです。