世界観 250102
2025/1/3
紅白歌合戦をぼんやり見ながら、登場する人たちを私は2つに分類していた。世界観を感じるか、感じないかである。歌っている当人のバックボーンや表現したい世界まで見える人と、目の前の姿しか見えない人である。いけばなでも同様に、作者の思いや世界観によって、より大きく深い空間を感じるものと、目の前の作品しか目に入らないものとがある。
さて、全国高校サッカーで、松山北高が躍進した。3回戦で敗れてしまったが、彼らの繰り出す1つ1つのプレーには、展開したいチームとしての戦略が感じられた。思い付きや苦し紛れのプレーがほとんどなく、高校1、2年生でそこまでの広い視野と深い洞察力があるのかと舌を巻いた。
私の青少年期はどうだったかというと、高度成長する産業社会の画一的な世界観しか持っていなかった。個性や自主性が大事という言葉だけを偉そうに使い、実のところ画一的な教育の申し子となっていた。世界観を持っていたつもりだったが、他人のつくった世界観に泳がされていただけだった。
今の人たちに倣って、小さな自分とそろそろおさらばしたいところである。
年明けに老人力 250101
2025/1/1
紅白歌合戦で、南こうせつとイルカが往年の名曲『神田川』と『なごり雪』を2人で歌った。その歌い方に、赤瀬川原平の言う「老人力」をまざまざと見せつけられた。
2人の声は昔以上に魅力的ではないか! 肩の力が抜け、喉の力も抜けて、ギターを爪弾く指の力も抜け、弾いている音もところどころ抜けている感じだった。それでも歌は余裕しゃくしゃくで伸びやかだし、一層の情感がこもっていた。
「老人力」は、物忘れが思わぬ効果を発揮するくらいの理解でしかなかったのだが、真の「老人力」は何か力が付くことではなくて、力みがなくなることだと悟った。しかし、力が抜けていないと力が出ないというのは体験的によくわかっているのに、それを頭で理解していても、体の力を思うようにコントロールできないのである。頭の理解があればあるほど、体の方は頭の理屈の金縛りになるのだった。
頭と体の両方の力みをなくす方法として、飲酒を試すとか、徹夜してフラフラになるとかしてみたが、それでは緩み過ぎる。力みのない、老人力あふれるいけばながいけられるよう、まずは頭のネジを緩めたい。
図らない 241231
2024/12/31
世の中は、モノとコトに溢れている。モノにはたいてい意図が含まれていない。コトは人が主体的に為すので大いに意図が含まれている。
いけばなは、「はな」というモノを「いけ」るコトで成り立っている。だから、いけばなには意図が含まれるはずなのに、図らずも、意図がないまま無心に(ボーッと、夢中で、がむしゃらに、惰性で……)いけている時もある。
不思議なのは、計画的にいけて計画通りに進んだ時、つまらない作品になりがちなのに対して、無心だったり我に返ったりしながら悩んだり迷った時の方が、結果的に自己満足度の高い作品ができることだ。自覚半分無意識半分というのがちょうどいいのかもしれない。
全く何も考えていないところからは何も生まれるはずがないけれど、日頃からあれこれ思い巡らしているところには、何かのきっかけで何かが芽吹いてくる。いけばなの制作については、様々な(かなり無限に近い)選択肢から1つのゴールを決め切る必要があって、その落とし所というのは、自分の意図と「図らないインスピレーション」や他人の「ふとした発言」などとの交差点だ。
「絵になる」いけばな 241230
2024/12/30
いけばなを描くとき、花器と花だけでは絵にならない。背景が描かれて完成する。背景には部屋の壁が描かれてもいいし、森や湖が描かれてもいい。ただし、人を描き込むと、花より人の方が主役になりがちなので注意がいる。
高知県の牧野植物園には、牧野富太郎博士の描いたスケッチがたくさんある。それらに背景はない。彼が描いているのはいけばなではなく、植物だからである。図鑑に載せる意図があったので、ただその時に咲いている花を描いて終わりではなく、その植物の発芽や雄しべや種子などが、超細密に1枚の紙に詰め込んである。彼のスケッチは、それだけで完成した価値を持っている。
絵としてのいけばなは背景がないと成り立たないということは、実物のいけばなも背景を含む空間がないと成り立たない。彫刻を絵に描いても作品として意味がないように、本来はいけばなを写真に撮っても、記録資料としての価値しかない。
ただ、土門拳が撮影した勅使河原蒼風の作品を見るとき、土門拳の目は空間を「絵になるように」切り取っているから、いけばなを写した写真として「絵になって」いる。
環境設計 241229
2024/12/29
1軒の小間物屋が、山間の村はずれの四ツ辻に建った。それまで村の集落から大きい町まで買い出しに出掛けていた人たちの流れが、そこで時々ひと休みするようになる。小間物屋は、饅頭も売り始めた。人々の流れがその店で滞留することも増えた。そういう店が日本全国にあった。
ところが、道が拡幅され長距離路線バスが運行するようになり、トンネルが掘られて大きい街に行きやすくなってマイカーを持つ家も増えると、その店で買物するのは腰の曲がったおばあちゃんばかりになってしまった。店は昭和時代の遺物となって、平成の頃にはほとんどなくなってしまった。
日本全国にまんべんなく分布していた小さな町や村は、令和の時代を迎えてますます小さくしぼみ、店ばかりではなく集落から人が消えてしまった。いまの日本は、大都市と、周辺の比較的大きい町と、あとは荒れた山や海辺の風景から成っている。
あの1軒の小間物屋は、いけばなという習い事の盛衰を象徴しているように思える。いけばなは、それ自体がひとり独立して生きられるものではない。その周辺環境によって生かされるものだ。