スタイル 250905
2025/9/5
ピカソは、表現のスタイルを変え、多様な表現による作品群を遺した。例えば東山魁夷には、ピカソに比べると類語反復的な作品が多く、見る者が作者の心情を追体験できるくらい、それらの作品は必然的に描かれたと感じられる。私がうわべで知っている日本画家にはその傾向が強く、毎年繰り返される四季が、それでも少しずつ違っているよという如く、マイナーチェンジを繰り返しながら同じテーマを追求する。
ただし彼らも人間なので、偶発的に思いがけない作品をつくることがあると思う。それを、世間に発表するかどうか、おそらく自分の手元に隠し持っている作品もあるのではないだろうか。現代語で言うセルフ・ブランディングである。
そんな日本的アート界にあって、ピカソ的スタイルで制作したのが勅使河原蒼風なのではないか。類語反復を意識的に避けて、脱皮につぐ脱皮を繰り返すには、大きな包摂力と強い意志の力が必要だ。
私はそれを目指したい気持ちはありながら、単なる飽き性だから継続性が保てないという性格と、惰性的に自分のスタイルを踏襲してしまう安易さを脱ぎ捨てられない。
停電 250904
2025/9/5
夜中前から雨が断続的に強まり、雷が鳴ったと思うと不穏な衝撃音と共に停電した。スマホのライトは温存して蝋燭を点けたが、ランタンが見当たらない。
カーテンを開いて外を見ると近隣一帯が暗く、少し向こうのマンションンの階段の非常灯が明るかった。少しでも情報を集めようとベランダに出る。近所に消防車か救急車が来ているのだろう、赤色灯の明滅がビルの壁や窓ガラスに反射していて、夜中にしては大きな声の会話が雨音の向こうに聞こえていた。遠くに目を遣ると、石手川沿いに、ダムの放流を知らせる赤いランプの点滅の3つばかりが滲んで見えた。
停電は30分くらい復旧しなかった。夜は暗く、光も音も少ない。そして、台風が運んできた湿った空気が暑苦しい。こんなとき、昔の人はどのように過ごしていたのだろう。未来の人は、どのように過ごすのだろう。
家の中に目を戻すと、蝋燭の炎が揺れて、花瓶の花の影が揺れている。仄かな光では、花は影絵になるのだった。巨大化して壁と床に映っていた。部屋に入ると、足元に猫が絡んできた。晩御飯で食べた焼きサバの臭いが漂っている。
問題の問題 250903
2025/9/5
大きい1つの問題は、小さな多くの問題を含んでいる。そして小さな1つの問題は、より小さなたくさんの問題を含んでいて、より小さな1つの問題は……その先は容易に想像できる。いま目の前にあって、いま考えたり行ったりしていることは、こだわればこだわるだけ小さな世界につながっているのだ。
私の今日の問題意識は、いけばなの教室で生徒さんの作品に対してどこまで細かいことを言うか、または言わないかということだ。
私は、できるだけ歴代家元の作品を見るよう心掛けているが、そのほとんどは画像である。だから、実は細部があまりよく見えていない。一方、生徒さんの作品は目の前で出来上がっていくから、細部どころかプロセスも見て取れる。大いに細かいところが気になってしまう環境なのだ。
しかし、細部に神は宿るという方向にのみ意識を持って行くと、作品全体の生命力が失われる。だから、命の炎が小さくならないように、ちょちょっと細かいことをさりげなく言わねばならない。細部にも神は宿るし、細部にまであなたの血が流れているということを。教えることは気が気でない。
追い求める先 250902
2025/9/2
勅使河原蒼風を追い求めた自分がいる。勅使河原宏に憧れた自分もいる。それは、時空を飛び越えて行った偉人にはもう追い付くことができないという諦めによって、その純粋さはより磨かれ輝いていく。赤瀬川源平や松岡正剛についても同じで、故人はどんどん神格化される一方だ。
そんな彼らには、それぞれ追い求める人がいたのだろうか。求められる人にも求める人がいるという想像は、遡れば遡るだけ果てしのない高みに登っていく。行き着く先は、われわれ無神論者が言うところの漠然とした神で、それでは神は求める相手がいない究極のどんづまりだということなのだろうか。神が求めるのは無なのだろうか。
俗物の1人である私の考えでは、人間界にも海のような層があり(ちなみに、海の上面と下面には境界があって、それぞれ混じり合わない別々の対流構造があることが知られている。海洋深層水の貴重さの根拠でもある)、聖者と俗物は混じり合えないのだ。
そういうわけで、俗物は俗物の尻を追いかけ、その追う者は別の者に追われてぐるぐると円環を成しているのである。いけばなの無間地獄だ。
母の日記 250901
2025/9/2
実家の押入れには、まだ整理のつかない書類や手帳(父母が遺したもの)があって、こんど母の十七回忌を迎える前に少し手を付けてみようと思った。十三回忌のときは、母が晩年描いたり出品したりしていた油絵の額縁を十数点、彼女の母校である内子高校の美術部に寄贈に行った。絵は手元に置いてあるが、絵から何かを読み取るのは困難だから、再び押入れにしまってある。
黒表紙の大きめの手帳を開くと、弟が生まれて数か月間の家計簿がわりの日記だった。弟が大阪の病院に長期入院しなければならなくなって、私が五十崎の祖母宅に預けられた状況も改めてわかった。
しかし、母や親戚から聞かされて思い込んでいた内容とは、少し食い違う内容も多かった。私の幼少年時代の記憶はおぼろげで、ひょとしたら、ほとんどが夢で作り上げた仮構かもしれない。
私のいけばなも言わば仮構だ。野にある花は実在でも、いけた花は想像力によるしつらえだ。仮構ならば、現実の足枷を振りほどいてもっと非現実的であっても構わない。現実が強固だとしても、未来から振り返ると、それは溶解しているだろうから。