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いけばな随想
diary

見上げ続ける 250125

2025/1/27

 下から山頂を見上げた景色は神々しく、山頂から水平線を見渡した景色は壮大だ。
 富士山のように圧倒的な高い山は、見上げてただ拝むしかないが、中国山地や四国山脈のように山並みが広がり続く地形では、文字通り山あり谷ありである。習い事はこの地形に似ていて、いけばなも含めて、標高の低い海辺から平野を横切り時間をかけて山裾に辿り着き、ひと山を越えたら次のひと山を目指す息の長い旅を続けるのだ。
 旅路の始めには、いけばな世界の最高峰を見たことも感じたこともないから、とりあえず自分の経験の範囲で「高み」を設定するしかない。たとえば、私が見たことも行ったこともある石鎚山の高みを目標に据えるわけだ。ところが、やっとのことで石鎚山に登頂すると、遥か彼方に日本アルプスの存在を初めて感じる。そして、日本アルプスを踏破しに行く。今度はまた、富士山の高みを知って目がくらみながら次の目標に設定する。
 少しでも高みに登った者は、上には上があることを知る。下の方にいる限り、雲に遮られて本当の高みは見えない。だから、せめて雲の上まで行ってみる必要がある。

秘訣は危機感 250124

2025/1/25

 金を使い、労力を使って、何の成果も上げられないことが、営業の仕事のときにはよくあった。しかし、思い返せば、それで自分の給与が減る直接の契機にはならなかったので、大きな危機感もなく無責任に過ごせた。ただ、営業会議において、緊張感や無力感などを多少は背負わざるをえない追い込まれ方をしてはいた。
 現在、いけばなに没頭するようになってから、自分の持ち金がどんどん減っていくのが気が気でない。危機感まではないけれど、会社員だった頃より緊張感はとても大きい。それで、費用対効果というのをちゃんと考える癖がついた。営業のときは、細かくて正確な数字を使って報告書を書かなくてはならなかったが、それを書いて上司に報告すれば一応の終わり。いまは、報告書を書かないで済むかわりに、決算月もないから終わりがない。
 さて、私の金を自分のために使うというのは、自分自身に対する投資である。投資する自分に対して、投資される側の自分がしょうもない奴だったら困りものである。何とか危機感を持って、財務状況を好転ささなくてはならないと思う今日この頃である。

名声欲と金銭欲 250123

2025/1/24

 ああ、不幸にも、名声欲と金銭欲のどちらも捨て難い。これを大っぴらに喧伝するのは恥ずかしいから、世間に対しては自分を禁欲的な人間だと胡麻化したい。究極の選択としてどちらか1つを選べということになったら、さてどうしたものか。名声はあるが金はない、名声はないが金はある。名声で金が稼げるようになるのと、金で名声を買えるようになるのと、どちらが手にしやすい?
 仮に、いけばなで名声を得たとする。さあ、それで儲けることができるだろうか? 家元ならいざ知らず、大して儲けられない気がする。では、潤沢に金があるとしよう。ひょっとしたら、新しい流派を立ち上げて大いに宣伝すれば、名声も得られるかもしれない。そう考えると、金だ、金だ。
 そういう訳で、今の私は名声よりも金が欲しい。ああ、赤裸々に言ってしまうことは、こんなにも恥ずかしいことなのであった。
 お金持ちでないと、いけばななんかできないわよね、という言葉を耳にすることがある。半分当たっていて、半分はずれている。何のためにいけばなをするのかという目的次第で、何事も可能で、何事も不可能だ。

インテリア・デザイン 250122

2025/1/23

 建築家と華道家の間に立っているその人は、インテリア・コーディネーターだ。インテリア・コーディネーターは、壁紙や家具や照明やカーテンなどをトータルに取り合わせるプランナーだ。
 頼りになるインテリア・コーディネーターは、そのような、目に見えてそこにある物だけでなく、今後、住む人や使う人が増やしていくであろう什器備品や食器や壁飾りや電気製品などにも想像力を発揮する。想像力を発揮すると、インテリアはフレキシブルであること(様々な変化に対して融通が利くこと)が望ましいということに思い至る。
 さて、優れた建築家は、当然インテリアに対して大きな思い入れがあるし、華道家もインテリアに対して大いに思い入れがある。華道家について考えると、いけばなをいけた花器をどこにどういうふうに置くかが大問題だ。壁に貼り付ける絵画と違って空間に置かれるいけばなには、必ず背景が立ち現れる。
 いけばなは、置かれた角度と見る角度の掛け算によって姿かたちを変えるので、無限のバリエーションがある。その中から唯一無二の場所と向きを選んで設置するのがいけばなだ。

床の間の花 250121

2025/1/21

 ホテルの夜は暗い。諸外国のホテルと日本の一般的なビジネスホテルとの違いは、部屋も廊下もエレベーターホールも暗いことだ。照明は間接的なものが多く、照度も低いため、屋内空間の至る所に暗い陰がある。スリランカの英国統治時代のホテルのバーは極端に暗く、バーテンダーの顏さえよく見えなかった。「何でこんなに暗いの?」と聞くと、「夜だから」。
 第二次世界大戦後、日本の家は明るくなったと言われる。明るい居宅が平和と幸せの象徴となった。そして、屋内には薄暗い片隅のない、のっぺらぼうの家が建てられた。無意味な空間、機能的でない空間が余っているからこそ、花をいける余地もあったというのに。
 伝統的な日本家屋には、床の間が神棚や仏壇と共にある。神棚や仏壇は、神様仏様に祈り敬う空間として一定の機能性があるが、床の間は、昔は殿様や家長が座る家の中心だったものの現在は機能性の低い象徴的な空間になっている。使われない飾り棚とでもいうところ。
 そんな床の間に、家長の代わりに主役で花に座ってもらうと、姿が見えなくても家じゅうの背筋が伸びるようである。

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