時間の表現 240809
2024/8/10
いける時には、その瞬間の枝や茎の手触りがあって、花の開き具合も見たままである。花の茎を傾けていけた場合、翌日には花の重さで曲がり方が大きくなっているかもしれないし、花も思いのほか開いているかもしれない。
いけばなには時間が作用する。手で確かめることのできない明日、明後日の花をいけるためには、今日の手触りから予想するしかない。
だから、いけばなで表現されるものは、空間的なだけでなく時間も合わせた世界観である。いける人の想像力の働かせ方によって、作品が小さくても、大きい世界観を表現することも可能だ。(大袈裟ながら)いける人の「宇宙」が創造される。
私は蓋付きの空虚な箱が好きだ。中に何も入っていないから、何でも入れることができる。空虚な空間に、何かが生まれ出そうな予感も常にある。そこに生まれ出る何かが、時間と共に重力場として収斂していくタイプのいけばなか、生まれ出た何かが、時間と共に外へ泳ぎ出て拡張していくタイプのいけばなを私は好んでイメージしていて、どちらにしても、隠し持った何かを隠しつつ表現したいと思っている。
複雑なシンプルさ 240808
2024/8/9
毛糸球をイメージする。規則正しく巻かれて、商品ヅラした白い毛糸球である。オブジェとしてあまり面白くない。その球をすべてほどいて1本の毛糸に戻し、それをランダムに、できるだけ複雑に絡み合った状態に巻き取っていく。最初の規則正しい毛糸球から、歪んでちょっと存在感のある毛糸球に変身した。同じ毛糸球なのに、存在の次元が変わった! と思う。
白い毛糸だけでなく赤や青や黄の毛糸を混ぜ込んで巻き上げると、もっと複雑に絡んだ球を作ることができる。毛糸の太さを変えて、更に込み合ったオブジェにつくり変えられる。それでも出来上がりは、シンプルに1個の球だ。
いけばなも似ているかもしれない。1本の椿の立木の枝を数本切らせてもらう。ヒマワリを3本用意し、椿と組み合わせて、いける。切り花の1本1本は、自然に生えていたときの椿やヒマワリのように複雑ではない。標準化されたそれらの花材で、1つのまとまりを構成する。
自然に生えていたときよりも複雑性が増したに違いないが、「型」という方法によって、その複雑さを感じさせない景色が出来上がるのだ。
有限の面白味 240807
2024/8/7
ビジネス上の受託なら尚更、いけばなは長く見積もっても数時間のうちに仕上げなくてはならない。仕上がったいけばなは永遠ではなく、極めて短い時間で作品としての体を成さなくなる。いけばなは、生まれてから死ぬまでカゲロウのごとき短い生涯なのだ。
1枚の絵を描く場合は、時間のことをあまり気にしなくてもよい。1年間かけて描くことも珍しくない。そして、ずっとずっと手を加え続けることもできる。もちろん、描き終えた絵のことをそれっきり忘れても絵は残ってくれる。
いけばなは、そうはいかない。いけたことを忘れて放置してしまうと、カビが生えたり水が腐ったりするので、生み出した人の手で作品の看取りをしてやることが大切なのだ。したがって、いけばなの制作期間というのは、花材の準備を始めた時から花材を処分するまで、プロセスの全体を指すことになる。
花材の体調やご機嫌を伺いながらあれこれと世話を焼くのが、いけばなにおける制作期間なのである。仮にいけばなが無限であったら、全く面白味もないだろう。命の儚い人間と出会い、刹那的に花開く芸術がいけばなだ。
格闘 240806
2024/8/6
いけばなは格闘技だ。2022年のいけばな展は、屋外展示が中心だったので、作品サイズが大きかった。私のチーム2つは、それぞれ1点の作品をつくった。花材量は2つ合わせて軽トラ1台に満載。直径6~7cm×2mの丸竹100本ほか。
作品の一部は事前に制作し、当日は仕上げと設置だけで済む予定だったが、どうしても現場で不都合は生じるもので、そこからは、ひたすら花材との格闘になる。この前のいけばな展もさらにその前も、私の「いけこみ」はいつだって格闘になってしまう。
最大の原因は、構想(イメージ)は悪くないが、設計(プランニング)が甘過ぎて制作時に“想定外”が頻発することである。想定外こそがパニックを引き起こす。だから、今回は準備に力を入れている。10分の1サイズのミニチュア試作を開始した。そして、展覧会までに1度は下いけ(試作・習作)をしてみなくてはなるまい。
ただ当然であるが、ミニチュアは指先だけの格闘で済む。本番では、準備が万全であっても、現場では力仕事になることが避けられない。今回の作品スペースは約2×3mなのだから。
意識 240805
2024/8/5
いちばん速いのは光速だと言われている。光は物質なのかどうかよく知らないが、他の物質が到達できる速度を全開にしても光速には追いつけない。
光速を超えられるのは意識でしかない。速さだけではない。逆に、自転車で超低速走行するのは難しく、独楽の回転にしても遅過ぎるとと安定が失われ、すぐに倒れてしまう。この遅さにおいても、安定を可能にするのが意識のなせる技である。
いけばなでは、満開の花だけを材料にするのではなく、開花した花と蕾の両方をいける。順番に咲いて、数日間はピークを保つからだ。店舗にいける場合など、世話をする手間やコストを勘案して、蕾だけをいけることもある。3日後の満開を期待していけて、当たると喜ばしい。確率を高めるためには、店の明るさやエアコンの風の当たり具合、1日を通した室温変化など、調べるに越したことはないとはいえ、コストが足を引っ張る。
結局は当てずっぽうで予想するわけだが、一応、花の意識を探る真似事は行う。「お花さん、お花さん、世界でいちばん美しいのはだーれ?」おだてておいて、3日後に確実に咲いてもらう。