教育者より育成者 250529
2025/5/29
親が子に教えることに、私は疑問を挟まない。しかし授業料をいただいて職業的に教えることには、神経質になってしまう。もちろん割り切ったこともある。教員が教えないで何するのだと、専門学校で18年教員をしながら自分自身を納得させていた。
私はフラワーデザインも少し齧ったし、いけばなも多少齧った。問題は今も齧り続けている途上だから、齧り方の早い生徒さんには追い越されてしまうという、当然の事態をどう受け止めるかということである。いけばなも習い事である以上、教える側と習う側に立場が分かれるけれど、教える量は日々減っていくのだろうと弱気になる。
オリンピックやワールドカップで、さまざまな競技の選手たちが、コーチや監督の記録を次々と塗り替えていく。教えるというのは習う人の上に立つことではないとわかっていても、彼らも先人としての義理だけではない技能を磨く必要はあるだろう。
昨日の稽古でありがたいことがあった。1人の生徒さんを教えている際に、別の生徒さんが私も気付かないことを指摘してくれた。教育は育成だという意義を、そこに発見できた。
感動を忘れたかも 250528
2025/5/28
不幸せが続いたあとの幸せは、心が風船のように膨らんでどこまでも風に乗っていくようだ。あまり高く上がり過ぎると破裂してしまうことがある。バンジー・ジャンプは高低差が大きいから正気を失うほどだし、落ちる滝は落差が大きく水量が多いほど衝撃も大きい。
子どもの頃、見るもの聞くものすべてが初めて尽くしで、何でも夢中になれた。ドン・コサック合唱団の踊りをみんなで真似したり、アントニオ猪木のコブラ・ツイストを兄弟で掛け合ったりもした。
青年になり初めて上京してからのハイテンションは、数年間続いた。初めて海外旅行に行ったときも、興奮冷めやらぬまま数週間は感動が続いた。その感動の持続時間が、年齢と共に短くなってきたように思えるのだ。逆に、やるせなさや怒りが長く続いて困る。そしてついに、最近は感動が、ない。
その理由は2つ考えられる。1つは、世の中がつまらなくなったこと。もう1つは、私の五感全部が“耳が遠い”という状態になったこと。または、その両方かもしれない。いけばなも、出会った頃がいちばん可愛かった。今では愛のない家族みたいだ?
初心者の恐さ 250527
2025/5/27
1960年生まれの私の青少年期に、コンビニエンス・ストアが登場したとされている。だから私の人生はその発達史とともにある。
東京で大学生をしていた私は、随分とセブン・イレブンにお世話になった。20代中盤から松山で暮らし始めて、ナイトショップ「さくら」とか「いしづち」にお世話になり、そのお陰をもって夜型人間になってしまった。コンビニエンスな環境は人間をダメにすると当時から薄々感じていて、現在は全くその通りだと力説したい。
つまり、便利が大きくなると、努力や工夫が小さくなる。努力や工夫が小さくなると、大技が出せない体質になる。「欽ちゃんの仮装大賞」が面白いのは、専門家でも芸人でもない普通の人が、その人の全知全能と全体力を賭けて圧倒的な非効率さでプレゼンテーションするところにある。業界人であればもっと効率的で効果的な演出が可能かもしれないけれど、それを知らない人間が前時代的とも取れるくらい無理をして工夫を凝らす姿には、誰もが感動する。
いけばなも、手慣れた人の作品は想定内に収まるので、初心者の頑張りに勝てないことは多い。
つくりものの花 250526
2025/5/26
つくりものには、いいものと良くないものとがある。同じ“つくりもの”でも、絵画の原画は本物と呼ばれて肯定されるが、大塚国際美術館の陶板による複製名画は偽物と否定されもする。生花でつくり上げたいけばなはいいが、工業製品の造花を使ういけばなはよくない。それでは、プリザーブドフラワーという“加工生花”、これは偽物なのだろうか?
いけばなでは、もともと「枯れもの」や「晒しもの(漂白花材)」、「着色花材」なども使われてきた。これらも、昔の華道家にとっては偽物だったかもしれない。私の思うところでは、本物と偽物の境界は高尚さで線引きされた。
ところがアートの世界では、アンディ・ウォーホールの作品(マリリン・モンローやキャンベル・トマトスープのプリントなど)には、高尚さは感じられない。むしろ威張り腐った高尚さを否定している。ずっと前から、キッチュさも芸術の価値の一端を担ってきたのだ。
さて、視野を空間に拡げてみる。部屋から建物へ。建物から都市へ。そこは既に高尚さとは無縁の、ビジョンも計画もない、造花が似合う俗生活のハリボテ空間だ。
夜道の記憶 250525
2025/5/25
道は道でも夜道である。東京暮らしのとき、日吉で台風による孤立に陥った。友人が少なかった私は一緒に連れ帰ってくれとお願いする相手が見つからず、運休した東急東横線を恨みながら風雨の吹きすさぶ夜道を1人歩き始めたのだった。
世田谷区上野毛まで何キロあるかはわからなかったが、淋しい自分をじっと抱えているよりは、目的を持って動く方が気も紛れると思った。当時のセブンイレブンは文字通り23時には閉まったし、携帯電話も世の中になかった。荒天の中、多摩川を越える橋を見つけるのに困ったり、田園調布の蜘蛛の巣状の道に引っ掛かったり、等々力渓谷で怖い思いをしたりしながら、ほとんど誰にも会わず歩いた。不安の度合いが大きくなると、暗闇に彷徨いながら正気を失う。アパートに辿り着いた記憶がほとんどない。
夜のいけばなを、人はわざわざ見ようとはしない。目を凝らしても、その細部がくっきり見えないからだ。しかし、夜の景色が人に影響を与えるように、夜のいけばなも人の心を動かす。夜に紛れた花に惑わされることで、人は人生に必要な不安な夜と友だちになれる。