現場のいけばな 241213
2024/12/13
いけばな展に出品することは、ひとつの大きな目標である。長時間かけて「いけこみ」を行い、2~3日の展示期間、作品を人目に晒す。
会期中、自分で何十回も見直しながら、自作を見てくれる人の姿を横目でこっそり観察して、念入りに見てくれている人がいたら喜び、一瞥しただけでさっさと通り過ぎる人がいたらがっかりする。喜怒哀楽の大波がひっきりなしに訪れる。
これまで稽古で身に付けてきた知識や技術が試されているので、展覧会で他人に評価されることは恥ずかしかったり怖かったりするけれど、その知識と技術を再確認する絶好の機会が、この“現場”なのだ。そこで、針の筵という言葉がぴったりするくらい究極に追い詰められたとき、マゾヒズムに没入してカタルシスをはかれるくらいになると、いい意味でパンチドランカーに成長している。
私と同じような日本人は、叩かれ慣れていない。だから、叩かれると執念深くすねる。頑張って心頭滅却しなければならないのは、まだまだアマチュアである。右の頬を打たれたら左の頬も差し出すくらいになれば、現場を2倍に生かせる逸物である。
いけばなの勉強 241212
2024/12/12
いけばなの勉強には3幕、それぞれ3場の9段階ある。第1幕の第1場は草月テキスト1・2の修了。第2場は草月テキスト3・4、第3場が草月テキスト5の修得である。草月流といけばなの基本的な知識と技術を習い、自分らしいいけばなに目覚め、マスターしたものを人に伝えられるようになる段階だ。数多い流派の存在を認め、磨き合う構えを持つことも重要だ。
第2幕第1場は、いけばなを芸術全般の中に位置付ける視野を持つこと。第2場は、いけばなを芸術の他のジャンルと関係づけて語れること。第3場は、他のジャンルとコラボレーションして表現すること。いけばなを外からも見ることで、いけばなに対する理解がより深まる。
第3幕は、全世界的・半永久的な視野でいけばなを見る。第1場は、日本的なものとして、第2場はインターナショナルなものとして、第3場はグローバルなものとして。
ここに至るとその感受性は完璧だし、その表現力も尽きることなく果てしなく、人格も身に付いているだろう。他人や他流派の作品を見ても、心から素直に「いいですねえ」と言えるようになっている。
いけばなはチャレンジング 241211
2024/12/12
いけばなには即興的な要素がある。出会った花材次第でどうにでもなりえる。だから、いけばなはジャズに似ている。それでサッカーにも似ている。
それから、アクロバティックなポーズをよしとする点では、サーカスにも似ている。しかし、重力に反する動きを伴わない静止したいけばなは、重力に抗い切れないとき、脆くも地上に崩れ落ちる。
即興・危険姿勢のどちらに着目しても、いけばなはチャレンジングだ。守りの意識では成り立たない。攻める気持ちが必要だ。しかし、攻め切るためにはチャレンジ精神だけではダメで、それを後押しする経験も必要。失敗経験が多いほど、チャレンジは無謀ではなくなり、実現可能性が高まる。
当然ながら、チャレンジには失敗がつきもので、トライ&エラーのエラーが大きいと意気消沈する。もうやめたいと思う。自分には向いていなかったか……と放り出したい気持ちになることもあるだろう。このまま続けていっていいものだろうかと、迷宮に迷い込むこともある。しかし、投げ出したことの多い私にとって、最後の拠り所がいけばなになってしまったというわけだ。
手持ちの技 241210
2024/12/12
いけばなは芸術の仲間だと言いたい気持ちと、いけばなは職人技だと認めてもらいたい気持ち、どちらもあるし、どっちだっていいじゃんという思いもある。
いけばな教室で教えているとき、私はどちらかといえばアーチストとして生徒さんにいけて欲しい気持ちの方が勝っている。自分自身への言い訳にもなるが、私は自分の作品に満足したことがないし、アーチストとしては他人の作品にも100%降参したことがない。
ところが、職人としては、他人の作品にひれ伏すことが多い。否、作品にというより、技術に対して感心している(感心するという表現はとてもおこがましいことであるが、創造力に対して感動することはあっても、技術力に対してはなかなか感動は得られない)。ともかく、他人の技術について、このところ感心している自分が増えた。手持ちの技だけでは、作品づくりが思うようにいかない。
手持ちの技だけでは、自分の創造力を超えた作品をつくることはできないことが、やっとわかってきた。技が創造を支え、創造を望むことが新しい技の習得につながる。手持ちの技を大いに増やすべし!
セルフプロデュース 241209
2024/12/11
私にも迷いや悩みがたくさんあって、その1つが自分のキャラクターをどう作り上げていくかということ。本来の自分に対して、タレントとしてのもう1人の自分を作ること。本来の自分がプロダクションの役割を担って、別人格の玉井汀州というタレントをこの世に売り出す大仕事である。
しかし、タレントが1人歩きを始めたら、もとの自分はどうなてしまうのだろう。お亡くなりになった中山美穂さんが32歳でパリに移住したのは、タレントとしての自分がどんどん増大化し固定化していくことに反発し、霧のように消えかけた本来の自分を取り戻すためだった。
いまSNSでの発信力の高い人がその発信情報を上手くコントロールすれば、いくらでも自分自身を売り込むことができる。ただ、売り込み方を間違って誤解されることも少なくない。それよりも私の問題は、私が私の枠を超えられないタイプの人間なので、どんなに足掻いても第二第三の分身を生み出すに止まり、新しいキャラクターを作り出せないだろうと諦めていることだ。
私が作りたい“花咲か爺さん”のキャラがあるにはあるが、覚束ない。