空間の取り込み 241201
2024/12/1
高松城跡の披雲閣で開催された、香川県支部・草月いけばな展に行ってきた。国の重要文化財の建物は、建築部材も各座敷の佇まいも、窓ガラスも庭の景色も趣があって素晴らしい。いけばな展のタイトルは~空間と語らう~で、門前や玄関前の屋外作品や建物内のあまたの作品は、それぞれに語らった結果が表現されていたと思う。
和紙に描いた抽象的な墨の筆跡が、障子を通して入ってくる午後の陽光に浮かび上がっている作品は、もはやいけばなではなく書画の作品と言ってもいいくらいで、それが8畳+8畳+6畳が連なった通しの座敷に立体的に構成されているから「やはり草月であるか」と唸らざるをえないというものだった。
美術館やデパートの催事場では、どうしても1つ1つの完成された作品が空間から切り取られて展示されることになる。しかし、作品展示を目論んで設計されていない空間に展示するとき、作品と空間を素敵に関係づけようという意図が働くため、作品は空間から切り離されることなく一体的に新たな作品として再生される。制作した作品が、展示する空間の力で格段に魅力を増す。
複雑と単純 241130
2024/11/30
いけばなで陥りやすいのは、使われている花材の種類と量の多さそして複雑さが深みを感じさせるという誤解だ。これは、24人ものメンバーが踊りながら歌うグループの方が、必ずしもソロで歌う歌手より優れているとは言えないことと同じだ。
いけばな作品の複雑さは一種の目くらましとして作用して、見る人はその細部すべてに目配りできない。全体を捕まえて「スゴイね」と言ったり、または自分の好きな花や名前を知っている花の部分だけに注目して「キレイね」と言って終わることすらある。
建築の「軒反り」のように、空間を区切る屋根の曲線1本は、その滑らかさやセクシーさを感じるような曲線の変化の具合や、また屋根の面積や重量感とのバランスなど、シンプルなだけに周辺空間との関係の中で念入りに見つめられる対象となっている。
花材も、枝分かれが多く葉の付き方もまとまり感があるアセビなどは、いけてみると形を取りやすい。しかし、サンゴミズキやすうっと伸びた春の梅など枝分かれが少ないシンプルな枝は、長さや角度や曲げ方ひとつでその印象がまるで違うから、扱いが難しい。
屋根の曲線 241129
2024/11/29
私は東南アジアのパゴダ(ストゥーバ)のような、道後温泉の湯玉のような、タマネギに似た屋根の曲線が好きだ。これは、てっぺんに向かって閉じていく曲線である。逆に下に向かって開いていく形の、寺社の屋根の曲線にも美しさを感じる。この曲線は「軒反り(のきぞり)」と呼ばれる。
寺社木造建築のこの屋根の曲線は、大工が木材をうまく加工し組み上げて造る曲線で、こじつければ、華道家がつくるいけばなの曲線と感覚的には似ているところがあると直感した。ただし、花材の1本で曲線を表す華道家の仕事は、宮大工の木材を無数に組んで曲線を出す作業の比ではない。
軒反りは「下に向かって開いていく」と書いたが、正確には、軒先はやや上に反っているので、屋根の勾配は下降しつつ最後には天に向かって開いていく。この、落ちつつ舞い上がる微妙な曲線を、いけばなの枝先に表せるかどうかというのが、私がI先生から言葉ではなく仕草から受けた薫陶である。
複雑だから奥深く感じるというのは錯覚で、シンプルなのに奥深いのが本物であるという、その代表が「軒反り」ではないだろうか。
教えることと答えること 241128
2024/11/28
妻の知人の元看護師曰く「患者さんの具合を全部先回りして心配してあげていても、あまりいいことないのよ。質問されたり助けて欲しいというサインがあったら、すぐ対応する体勢は取っておくけど。そのほうが患者さんも自分もしっかり強くいられるの」
先日いけばなの仲間の集まりがあって、20代の男性経営者から「先生は何をどこまで教えようとか、あまり先回りしなくていいですよ。聞かれたら答えるくらいがいいと思います」とアドバイスされた。もっともなことだと思い、スッキリした。
自分の価値観や知識を押し付けて何になる? わかっていてもやめられないのが、教師や親の泣き所。ただ、質問が少ないと答える機会が増えないので、自分が得てきた知識や技術が持ち腐れになってしまいそうで怖いのだ。だから、油断すると教えたくなる。
そこで相談だが、教える人を困らせるくらい質問することが習う人の得になるし、答える人も質問に対して再度勉強することができて両得の関係になる、そう思って欲しい。まあ、人間ではなく庭木となると、こっちが質問してもなかなか答えてくれないが。
近所の目 241127
2024/11/27
去年は剪定できなかった庭の金木犀が巨大化していて、今年こそは花が散ったら剪定しようと思っていた。花は散ったが、先送りしているうちに月末が近付いたので、重い腰を上げて悪天候のきょう、雨風の合間を縫って作業を始めた。
まずは、お向かいさんの猫が来て、切った枝を嗅いで向こうへ行った。次いで猫の飼い主さんが出てきて、「精が出ますねえ」と言いながら、猫が体を摺り寄せる愛情表現に目を細めていた。斜め向かいの奥さんは子どもの時からの顏なじみで、脚立の上でへっぴり腰の私を「みっちゃん、綺麗になりよるよー」と励ましてくれた。通りすがりの大学生は、「こんな悪い天気に何しとん?」とでも言いたげな表情を隠して通り過ぎた。
金木犀をぐるぐる回って下から上へと刈り込んでいき、新しく買った2メートルの脚立に登り、上の方の枝へ手を伸ばす。しかし、木が育ち過ぎて、頂の部分に剪定鋏が届かない。何とか工夫せねばと思案しているうちに、再び雨が降り始めて作業は中断だ。
いけばな教室をしている家の庭木は、かっこ悪いよりかっこいい方がいいに決まっている……。