留保と拒絶 250803
2025/8/4
いけばな教室の場で、おじさんおばさんに交じえて高校1年生と話していて、考えさせられることがあった。
昭和世代にとって3世代同居は珍しくなく、表面的には理解できない素振りをみせていたことも否定はできないが、祖父と孫の間でも分かり合える共通感覚や考え方があった。高校1年の彼は“おばあちゃん子”なので、自分はずっと上の世代も理解できると言う。しかし「もう今の小学生の感覚はわからない」らしく、同世代と呼べるのは上下2~3年くらいの同年代でしかない。
私の子どもの頃は、親や先生など年長者の権威が強く、ある部分では同調を装うことが世渡りには必要だった。また、世界の情報化が進んでおらず未知なる存在も多かったから、異質なものや不明なものに出会うと一旦留保するというのが、コミュニケーションのスタイルだった。それに対して現代社会と現代人のコミュニケーションは、異物に対して拒絶を示す。
さて、高校1年の彼は特別である。草月テキストの記述や私のアドバイスを一度は必ず留保し、「ちょっと遊んでみていいですか?」と別の角度から攻めてくるのだ。
わからない面白さ 250802
2025/8/2
最初に行った外国が、スリランカだった。英語表記もないし、基本的に外国語が通じない。日本の昭和の田舎町と同じだ。わからないことを楽しめるのは、旅行だからである。とにかくわからないのだから、暮らせと言われたら途方に暮れるだろう。
上半身裸でキコキコ自転車を漕ぐ人が、私に向かって手を振った。ガイドに聞くと「あれは日本の商社マン。あの人は、あなたが日本人とわかったね」首都コロンボの町には日本人の人影が多く、「あれはどういう人か」と問うと、ガイドはいつも「商社マン」と答える。シラサギのような鳥があちこちにいて、「あの鳥は?」と聞くと、答えはいつも「ウサギ」。この現地ガイドにかかると、日本人は全部商社マンで、白い鳥は全部ウサギだ。
わからないことを一旦受け入れてしまうと、あとは楽ちん。食堂で不思議な物を食べても、寺院で猿に取り囲まれても、全部「こんな感じなんだー」と楽しめる。気分を言葉に変換しなくてよい過ごし方は、ことのほか面白がれることを知った。まだ言葉を覚えていない子どもの感覚かもしれない。始めた頃のいけばなも然りだ。
つぼみと花 250801
2025/8/1
ポピー(ヒナゲシ)のオレンジ色に咲いた花も、明るく濃い赤色の花も、凛とした強さと儚げな可愛らしさの二面性が美しい。細くて長い一見弱々しい茎も、守ってあげたくなるように愛おしい。ところが、そのつぼみの姿といったら、毛の生えた蛇の頭のようだ。つぼみの表皮の一部が縦に割れて、蛇の口のように赤い色がチロチロと見え始めた時が、いちばん怖ろしい顔つきになる。
一方、ニゲラのように、つぼみから開花するまで一貫して怪しい姿を晒している花もあるが、彼らはポピーのつぼみほどには生々しくなく、花も薄い青紫の色味が上品で、軽やかでスタイリッシュな襟巻を纏っている感じ。宇宙からやって来た花みたいだ。
ともかく、ポピーのようにつぼみから開花までの変貌が大きいのは、蝶の幼虫が蛹を経て成虫になる変化に匹敵する。醜いアヒルの仔が白鳥に成長するドラマのようでもある。
一輪の花ですらこれだけ大きい変化を見せてくれるのだから、花を使っていけばなを作るのであれば、素材の花のイメージからもっと劇的に変化させていいはずだと、草月は言ってきたのではなかろうか。
花の記憶 250731
2025/8/1
たいていの美術品や工芸品は、美術館や博物館に収蔵できる。しかし、いけばなはできない。それで1つ、思うことがある。いけばな作品には、タイトルの付いていないことが多い。名前もなく、美術館にも収蔵されないとなると、人々の記憶に残すためにはその現場での強い印象が必要だろうと。
しかしである。いけばな展へ出向いて、私の記憶にしばらく残る作品は2つか3つしかない。記憶力が弱ってきたことも、自分と自分以外のものに対する興味が薄れてきたことも大きいが。さて、いけばな作家はどこを目指すべきなのだろう。自分の作品と自分の名を、何かのカタログに残したいというのか。
いや違う。いけばなは、「いま、ここ」を大事にするしかないのではないか。どんなに綺麗に写真を撮っても、それは所詮平面的で、空間としてのいけばなはそこにはない。花の匂いもなければ、その場の温度もない。
有名なレストランで素晴らしい料理の写真を撮っても、1年も経てば写真への興味は薄れてしまうように、素晴らしいいけばなも、写真になってしまった瞬間から、その魅力は枯れ始めるのだった。
闇夜の夢 250730
2025/7/31
闇夜を好きな人がどれくらいいるだろうか。私が闇に魅力を感じるきっかけとなったのは、ロック・ミュージックだった。
高校生になって、私の知らない世界観を持った友人に出会う機会が増え、同級生だけでなく後輩からの影響を受けることも増えた。どうしてみんなそんなにひねくれた大人なんだろうかと、不思議な気もした。そんな彼らから借りたLPレコードが、ブリティッシュ・ロックだった。ピンク・フロイド『The Dark Side of the Moon』、ディープ・パープル『Deep Purple Ⅲ』、ELP『Brain Salad Surgery』などなど、私にとっては暗黒からの使者たちだった。
30歳を過ぎてから、日本の家庭やホテルの夜が明る過ぎることに気付いた。外国の夜は暗い。昔の日本も、蝋燭で過ごす夜は暗かったと思う。暗い夜だからこそ、夢を見ることができる。時代劇などを見ても、日本の昔の家は暗かった。至る所に陰がある。そんな場所に、ひっそりと花がいけてある。現代のテレビの、明るく陰のないスタジオ装花と対照的だ。
闇夜に夢を見るような花、輪郭のぼやけたルドンの絵のような花、または古寺の襖絵のような花を夢見る。