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いけばな随想
diary

教えることと答えること 241128

2024/11/28

 妻の知人の元看護師曰く「患者さんの具合を全部先回りして心配してあげていても、あまりいいことないのよ。質問されたり助けて欲しいというサインがあったら、すぐ対応する体勢は取っておくけど。そのほうが患者さんも自分もしっかり強くいられるの」
 先日いけばなの仲間の集まりがあって、20代の男性経営者から「先生は何をどこまで教えようとか、あまり先回りしなくていいですよ。聞かれたら答えるくらいがいいと思います」とアドバイスされた。もっともなことだと思い、スッキリした。
 自分の価値観や知識を押し付けて何になる? わかっていてもやめられないのが、教師や親の泣き所。ただ、質問が少ないと答える機会が増えないので、自分が得てきた知識や技術が持ち腐れになってしまいそうで怖いのだ。だから、油断すると教えたくなる。
 そこで相談だが、教える人を困らせるくらい質問することが習う人の得になるし、答える人も質問に対して再度勉強することができて両得の関係になる、そう思って欲しい。まあ、人間ではなく庭木となると、こっちが質問してもなかなか答えてくれないが。

近所の目 241127

2024/11/27

 去年は剪定できなかった庭の金木犀が巨大化していて、今年こそは花が散ったら剪定しようと思っていた。花は散ったが、先送りしているうちに月末が近付いたので、重い腰を上げて悪天候のきょう、雨風の合間を縫って作業を始めた。
 まずは、お向かいさんの猫が来て、切った枝を嗅いで向こうへ行った。次いで猫の飼い主さんが出てきて、「精が出ますねえ」と言いながら、猫が体を摺り寄せる愛情表現に目を細めていた。斜め向かいの奥さんは子どもの時からの顏なじみで、脚立の上でへっぴり腰の私を「みっちゃん、綺麗になりよるよー」と励ましてくれた。通りすがりの大学生は、「こんな悪い天気に何しとん?」とでも言いたげな表情を隠して通り過ぎた。
 金木犀をぐるぐる回って下から上へと刈り込んでいき、新しく買った2メートルの脚立に登り、上の方の枝へ手を伸ばす。しかし、木が育ち過ぎて、頂の部分に剪定鋏が届かない。何とか工夫せねばと思案しているうちに、再び雨が降り始めて作業は中断だ。
 いけばな教室をしている家の庭木は、かっこ悪いよりかっこいい方がいいに決まっている……。

ウェルネス 241126

2024/11/26

 三井住友信託銀行が、花の世界で有名なニコライバーグマンスクールでのフラワーデザインイベントに、参加者を募集していた。朝の部、昼の部それぞれ20人限定で無料である。「豊かな人生にお花のある暮らしを」と標榜していて、「お花のある暮らしで豊かな人生を」ではないところがミソだ。対象は当該銀行のトラストプレミアムサービスの「プラチナ」か「ゴールド」のステージにある顧客だ。
 セゾンカードの会員誌の特集は、「ウェルネスツーリズムのすすめ」だ。スパやヨガを主体としたリゾート地での過ごし方だったり、伝統文化やアート、教育にまで範疇を広げたウェルネスアクションを伴う旅だという説明である。日本の湯治や禅、世界的に分布する巡礼の旅も含まれる。しかし、その誌面で紹介される施設の大半は大人のリゾートと呼ばれるような高額な施設である。
 どちらも預金や投資やカード決済などの利用促進を目的とする広報活動なので、扱う素材や扱い方はどうしても贅沢な非日常的なものになる。しかし、ウェルネスには、もっと身近な旅や体験があると思う。いけばな習慣もそうだ。

侘び寂びから遠く離れて 241125

2024/11/25

 どうも自信がない。これはSNSの影響が大きい。侘びとか寂びというのは喧噪より閑寂を求めるものなのに、強さや派手さや明快さをアピールしなければ認知されにくい。深淵または至高を目指す者が、白昼に衆目のもと短時間で何を伝えられるというのか。
 明るさがあって暗さが際立つことは分かっている。だから、侘び寂びも対照的に絢爛豪華な環境があってこそ成立する感覚であることも理解できる。しかし、暗さを明るさで表現することが難しいように、侘び寂びを派手さや豪華さで説明することも難しい。
 いけばなは究極のところ引き算であると思っている。渋谷のスクランブル交差点のような、人を足し算して群衆が慌ただしく行き交う密度を嫌う。仮に、群衆の引き算ができない場合は、人間をもっと身動きできないほどに詰め込んで、隙間や空気を引き算する。つまり、人間を足し算しているときでも、空気の引き算の方に着目するのがいけばなの流儀である。
 人生においても、幼少期は0歳からの足し算で、高齢になると、80歳引く64歳は、あと16年の命だ、というふうに引き算で数え始める。

お花 241124

2024/11/24

 お気持ちをお察しします。言葉に接頭語「お(御)」を付けると敬語になる。お花畑と言うのは、花畑を尊敬しているわけではなく、話をしている相手を敬っているからお花畑と言うのだ。しかし、からかう調子で「お利口さんね」と言うと、これはおべんちゃらだ。
 いけばな教室のことをお花の教室ということも少なくないし、たいていはお花を習うと言っている。これも、相手への敬意が表れたとみるべきだろう。しかし、お着物を着てお座敷でお師匠さんからお花を習うとまで言ってしまうと、むしろ相手を小馬鹿にしていることになる。
 現代社会では、大した敬意もなく慣例的に、お寺とかお札(おさつ)という表現を自然に発している。お寺さんというふうに、「さん」まで付けると、これは敬意というより親しみがこもっていると見るべきだ。
 さて、お花と言うのは、華道という伝統的な文化に対して何となく遠慮があったというか、一歩引いて奉っていたような気持ちがあったのではないだろうか。しかし、私はお花という言い方を好きではない。花を自分より下に見ているような気がしてならないからだ。

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