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いけばな随想
diary

火事場 250627

2025/6/27

 旅は発見が面白いと思っているから、下調べは最低限に止めて行程を緩くしている。タイパにも興味はあまりない。とはいえ、天気予報だけは旅先でもちゃんと見ておきたい。香港で台風の直撃に遭い、3日間も帰国便の手配ができなかった体験があるからだ。
 かつて仕事の場において、私は情報や事前調査などを駆使して計画を練り、予定を立ててきた。仕事は、計画と準備で8割が済んだようなものだと教えられもした。
 しかし旅は違う。芸術も。いけばなも。いけばなで、予めガッツリと計画を立ててしまって臨むと、作品がどうしても芸術的でなくなるのだった。花材に対する観察力が落ちて、よく知ってしまった相手(花材)を舐めてかかる。頭の中の設計図が邪魔をして、目の前の花材の素晴らしいプロポーションに気付かない。経験的には、計画と準備に半分も労力を割くと、つまらない作品になる。
 やり投げでも柔道でも、試合中のギリギリに追い詰められたときの火事場の糞力には凄いものがある。日頃の特訓が必要なことは当然として、計画の完成度が高いほど、現場は冷静沈着で火事場にならない。

虚心 250626

2025/6/26

 一大事かどうかは関係ない。それが旅行に行くときにも当てはまる。私の場合は面倒臭いからという理由も加わるが、虚心で臨むことの愉しさや得られる成果は計り知れない。
 昔シドニーへ社員旅行に行った。半日だけ1人で行動したくて、「ちょっと体調良くないから」とみんなをホテルから送り出し、遅れてホテルを出る。鉛筆を足元に投げ転がして、先っぽが向いた方角に歩く。次の分岐点で同じことをやる。引き返すことは禁止だ。遠くまで行ってしまうかもしれないし、近所をぐるぐる回り続けるかもしれない。
 3~4階建てのアパートメントが立ち並ぶ一角で、私は1時間くらい写真を撮り続けた。今ならばストーカー行為になりかねない。パステルカラーの色とりどりの建物は、申し合わせたように窓々に金属製の魅力的なデザインの手すりが設置されていて、どの構図で切り取っても絵になるのだった。
 いけばなでも同じで、私はあまり下準備をしない。メインの花材は決めても、その他は行き当たりばったりが多い。運を天に託すような気持ちもある。すると不思議で、いい感じに天が配剤してくれる。

ジ・エンド 250625

2025/6/25

 毎週TV放送される『ゴールデン洋画劇場』『金曜ロードショー』などを楽しみにしていた時期、映画館では2本立て・3本立ての上映が行われていたと思う。映画は庶民の代表的な娯楽だった。1980年代くらいまでに製作された映画の終わりに、洋画は「The End」、邦画は「終」と字幕が出て、観衆はホゥっと息を吐き肩の力を抜くのだった。
 競技スポーツでは、ルールに従って試合は自動的に終わる。食事は、お腹が一杯になるか料理がなくなると必然的に終わる。
 演奏や芝居の場合も、楽譜や台本が終われば終演である。そういう外部的な制御に拠らないいけばなは、どのタイミングで終わりにするか、絵描きと共通する課題だろう。どの時点で、ホゥっと息を吐き肩の力を抜くか。「このへんで出来上がり」と制作者がつぶやいても、どのへんで出来上がりとしたのか、見ている他人には全くわからない。見ているほうも、仕方なくホゥっと息をつく。
 絵の場合は、これ以上絵具を載せられないという感じで終わるかもしれない。いけばなは、その時点でちょちょっと枝葉を整理し始めて、終わらない。

見えていないもの 250624

2025/6/24

 写生大会は、私の得意とするところだった。小学校の図工の先生と中学校の美術の先生に褒めそやされたからだろう。写生に熱中しているとき、私の眼と意識で捉えているものが描かれる。逆に私の目が捉えていないものは省かれるし、見えていても意識的に見えていないことにしたいものは描かれない。そうして、見えているものや見せたいものが強調され、見えていないものや見せたくないものは省かれる。
 高校では何を描いて何を描いていないか、純粋な創造意欲がなかったから覚えていない。その頃は好きになった異性や好きになったロックバンドばかりが私の世界を占めていて、絵を描いたりする暇のない美術部員だった。
 次に描き始めたのは大学になってからで、それは写生ではなく妄想の表現だった。見えているものは描かず、見えていないものが対象になった。この作業は、無意識的に日常生活や仕事の場面でも行われていて、都合のいいものはよく見えるが、自分に都合の悪いものは全く見えない。
 いけばなも同じであるが、見えない空間を見せたいという気持ちが強過ぎると、いけている花を見失う。

伝統とモダン 250623

2025/6/24

 いけばなに、花器はなくてはならないパートナーだ。愛媛には磁器産品として「砥部焼」があり、伝統的産品の代表だ(とされている)。私たちはそれに花をいけて、日本の伝統文化の一翼を担っている(と思っている)。
 近頃はクラフトマンを職人と呼ぶことが減ってきていることに、みんな気付いているだろうか。私は、職人という言葉を使う人と、それ以上に職人そのものが減ったことが原因だと思っている。
 そして感じるのは、陶磁器を手掛ける職人さんの中でも、職人気質を捨ててアーチストを目指している人が増えたのではないかということ。少なくとも私はクラフトマンではなく、職人気質も持ち合わせていない。申し訳ないが、いけばなをする多くの者もオリジナリティを追求するばかりで、実際には伝統をわかっているフリをしているだけだ。
 ところが最近、私が欲しいと思う花器のラインナップに変化が見られる。いけばなを始めた頃は、モダンな花器や見慣れない花器に目が奪われていたのが、だんだん古い花器に目が向くようになってきた。私の中に、伝統的いけばなのセンスが芽生えつつある。

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