アーチストと職人 240705
2024/7/5
アーチストは常に独創的に、自分をも乗り越えていかねばならない。職人は安定した高品質を顧客に対して生み出し続けなくてはならず、これも大変な宿命だ。
アーチストは、職人と呼ばれたくない人が多い。しかし、キャリアのあるアーチストは、それぞれに職人技と呼べるような独自の技術を持っている。独自性が高いため、万人が使いこなせる技術ではない。独自性でもって新しい価値を生み出すのがアーチストである。
職人は「俺は職人だ」と言いながら、心では「アーチスト」と呼ばれたい人が多い。しかし、親方から相伝した技術を、弟子に伝える使命があって、自分独自の技術にこだわっていては伝承者としての名が廃るのである。既成の価値を伝承するのが職人である。
だから、職人には、あと3つのことが求められる。学ぶ素質、教える技術、教える相手を見つける幸運である。アーチストは気楽でいいかというとそうでもない。孤独を楽しめる素質、強い自己肯定感、購買者を見つける幸運が要る。
いけばなは、アーチストと職人の領域にまたがっているが、軸足の置き方は、人それぞれである。
一 240704
2024/7/5
漢数字の一である。習字を習っていた時、先生から時々この「一」を書かされた。その原島呉峰先生は、私が中学3年の時お亡くなりになり、私は習字をやめた。
先生が使う教本は全部、半紙に自筆かつ自分で蛇腹に製本したもので、表紙は厚紙に包装紙を巻いて仕上げていた。段位(と言っても少年段位)を取った時、白木の表紙の教本と、正月用に虎を描いた半切を軸にしてくださった。掛軸は実家に置いてあったはずなのに、見当たらないのが残念でならない。
字を書くのに、いちばん難しいのが自分の名前だった。自分の名前くらいは上手に書きたいという気持ちが強過ぎて、自分が理想とする人物像に自分の名と字とが追いつかないから納得できないのだった。気分が乗らないそんな時、先生は「一」を書かせるのだ。書こうと思えば書けるのが「一」だし、単純過ぎてどう書いてもうまく書けないのも「一」だ。
いけばなにも「単純化の極」というのがあって、「すべてを含む単純化」という難題である。「つまり、最少の要素で最大のものが表現されていなければなりません」とテキストに記されている。
世代差 240703
2024/7/3
子供だった私にとって、父の世代は理解不能で、祖父の世代はもう想像もつかない彼方にあった。
だが、自分が父の世代になり祖父の世代になってみると、若かった頃と別に変わりないと思う。ただ1点、父も祖父も多くを語らなかったが、戦争をどう経験したかということのみは、経験のない私との間に深くて暗い隔たりを感じる。
いま自分が祖父の世代として、父の世代や子の世代を眺めると、そこには大きな隔たりを感じる。たぶん、情報の受発信の点が特に大きく隔たっているのだ。SNSにしても、私は自然に使っているのではなく、使わされている奴隷に過ぎない。
華道教室(実家)の庭には、昔からドクダミが繁茂する。私が怪我をして帰宅すると、祖父がドクダミを火鉢で焦げないように炙り、クタクタになった葉を重ねて傷口に押し当て、ガーゼを被せてくれた。「この葉っぱ、何?」と聞くと、「ジュウヤク」と一言。「どうして効くん?」と聞くと、「この葉が悪い汁を吸い出す」と言う。「なんで吸い出せるん?」「昔からそうなっとる」「ふーん」。祖父から私への、十分な情報伝達であった。
感謝 240702
2024/7/2
人への感謝は、ただ単に何かをもらったことに対するようなものではない。「お年玉ありがとう!」の向こう側には、幼児らしい感謝の気持ちがあるとしても、祖母や伯父の心情や期待などの心の奥までは見通せていない。大人になったいま(老人にして初めて大人になりつつある気分だが)、人の気持ちをもっと汲めるようにならなくては! と思う。
草月では「花に感謝の日」を毎年3月に設けていて、行事を執り行ってきた。私は昨日はじめて花への感謝を意識したばかりなので、年度末のその記念日をこれからは大事にしていかなくてはならない。
花も生きものだから、花に対する感謝の気持ちも持ちやすくはある。しかし、次なるは、花器や水など花以外の材料に対する感謝の気持ちの番だ。草月の世界では、花と水と花器を等価だと見ることになっている。心では花にいちばん高い価値を与えたいとしても、頭ではどれもがいけばなの材料である。飲み水の貴重さは身に沁みていても、いけばなの水についても意識的であれ、そう諭されるのだ。
で、改めて見つめるのが、道具の筆頭ハサミである。感謝してる?
お返しと仕返し 240701
2024/7/2
私はいつも、お返しの機を逸する人間だった。「総領の甚六」で、王様気取りだったんだろう。タチが悪い。
お返しができない人を挙げてみた。親に対して、子はあまりお返しができない。上司に対して、部下はあまりお返しができない。先輩に対して、後輩はあまりお返しができない。どうやら、立場の下の者ほど上に甘えているようだ。私は、上にも下にも横にもお返しが下手だった。世にはお返しの上手な人がいて、そういう人は上手なわけではなく、たいてい感謝の気持ちが自然に表れているに過ぎない。
さて、いけばなである。私は王様気取りなので、花の個性を引き立ててやるのだ、どうだ、参ったか! そんな上から目線だから、花の方も、本当に優しくない人ね、もう! 悲しすぎるから病気で萎れてやる! と仕返しされるのがオチなのだ。
映画でも、俳優よりも監督の名前の方が大きく出るから、監督は王様だ。しかし、テレビ番組だと、プロデューサーやディレクターより、タレントの名前の方が大きい。私もいけばなディレクターとして、タレントである花たちにお返ししていかなければならんのだ。