楽しくいける 240625
2024/6/25
演者が楽しんでいないと、観客も楽しめないということを聞く。当の本人が面白がっているから、それが観客に伝染していくというのだ。演じているのが悲しい場面であっても、演じること自体は楽しんでいることが大事だということか。
工芸品でも、昔の職人はつくることを楽しんでいたから、ワークライフバランスに縛られた現代の匠の物より数段に良かった。その点、利益を生まなくてはならないワークに縛られた職業カメラマンよりも、利益や時間に一切縛られていないアマチュアカメラマンの方が、時として素晴らしいシャッターチャンスに恵まれるのだという。これは、高知県を代表するフォトグラファー、髙橋宣之さんに直接聞いた。
何度かお付き合いさせていただいた中でわかったのは、髙橋さんは仕事の中に趣味を時々取り込んでいたということ。趣味の中に仕事を取り込むことが私の夢だったが、そっちは相当に難しい。
もちろん、現代の職人でもワークとライフをいい意味で混同している人は少なくない。金儲けして肩をそびやかす事業家よりも、気難しいそんな職人のカタを持ってしまう私だ。
風呂屋の花 240624
2024/6/24
庶民の生活の場であり娯楽の場であった大衆浴場が、都会でも田舎町でも減ってきた。大衆浴場には、壁面いっぱいに細かいタイルで方眼紙に描いたような富士山の絵があったり、ペンキでヘタウマ風に描かれた白砂青松の絵があったりした。
そういう場所に、ファインアートは似合わない。アートディレクターの誰かが敢えて風呂屋を展覧会場に見立てた場合には、そこに期待される機能は入浴ではなく展示だから例外。
いけばなも同じで、敢えて風呂屋に展示しろと言われたら、そこにふさわしいいけばなをいけるだろう。風呂屋にいける花と床の間にいける花とは違うという話である。私は18歳の時、世田谷区上野毛の「大良湯」で風呂洗いのアルバイトをずっとしたから、風呂屋コードに合ういけばなもやれるとは思う。
さて、ホテルや飲食店は、昔ながらの大衆浴場とはまた異なった空間だ。空間によっていけばなのスタイルを変えることは、自然なやり方だ。しかし、「芸術家」の取り組み方は、そこまでの機動力(?)を発揮しないことが多い。例外的に、何でも包んでしまうクリストなどもいるけれど。
暗闇の花 240623
2024/6/24
華道の歴史は室町時代に遡る。ひとまず西暦1500年頃としておく。日本で電力供給が始まったのが1900年頃なので、いけばな成立後400年くらいは日本の夜は暗かった。いけばなは、昼と夜でまるで違った印象だったと想像できる。
私はショットバーにいけさせてもらっていて、そこは現代で最も暗い空間の代表だ。スマホの性能が良くなったとはいえ、実際に暗い場所で三脚も使わず撮影した写真はエッジが立っていない。肉眼では魅力的に見えても(自画自賛!)、写真に撮ると非常に画質が悪くて嫌だ。
インスタグラムに作品を投稿するには、もっと写真としての完成度を高めたいところだが、フォトグラファーでない私が努力する範囲というものがあるように思う。私が目指さなくてはいけないのは、客のいる実際の店舗空間でいかに完成度を高めるかということで、記録写真の出来映えではない。
ファインアートは、環境に関係なく作品の独立性が担保されているかもしれない。いけばなも作品として展覧会場に展示されてもいいが、いけばな本来の存在価値は、現場空間との幸せな相互関係である。
いけばなの文化 240622
2024/6/23
チンパンジーの世界には、文化の差があるという(『想像するちから』松沢哲郎著)。石器を使ってヤシの種を割ってその核を食べるグループがいれば、シロアリの塚(巣)の穴に細い棒を突っ込んで“シロアリ釣り”をするグループもいたりする。
日本人はいけばなをするが、いけばなをしない民族もいる。文化の差は何かといえば、想像力を働かせる関心の対象が違うということ。動物や花の呼び名を子供に付ける民族と表意文字で名前を付ける民族。魚の干物づくりに長けた民族と肉でソーセージをつくることに長けた民族。
いけばなをしてきた日本人は、いけばなのどういうところに関心を寄せ、想像力を逞しくしてきたのだろうか。縁側という緩衝地帯を挟んで、日本人は外界の花を室内に取り込んできた。同時に自分の心や感覚を外に泳がせて、枯山水をつくったり築山を盛ったりした。
ツバメが飛んでくると春の訪れを感じ取り、初ガツオで初夏を感じ、ウナギを食べて夏を迎える。食べ物に関心が向く私だが、要は、日本人は季節と旬の物の関連付けが大好きなのだ。季節と花の関連付けも同じだろう。
狂気 240621
2024/6/22
1973年に、ロックバンド・ピンクフロイドがアルバム『狂気(原題:The Dark Side of the Moon)』を発表した。1975年には『炎』が発表され、その収録曲の中には「Shine On You Crazy Diamond」があった。狂気からCrazyへと彼らは展開したのだった。
私は、1976年に近所のレコード屋で偶然『炎』をジャケット買いして、父母や弟妹に変な顔をされながら、毎日「Shine On You Crazy Diamond」の歌と声にうっとりしていた。翌年『狂気』を買い、17歳の私は完全に打ちのめされた。人生で初めて、狂気への羨望のような熱い気分を味わった。
狂気というのは、本当に狂っている人の思いや行為に対しては使わない。常識的で普通と思われている人の異常な言動にこそ、狂気という表現はリアリティがこもる。計算しつつ壊れていくような危なさが狂気だ。
勅使河原蒼風のいけばなには、鬼気迫る狂気が宿っている。常識もあり、構想力も交渉力もあって創造力もある人の、計画的な狂気が感じられる。私には、狂気を振る舞うだけの突破力がない。狂気はこっそり持っているのだけれど、世間体が気になって勇気が出せないのだ。