流派を超えて 241029
2024/10/30
いけばなというジャンルの輪郭は、正直なところはっきりしない。私が捉えるいけばなは、草月の家元が捉えるいけばなとは、きっと異なっている。また、ひとくちに「いけばな」と言っても、無数の流派を持ついけばな界である。
いけばなはフラワーデザインとの相対的な関係として立ち現れる側面もあれば、華道という世界との関係で現れる側面もあるし、芸術全般の座標での位置付けも可能だ。もっと広く、趣味という大海での位置付けや、生活文化という軸での捉え方もできる。
先日の「県民文化祭いけばな展」で、他流派の方々とお話をする機会を得て、とても勉強になった。特に、池坊の先生の「過去・現在・未来」を作品に包括する意識や、嵯峨御流の先生の「原点に向けて削ぎ落していく」態度などは、私の足りないところを再認識させるような示唆に富んでいた。
いけばなに限ったとしても、それに取り組む私の心身には、いろいろなものが混じり合って入ってくるし、いろいろなものが脱落し続けてもいる。食べ物と同じで、いろいろなものを貪欲に食べて、大いに消化した者が育つのではないか。
二度咲き 241028
2024/10/29
教室の庭の金木犀が、また咲き始めた。10月14日に一度咲いて16日に完全に散ってしまっていたのが、再び芽吹いて昨日からチラホラ咲き、今日はほぼ満開である。そしてこの咲き方は、15年間で初めてのことだ。
私のいけばな歴も少し似ている。40歳で草月に入門して、ホントに自分に合っていると思い、さあ次はどうするかな? と思っていた矢先、42歳で急性心筋梗塞を患い、再び45歳で再発して仕事も辞めた。当然のように、いけばなにも力が入らなかった。体の回復を待って専門学校に就職し、ホテル・ブライダル系の学科だったことから、ウェディングのフラワーデザインを教える資格を取りに行った。外から見ているときは、いけばなもフラワーデザインも同じフラワーの領域だと思っていたが、やってみると意外に異なるジャンルだと実感した。
学校ではフラワーデザインを教える傍ら、いけばな教室では草月流を教えるという同時並行が、それぞれに意識的に取り組むにはとても役立った。おかげで草月に溺れる今日がある。
金木犀は何をきっかけに二度咲きしたのだろう。聞いてみたい。
合作 241027
2024/10/27
合作(複数人で1つの作品をつくる)では、メンバーの様々な関係性によって発言力に序列ができる。だから、先般開催したいけばな展では合作を排除して個人作にこだわった。その展覧会が面白かったのは、作者全員が誰に遠慮することもなく妥協する必要もなく、個々に全力投入できたことに尽きよう。
私の体は私が操れるけれど、私たち複数の体は私だけでは操れない。心は協同できても、体は協同できない。またはその逆もある。1人の人間でさえ心身の合一が難しいのだから、大勢だと支離滅裂になるのがオチだ。
だから、複数人で作品をつくると、調整意識が働いてどうしてもカドが取れてしまう。突拍子もない芝居ができたりするのは、昔の「状況劇場」のように唐十郎という絶対的なリーダーがいたからである。1つの作品をつくる場合だけではなく、展覧会をつくる場合もそうだし、大袈裟な例を挙げると“国づくり”もそうだ。
それでは、これはどうだ? 神輿とかき手の関係である。神輿に対して無名の群衆が「わっしょい」と心と体を合わせると、神輿は上がる。主役は協同する担ぎ手たちである。
対話 241026
2024/10/26
昨日11時半から19時まで、県民文化祭いけばな展のいけこみをした。会場では他の流派の先生方との対話があり、隣の会場でいけこみをしている他団体の方とも出会いや対話があった。それにも増して、私は花器と花材と私との三者の対話に執心していた。対話を繰り返して繰り返した挙句、時間切れのために制作途中のまま「つづく」となってしまった。
今朝も会場に早く行き、また1時間自分の作品と対話しつつ手をかけた。その様子を後ろで眺めていた方がいろいろ声を掛けてくださって、人間同士の対話も昨日の続きが始まった。流派の異なる者同士の対話が成り立つのは、大きな土俵が共通していて、いけばなの「共通語」みたいなものを互いに使えるからだ。
また、もう1つ、対等の立場であってこそ対話は成立する。つまり、私と貴方という別々の2つの個人が1ペアの「われわれ」となるだけの、相手に対する理解と尊敬が前提となる。
そして、異なる流派を理解したり尊敬したりできるようになるためには、想像力だけでは無理で、経験が作用する。経験値が高まると、対話内容も高度化するのだ。
われわれ 241025
2024/10/25
自分を含めた仲間のことを、私たちは無意識に「われわれ」と感じていることがある。少年期は、クラスメートや近所の幼馴染のことだった。青年期には仕事仲間や遊び仲間のことになり、退職すると趣味の仲間や家族のことになる。「われわれ」の範囲は、大きくなったり小さくなったりしながら、再びゼロに近付く。
人間関係から逃れて、自然の動植物他との共生に「われわれ」を見出す人もいる。私の祖父は、幼児の私が庭の柿の木から落ちたとき、私を心配するのではなく、私の下敷きになった盆栽を心配したというので、しばらく母との折り合いが悪かったらしい。
心を許し合う範囲が「われわれ」だとすると、「われわれ」の数を増やすのに障害となるのはプライドである。私自身、高校までは良かったつもりだが、大学生になって以降プライドが邪魔をして、私はほとんど“単数形”の私として孤立し、“複数形”の仲間になれなかった。
唐突で申し訳ないが、今やっと改めて「われわれ」づくりに欲が出てきたのは、いけばなのお陰である。同居猫や実家の近所猫に心を許すのも、花がきっかけだと思う。