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いけばな随想
diary

イメージの羽ばたき 241014

2024/10/18

人はゼロから何かを生み出すことはできない。いけばなを創作するにも、花材のことを何も知らないでそれを使うことはできないし、ネジ釘やワイヤーの存在を知らずに竹を組むこともできない。

また、先人の作品を知っていて、いけばな世界の広がりを地図化することができるから、自分の進路を設定することも可能になる。できれば、これまで誰もつくらなかったもの、さらにできれば、この先も誰もつくらないものを目指したい気持ちがある。目の前で見た他人の作品の発想や形状の一部を取り込みたくなるものだけれど、目に見えていないものをつくりたい欲求が上回る。

しかし、時には人の作品への嫉妬や、世間の目に対する躊躇などによって、自分のイメージが全然羽ばたかないこともある。心が乱れると小さな悪いイメージがたくさん湧いてきて、想像力が閉ざされ、些細な現実的問題に右往左往することになる。

個性的な作品を創作するという場合でも、結局は他人や他の作品の一部または全体的イメージを模倣して組み合わせているに過ぎないが、この諦めを受け入れることで、改めて再出発ができる。

伝えることの難しさ 241013

2024/10/18

今日は「愛媛県支部 草月いけばな展2024」の最終日だった。私の作品は見る人に雄弁に語り得たであろうか。

さて、アナウンサーの喋り方の練習や俳優のセリフの説得力の訓練では、いわゆる棒読みが如何に人に伝わらないかを教わる。

大事なのは「間」の取り方だという教えが初級である。句読点を意識して区切りを明確にすることで、意味のまとまりをつくり出すことができるし、聞き手が内容を咀嚼する時間を与えることもできる。話題転換のきっかけをつくることもできる。中級の教えになると難易度は上がる。たとえば、本当に伝えたいセリフは、大声を張り上げるのではなく逆に囁くように喋れと言われたりする。その方が聴衆は聞き耳を立てて集中できるのであると。

いけばなも同じで、見せどころを盛り過ぎると観客が息継ぎできずに苦しむことになるし、大袈裟に装い過ぎると大声を張り上げる俳優に対するように耳を塞いでしまう。何事も準備の段階では前のめりになって抑制が利かないが、終わってからは冷静に自己評価できたりもする。徹頭徹尾コントロールするというのが、上級の教えだ。

想像力 241012

2024/10/18

聞くことと想像することの間には、それなりに補完的な関係がありそうだというのが前日の話だった。しかし、よくよく考えてみると、見ることとの間でも想像することは切り離してしまえないようだ。

遠い山を見て紅葉の気配が感じられても、紅葉しかかっている木の1本1本を見定めることができないとき、私は頭の中で楓などの木の姿を想像して、見えたかのように納得してしまっているうことができる。百合の雄しべの花粉の1粒1粒を見分けることができないとき、経験から、今はまだ手で触っても色が付かないとか、これはもう服に付いたら色が落ちないとか、目で見る情報以上のことを経験と想像で補っている。

いずれにしても、聞くときも見るときも、バックグラウンドでは想像力が常に立ち働いているのだった。そして、この想像力が、匂いや手触りなど全ての感覚の中で働きながら、五感の横の連携役を買って出ているのだった。

想像力が五感を統合してくれるおかげで、私たちは花を見るだけで花の声を聞けるし、花を嗅ぐだけで花に触れることもできる。いけばなは、だから想像力の産物だ。

聞く力 241011

2024/10/17

コミュニケーションは、聞くことと話すことで成り立つ。聞くことは相手を理解することで、話すことは自分のことを相手に理解させること。つまり、相互理解がコミュニケーションだ。

いけばなでは私が花に話すことがもっぱらで、花の方はなかなか私に話してくれない。だから、聞く行為は何かで代用しなければならず、それは花の言いたいことを想像するということに行き着く。

人間の五感の中では相対的に視覚が最も優位だと言われるが、遠い物を見る視覚よりも遠い音を聞く聴覚の方が、遠くを察知することにかけては優れているように思う。香りに関しても見ると言わずに聞くということから考えても、明確でない事象を認知できるのは視覚ではなくて聴覚だ。

だから、いけばなでは、微かな花の声を聞き耳たてて想像しながら捉えることが重要だ。いけばなは見せるものだけれど、制作上は見ること以上に聞くことを大事にしなければならず、聞くことのうちには想像することも含まれるし、目による子細な観察も聞く行為の一部に含まれる態度だ。また、枝葉を触って状態を知るのも、聞く行為の一部だ。

いけばなの訴求力 241010

2024/10/17

アートには様々なジャンルがある。いけばなもアートの1ジャンルだと思っているが、いけばなの特殊性に改めて着眼したいと思う。

絵画や彫刻の展覧会場では、作品から香りが立ち昇ってこないが、いけばなは、見ているその場で香りも立ちのぼっている。また、いけばなは、見ているその場で花が開き始めたりしぼみ始めたりする。花びらが1枚落ちたり、実がはじけたりして、時間経過と共に微妙に姿を変えるのだ。だから、視覚だけで捉えるのはもったいない。作品によっては触ってもいい。五感をそれぞれ独立させて見るのではなく、五感を総動員して協同させて見てほしい。

いけばなは、花と人との共同作業だ。しかも、花の方から積極的に話しかけてはくれないから、意思疎通に失敗することもある。花の言葉を知らない私は、いけばなを始めて十数年間は、花とのパートナーシップがうまくいかなかった。だからこそ、予想外の展開や結末を楽しめる。作者自身が予測できていないワンダラスな取組だと思う。

この、予測不可能性を持っていることが、いけばなの生き物的な魅力であり、力なのだと思う。

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