ヒナゲシ 250510
2025/5/11
庭の片隅に去年2~3本のヒナゲシが咲いた。今年はいきなり大きな群生である。私が好きなのは乾いた大地に揺れる数本のケシの花という荒涼とした景色なので、群生というのは困る。
だいたい私は寂しい風景の方が賑やかなのよりも好きだし、雄大なのや豊かなのよりも好きなのだ。賑やかな風景は、モノが溢れ過ぎて何を見たらいいのかわからない。雄大な風景はパノラマ写真を見るように視線を動かさなくてはならず、やはり視線を集中できない。豊かな風景というのは例えば春の里山だったり、蜜柑畑が蜜柑色に覆われる島だったりで、そんな景色は安穏のあまり緊張が解けてピントがぼやける。
そうは言っても、いけばなはTPOが大事だし、豪華ないけばなを私もつくることができる。しかし当面できないと思うのは豪華絢爛ないけばなだ。めくるめく絢爛さを表現するために、わざわざヒナゲシを使おうとは私も考えない。そうすると、大振りで鮮やかな色の花を使うことになるだろう。
自分に自信がないのかどうなのか、殻を破ろうと思って努力はするのに、服装でも鮮やかな色はやはり落ち着かない。
飲み会 250509
2025/5/11
昨晩飲んで今晩も飲んだ。昨晩の酒が残って絶好調ではなかったけれど、飲んでいるうちに好調になった。食事は昨晩に続いて行きつけの居酒屋へ行った。大雨だったので街で飲む人が少なく、私の連れはとてもよく気が利くので、大将と女将(と呼んでいるアルバイトの女性)にも酒を勧めて、一家だんらんのような感じになった。
ちなみに彼とは初めての飲み会だったので、彼の気働きを目の当たりにして驚嘆したのだが、行きつけになりつつある2軒目のスナックでも彼のサービス精神は板についた本物であることが分かった。どちらの店でも私は単なる客でしかなく、彼は初めてにして特別な客となった。
私は彼の振る舞いを噛み締めながら、1人でもう1軒ハシゴした。その初めてのショットバーでは、出張でよく来る客の若者とマスターが話し相手になってくれた。自然で飾らないサービス精神が心地よい。これは、金を払う側とか貰う側というのではなく、互いに人付き合いすればよいことだ。
無理にこじつけて恐縮ながら、私はいけばなで花に対するサービス精神が足りない。花とも飲んで、語り合おう。
奇態 250508
2025/5/11
高校の同窓会の集まりがあった。ゴールデンウィークはその絡みで諸先輩方にお会いする機会を得て、人生とは人さまざま奇態なものだと感じ入った。奇態という言葉は日常あまり使わなくて、使うとしたら風変わりなとか独特なという表現が多いと思う。ところがとても変わっているとき、風変わりくらいの表現では収まらなくて、出てきたのが奇態なという言葉である。
いちばん驚かされたのは、94歳にしてヒコーキ野郎を現役で続けている先輩だ。聞いたままを書くと、空港に1日850円でずーっと駐機している自家用セスナがあって、こないだは二宮忠八を顕彰するイベントに合わせてちょいとひとっ飛び八幡浜上空まで行き、祝賀のために旋回して帰ってきたわとのこと。別の人の話では、彼の自家用車はボコボコだという。
できれば他人に迷惑をかけない行動が望ましいが、奇態というのは多かれ少なかれ迷惑なものだ。これは自分を振り返ると否定できない。過去は洗い流せないので、未来に向けて罪滅ぼしをしていくだけである。
植物にも時々奇態に出会う。いけばなで使うには、もってこいである。
好きな花、どうでもいい花 250507
2025/5/11
好きだからといって餅ばかり食べていると飽きるように、好きな曲ばかりをプレイリストで流していると飽きが来る。そんな時ランダム再生で聴くと、忘れかけていた曲に改めて心惹かれたりして楽しい。要は好みは変わるということ。
ところで当たり前のことだが、1曲の中でもより好きな部分とそうでもない部分がある。ほんの2小節くらいの好きなメロディーのために、5分間の演奏全部を聴かねばならない。これは仕方がない。サッカーの試合などは、1点のゴールシーンのために90分も観戦しなければならない。
大袈裟かもしれないけれど、人生なんてどんだけ無駄な時間を浪費してきたか。考えるのも恐ろしく、そこに行き着いてしまうとムダこそ人生だと悟らなければ生きていけない。
そして、いけばなだ。作品を展示していて「あっ、あの百合はホント豪華ねえ!」「あのバラの色も渋くてすてきだわぁ!」というような声が聞かれる。私の歌の聴き方と同じで、部分にばかり気を取られる人の何て多いことか。作品全体を褒めてくださいと願いながら、好きな花だけに目が向く人も恨んではいけない。
いけばなのこだわり 250506
2025/5/6
部品にこだわる工場は多い。生地にこだわる仕立て屋も多い。ハサミにこだわる床屋も、材料にこだわる料理店も、シューズにこだわるランナーも、画材にこだわる絵描きも、墨にこだわる書家も多い。
私には何かこだわりがあるだろうか? 花器はたくさん持っていて、置き場所さえあればもっと欲しいが、もう十分という気持ちでもある。花材はできれば季節感を大事にしたいがそれ以上は特に求めないから、花屋の店頭にあるものを買う。花鋏も生徒さんの何人かが私より高価なものを買ったから、仕方なく同程度のものを買った。驚いたことには、私の持っている花鋏は、私が家で毎晩飲み比べている6本のスコッチウイスキーのどれよりも安い。
そんなことをうつらうつら考えていると、先日思い切って購入予約した花器は、一昨日買ったTシャツのたった2枚半の金額だと気付いた。値段の高い安いの感じ方で言うと、いけばなに関連する道具その他はどれも高く感じている自分がいたわけだ。
高いものを買おうとしたのか、こだわった結果それが高いものになってしまったのか、大いに見直してみたいと思う。