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いけばな随想
diary

ギャップは大きいほどいい 231222

2023/12/22

 私は、旅行の際に事前調査をあまり行わない。交通・宿泊だけは確保して出発するが、現地でどこへ行き何をするかは、行き当たりばったりだ。
 完璧な行程表を作らなくては気が収まらない人も、有名観光地を1つでも多く網羅したい人もいらっしゃる。それは理解できなくもない。しかし、私は旅行に対して、安心よりも驚きを求めるタイプなのだ。
 たまたま得た情報で、美味しいとされている店に行ったとする。しかし、凡そ期待の2倍も満足したことはないし、期待通りだとしてもそれでは減点0でしかなく、期待以下だったら目も当てられない。一方、不味いという評判の店に、それはそれで無理をしてまで行くことはしない。
 最もスリリングなのは、情報のない店だ。自分の直感に賭けて、薄汚れた店のドアを恐る恐る開ける。客も少なく、身の置き所に困るような雰囲気。店の人も他の客も、「あんた、何で来たん?」みたいな顔。それで滅茶苦茶おいしく、居心地も良かったりすると、期待の10倍も得した感じを得られる。
 いけばな制作も、下準備を完璧にしないことで、いつも危ない橋を渡っている。

お金と時間 231221

2023/12/21

 私の人生のほとんどは、企業と学校で働く時間に充ててきた。そこには既成の働き方や既成の仕事があって、私はそれを少し自分流にアレンジして働くことで給料に換えていた。時間の自由は少なかったが、お金の自由は増えていった。
 いま、いけばなを仕事にして、既成の働き方でも既成の仕事でもないので、手探りでお金に換える方法を模索している。20歳代前半も、自由業と呼ばれる範疇で働いていて、日々お金に困りながらも最高に楽しい気分を満喫していた。お金には不自由していたが、時間の自由は十分にあった。
 お金に不自由すると心がすさむことがある。心がすさむと、お客様のためにならないことをしたり、仲間や取引先を搾取したりして、お金が増える。お金が増えると心に余裕ができて、お客様のための仕事ができるようになり、仲間や取引先との関係も良くなる。すると、そのお客様にもっと尽くしたい、仲間にも苦労をかけたくないと思い、自分が無理をし始める。無理をするから、時間を失い健康を害する。
 働き始めて丸40年。時間とお金のバランスは今でも不安定で、困ったものだ。

意味と意欲 231220

2023/12/20

 庭木の剪定をすると、切り落とした多くの枝が山になる。放置しておくと、枯葉が風に吹かれて散乱する。近所迷惑を防ぐ必要もあり、何年かの月日をかけて、片付け方を少しずつ工夫してきた。
 現在のところは、まず、1回に1本しか剪定しない。片付けながら観察すると、枝ぶりや成長度合いなど、その木の特徴がよくわかる。そして、切り落として2週間くらい地面に放置し、生乾きにする。すると、葉が乾いて離れやすくなるので、それを落として捨てる。次に、枝だけになったものを見て、形の良さそうな部分を切り残し、あとは短く刻んでゴミ袋に入れる。仕上げは、切り残した枝を自然乾燥させて「枯物」花材として使う。彼らは、結構いい仕事をしてくれる。
 このように再利用を前提に剪定すると、ノコギリやハサミを入れる回数が減った。木々の表層を外側からジョキジョキ切り進んでいたのが、いまは、木の中に潜り込み、太い枝にここぞと目星を付けてバサリと切り落とす。
 庭木本体のみならず、切って落とす側にも同等に関心を寄せることで、剪定作業の意味が変わって、意欲も高まるのだ。

美の判断基準 231219

2023/12/19

 高校3年時、放課後ポヨヨンと歌謡曲を聴いていた私は、後輩のTK氏から「普遍性というのは、歴史を越えて国境を越えて受け入れられる、つまり時空を越えて鍛えられたものこそが普遍性を持っているということなんです!」と詰め寄られ、是非ともクラシックを聴いてくださいと懇願されたのは、私の人生にとって決定的な瞬間だった。
 成人して後、「なけなしの自分のお金で絵を買う行為を重ねると、芸術を見る目が格段に鍛えられるんです」と言われながら、彼の家で彼が買った絵の1枚を見せてもらった。縦横斜めに描かれた直線が折れ曲がった先に、宙吊りにされたニワトリがぶら下がっているモノクロ線画だったと記憶している。
「ふーん。それにしても、この曲いいねー」と、その絵よりも彼がかけているBGMに興味を示すと、「わかりますか!」と、やや興奮気味の彼は、Neville BrothersのそのCD「Yellow Moon」を「差し上げます!」と言って、くれた。
 私は幸運である。若い時から、自分の美的基準をはっきり示してくれる身近な人がいてくれたのだから。その後、数をこなして自分の基準も見えてきたような気がする。

未来にあるもの 231218

2023/12/18

 いけばなは、「そこにあるもの」だけがあるのではない。
 いけた本人が「背景の山を借景している」ということであれば、そのいけばな作品の大きさは空間的には直径5kmにだってなり得る。いけばなの空間にはドローイングの絵のような額縁がないから、「そこにないもの(遠い景色)」も、作品の一部として持ってくることができるのだ。
 いけばなは、時間的にも表現を拡げていくことができる。
 いけばなで使う植物は、人の感覚で感じ取れるくらい速い速度で生長し枯れていくため、私たちが普段使っている意味での「現在」と呼ぶ時間に、もう少し前の過去ともう少し後の未来を含んでいる。実際にも、1本の枝の下の方の花が散り始めている丁度その時に、枝先の方の蕾が膨らみ始めていたりする。つまり、過去に存在していた種子や蕾の面影を残しつつ、未来に存在する枯葉や新しい種子を予感させているのが植物だ。
 そんな植物をおもな材料とするいけばなは、やはり「いま」の範疇が広くて、「過去」や「未来」と断絶することなく、「現在」において「未来」を先取りしながら表現できる様式なのだ。

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