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いけばな随想
diary

イメージと観察 240428

2024/5/7

 いけばなをする時、飾る場所をイメージしなければならない。場所が決まっている場合、そのスペースより大きいいけばなは邪魔なだけだから。
 いけばなをする時、用意した花材すべてと花器とを見渡さなければならない。イメージと花材と花器とが、一体的にコーディネートされるために。
 いけばなをする時、花材の一枝一枝をよく観察しなければいけない。その一枝の一番の魅力を探し出してやるために。
 いけばなをする時、手元の鋏から目を離してはいけない。大事な枝や、もっと大事な指を切ってしまいかねないから。
 いけばなは、思い描くイメージと、材料である花や花器の観察とによって形作られていく。全体を見て、指先を見る繰り返しである。構想が優先しすぎると花材が付いていけないので、花材の細かい観察は重要だ。
 日頃の花材観察が足りていないことが原因で、私のいけばなは構想倒れに終わることが多い。そんな時は謙虚になって花材の性質に合わせたいけばなをすればいいのに、自分の構想に固執してしまって、花材を切り刻んだり折ったりしてどうしようもなくなることがある。悲しい。

小で大を表す 240427

2024/5/7

 俳句の魅力の1つは、最少の言葉でどこまでも大きな世界を描けることだ。それは、1語1語の持つ力を高めることによって実現できる。また、語と語の組み合わせや順序から、思い掛けない世界を広げられもする。私が最終的に目指したいのは、いけばなでその域に達すること。
 最近、腱鞘炎が慢性化してきた。左手の親指が痛くなり始めたのが3年前の夏だ。今では左手の肘まで痛い。右手の手首の外側も痛くなってきた。海に囲まれた四国に暮らしているのだから、流木を使った作品をつくりたい気持ちがあったし、それを諦めたわけではないけれど、何しろ流木は重い。できれば、軽くて小さい花材でやりくりしたいものである。そこで、俳句のようないけばなという文脈が生まれたのだった。
 草月の二代目家元・勅使河原霞が、ミニアチュールという小世界のいけばなジャンルを1つの形にした。それは、複数の小作を組み合わせて、ひとまとまりの作品に仕上げるもので、小作の1つ1つが俳句の5・7・5に相当するともいえる。
 私が夢見るのは、花と葉や枝の5・7・5で1つの小作を構成することだ。

作品の大きさ 240426

2024/5/7

 いけばな展では、作品ごとに花席と呼ばれる空間が提供される。慣例的に、小作・中作・大作に分類されることが多く、出品料はスペースの大きさに比例する。
 だいたい、キャリアの浅い人が小作を出し、キャリアのある人が大作をつくる。県展や日展の絵画を見てもそのような感じがしないではないが、初心者で大作を出す人もいるらしいし、逆に細密な小品を得意とする画家も少なくない。
 学生時代に所属していた演劇部では、初めの頃、最大限の発声と大げさな動作を促された。小さな声の持ち主は大きな声を出せないが、大きな声の持ち主ならば小さな声も出せるという理屈だ。しかし、何か月か稽古を積んでくると、「お前の動作は大き過ぎる! 真の悲しさを表現したいなら、大げさに泣かず肩だけ震わせてみろ!」と、演出家からアドバイスが来るようになった。
 人が舞台に立つ芸術文化は、演じる人が等身大の身振りで精一杯演じる。千利休の茶道の世界では、茶室がどんどん小さくなっていった。映画だけは大きい画面で見たいが、いけばな作品は、必ずしも大きさが良し悪しに結び付くわけではない。

スケッチの効用 240425

2024/5/6

 スケッチといけばな作品との関係が緊密であることは、昨日述べた通りである。そして、スケッチは自分の作品制作に貢献するだけでなく、他人の作品を鑑賞する上でも相当役に立つ。
 というのは、作品をスケッチするように眺めることで、長さや角度、ボリュームや奥行など形状を大まかに把握しやすくなる上に、カメラに記録するだけでは気付かないことにたくさん出会えることから、制作の意図まで容易に想像できてしまうからだ。
 スケッチで捉えなおすよう鍛えた目で見ることで、写真に撮るだけでは漠然と見逃してしまう特徴をリアルに体感できる。「あの枝は重そうだが、どう支えているんんだろう」「あの花は宙に浮いているが、どうやって水を補給しているんだろう」というように、作品の成り立ちを探る目が養われる。それは決して一般的な見方ではないかもしれないが、疑問や納得の数が、結局自分のいけばなの上達のカギとなる。
 スケッチをすることは、いけばなを“目で見る”だけでなく“手でも見る”ことによって、自分と他人のいけばなが頭と体に沁み込むように理解できるようになる。

いけばなとスケッチ 240424

2024/5/6

 草月のカリキュラムの中に、イメージをスケッチしてから実際にいけるという課程がある。それが癖付けされていて、日本いけばな芸術協会の展覧会に出品した際にも、我々はちょっと雑ながらスケッチを描いてから臨んだ。そして、ほぼ計画通りに制作できた。また、日頃の稽古では、いけた自分の作品のスケッチを推奨している。
 なぜ、そんなにスケッチにこだわるのか? 
 草月のテキストの冒頭には、枝や茎の適切な長さが、花器の高さや広さと対比させて規定されている。そして、基本・応用の型では、枝や茎の方向と角度が規定されている。それさえ守っておけば、どんな花材を誰がいけても、それなりに“上手ないけばな”がいけられる。
 スケッチすることによって、忘れかけていた奥義を鮮やかに思い出すことができたり、自分が表現したいものが「線」なのか「マッス(塊)」なのか、それとも「色」なのかを、いま一度再確認する作業ができる。スケッチが事後であっても、自分の作品の出来栄えを、「ああ、うまくできた」というような感覚的・感情的にではなく、第三者の目で評価できるのである。

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