マンネリ 240331
2024/4/6
有名な小説家や画家であれば、それは作風とか画風と呼ばれるかもしれない。スタイルとして、価値あるものとなる。
しかし、それが凡人である場合、同じようなスタイルの継続はマンネリと呼ばれて、軽蔑の対象になってしまう。
この差は何だ? と考えた。つまるところ、水戸黄門の「この印籠が目に入らぬか!」という権威レベルになると、人々は安心して「ははー、恐れ入りましてござりまする」と平伏できるのだ。ここでは、型として肯定的に捉えられるのである。
しかし、無名の馬の骨ごとき輩が「馬鹿の一つ覚え」を繰り返していると、人々からつまらん奴と見下されるというわけだ。ワンパターンと言われてしまうところのものとなる。
昨日から、同じ問題について考えてきたので、そろそろ結論付けよう。まず、型、習慣、ルーチン、傾向等々の言葉には否定的ニュアンスがない。マンネリ、ワンパターンには否定的ニュアンスが強いのは、その2語には「新鮮味が感じられない」という評価が含まれていることに尽きよう。逆に、新鮮さを感じさせられれば、有名か無名に関わらずマンネリ脱却である。
パターン化 240330
2024/4/2
ウチの猫は、10日前後で寝床を次々変える。寒い、暖かいという感覚以上に、彼女なりの緊張とくつろぎの方程式があるからに違いない。
猫なりに少し環境を変えて、腐ってしまうくつろぎではなく、気持ちが新たになるくつろぎを探しているのではないか。人間も、丸1日、同じ椅子に座って同じ姿勢でいると、気が滅入る。
私は、夜出かける店も経路も、犬の散歩以上にパターン化してしまった。このままでは、腐る。そして、問題は、私のいけるいけばなもパターン化していないかということ。そうだとすれば、感覚も技術も腐る。時に古い場所に立ち返ることがあってもいいと思うが、必ず新しい場所を開拓し続けなければ腐る。動かない水も腐る。
野生動物は、ねぐらを複数持っていて、天敵に居場所を特定されないよう命を永らえる工夫をする。私は、ねぐらをたくさん持つようなバイタリティがないけれど、旅芸人の一座やコンサートツアーで世界を回るバンドは偉い。ノマドワーカーも偉いし、コワーキングスペースなどで仕事をする、“私物”にこだわらない個人事業主やビジネスマンも偉いと思う。
場の力 240329
2024/3/30
私は、酒を飲むことも酒そのものも好きだ。だから、自分1人でスコッチウイスキー大会と日本酒選手権大会とを目下開催中である。「とても好き」「好き」「もう買わない」の3つでランキングする。新しい酒を飲むたびに評価してランキング表に加える。1位から3位はかなり不動でも、2~3年経つと、体の衰えに伴う好みの変化で少し順位が入れ替わる。
この取り組みで困るのは、家で飲む評価よりも、バーで飲む評価の方が断然高くなること。家では緊張感がないせいで、味覚の働きが鈍いのだろうか。しかし、カクテルであれば作る技術差が優劣を生むだろうが、私は基本的に外ではスコッチウイスキーをストレートで飲むので、家で飲んでもバーで飲んでも同じ具合で飲めるはずなのだ。
先日、美術館で企画展を見て、展覧会の図録を買った。現物に対して、図録の写真は解像度が低いし筆致が見えない。本物に勝るものはない。これはしょうがない。
さて、いけばなも場の影響を受ける。花展の難しさがそこにある。誰に見せるでもないお稽古花も難しいし、不特定多数に見せる花展も的を絞りにくい。
完成度 240328
2024/3/29
著名な画家の絵の中には、シロウトからすれば「塗り残してるじゃん」としか見えない作品もある。陶器にも、「歪んでるじゃん」というのから、「少し欠けてるじゃん」というのまである。
日本のバブルが弾けていない1990年代後半、パリの高架橋の下に並ぶブティックの店頭に、日本のいけばなにインスパイアされたような、生花のディスプレイがちらほら見られたので、その後の行動では、店頭ディスプレイを気にしながら歩くようにした。
総じて言えることは、日本の工芸的職人芸を見るような見方をすると、雑さが目に余るものが多かった。しかし、繊細な仕上げ技術よりも、造形全体の構成力が優れている方が、歩いている自分の目を楽しませるという点で芸術だと思った。
いけばなは、汚らしい仕上げよりも、美しい仕上げの方が望ましいというのは、どちらかといえば工芸品への期待に近いものを感じる。美しい方がいいに決まってるでしょ? と言い切ってしまうと、いけばなと芸術とは別のジャンルになってしまいかねない。
いけばなの美の完成度をどう見せるかが、その作家の傾向と対策だろう。
好み 240327
2024/3/28
自分が好きな物事を、他人に「いいね」と言ってもらうことは快感だ。そのために投稿をやめられない人が増えるし、コレクションで散財する人も増える。
私は徹底が足りないことが幸いして、家を失うほどには散財していないが、それでもコレクターの末席にいる自覚がある。
最もハマったのはLPレコードの蒐集。高校生のとき、ラジオの「オールナイトニッポン」で流れる曲を聴いて、貯めた小遣いを握ってレコード屋に走った。最初に買ったLPは、クイーンの『クイーンⅡ』、次がピンクフロイドの『炎』。日本の歌謡曲なんてカッコ悪い! という気持ちだった。日本版の洋楽ロックの購入から、次第に、友人の持っていないバンドのアルバムを買うのが、とんがってカッコいいと思うようになり、“輸入盤”専門店へ出入りするようになった。バカだね。
LPは、聴けば聴くほどレコード盤の溝が擦り減る。だから、最も好きな部類のレコードは、保管用にもう1枚買う。その中でも最高に好きなアルバムは、CDも買う。大バカだね。
今は、もうLPもCDも買わないが、なぜかどんどん花器が増えていく。