自分の作品批評 240418
2024/5/5
いけばな展では、たくさんの他人の作品が一堂に会すので、それらと比較して悔しい思いや得意な気持ちも持ちながら、それでも自分の作品はまあまあだったかなと、いいところを見つけて最後は自画自賛する。
いけばなは、線と色と塊でできている。うまくいかないときは、その全部を欲張ることをしない。線と色にこだわるとか、線と塊を対比させるとか、2つの要素に意識を絞る。それでもダメなときは、どれか1つに絞り込む。
今回のいけばな展は、合作での出品だ。展示会場の図面を見ると、背景が薄いピンクだったので、ピンクのグラデーションで表現しましょうという方針がまず決まった。濃いピンクに着色したルトジとピンクのアンスリウムを花材に選んだ。そして線は、太い藤蔓と細いアンスリウムの茎を組み合わせた。塊の表現は抑え気味に、ルトジとカスミソウでふわっとしたふくらみを持たせた。
完成後、会場を見渡すと、自分たちのピンクが目を引いていた。構成上の不足感はあったけれど、できるだけのことはやったと思う。他人の作品に対して批評家になっても、自分への批評は甘くなる。
日本いけばな芸術展 240417
2024/4/22
ハレの場である。出品者が晴れやかな服装で集まる。私は黒っぽいスーツに白Yシャツ、明るい紫の無地ネクタイで初日に臨んだ。着物の女性も多い。
順路に従って、会場全体を見て回る。大きく分けると、伝統を感じさせる楷書的作品と、新しさを感じさせる草書的作品があって、草月のいけばなは後者に分類されると実感した。良し悪しは関係ない。草月の作品は普段から見慣れているので、むしろ“古風”を感じさせる作品も魅力的に映った。
別の切り口で分類すると、展示スペースに対して大きい作品と、小さい作品があった。これについては一長一短で、前者は大きい作品が若々しい圧力で迫ってくるし、後者は周辺空間(余白空間)が、こなれた大人の余裕と静けさを感じさせてくれた。
本来、いけばなは「その場その場」にふさわしくいけるものだから、いけばな会場にふさわしくいけることが正解だとは思う。ところが、そのふさわしさがどういうものなのか、まだ解らない。
伝統的にいけるか新規性を目指すか、作品を大きくいけるか空間を大きくいけるか、迷ったままで次のいけばな展を迎えそうだ。
いけばな展の搬入 240416
2024/4/22
日本いけばな芸術協会の展覧会(会場は大阪髙島屋)に、初出品だ。草月流の愛媛県支部から、3人での合作出品。6日間を前期と後期に分け、日本中のいけばなの流派から、のべ300点以上の作品が出る。
今日は前期のいけこみ日。搬入口、バックヤードから展示会場まで大いにごった返した。私の経験上、最大の会場、最大の出品数のいけばな展なので、かなり不安はあった。ところが、実際の混雑ぶりは不安どころの騒ぎではなく、びっくり仰天!
よい作品をつくるためには、花材持込のしっかりした段取り、花器への給水や廃材の処理の具体的な準備、展示台が汚れない作業をしなければならないこと、両隣のチームに迷惑をかけないこと、限られた短時間で作業を終了させることなどなど、当然心構えはしていても、現場の混雑があんなに足を引っ張るということまではイメージが足りていなかった。
イメージできないことは、当然マネジメントできない。経験がなくてもイメージできることはあるだろうけれど、いけばな展に関しては、1度は経験しなければ、はっきりイメージできないことがわかった。
合作のいけばな 240415
2024/4/22
いけばなには、複数人がリレー形式でいけていく「連作」の方式もあるが、ここで言うのは「合作(共同制作)」だ。
演劇であれば、音響・照明など様々な役割の分業体制が敷かれる。しかし、いけばなにおいては、制作者全員が「プロデューサー」兼「監督」兼「脚本家」兼「運搬係」兼……の兼任なので、名前の出る制作者全員がみんな主役ということであって、主役の乱立はもう大変だ。
大抵の場合は、資格や年齢などの微妙な力関係の影響によって、落ち着くべき所へ落ち着くことにはなるだろう。けれども、その差があまりない場合、自分を主張しながら他を尊重するという、ぎりぎりの駆け引きを静かに繰り広げることになるだろう。そのとき一番困るのは、メンバーそれぞれの主張よりも遠慮が勝って、つまらない成果に終わってしまうことである。
そんなことを思うと、大きい作品でも、1人で制作する方がよっぽど楽かもしれない。または、ずば抜けた実力のある“棟梁”のもとにチーム編成するかのどちらかだ。空間に構造を組み上げていくという点で、大きい規模のいけばなは、建築に似ている。
自分は何者か 240414
2024/4/21
一度は名乗ってみたかった「コンセプター」と名乗ることがないまま、人生も末期に差し掛かった。「アート・ディレクター」、「主任研究員」、「教頭」等々を名乗った内で、「プランナー」の肩書がいちばん便利だった。
「プランナー」として俳句といけばなをコラボさせた冊子の企画が通り、愛媛県文化振興財団から『百人一句』が出版された。国際俳句が盛んな時期でもあり、視覚的効果を高めて俳句への関心を広げる意図があった。いけばな師匠のお2人が、俳句から得たインスピレーションで花をいけ、その書籍に花を添えた。その1ページに、私自身の花オブジェも忍び込ませ、私のいけばなのキャリアが始まるきっかけとなった。
あれから二十数年、仕事を辞めて、私にはいけばなが残った。
私は、まだ「華道家」と名乗る自信がない。かといって、いけばなの領域を越えようとする自分もいるので、「いけばな作家」とも言いたくはない。
暫定的に「いけばな草月流師範」を肩書にしていると、生徒の1人から、理事の資格をもっとアピールした方が、習いたい人にとっていいのだとアドバイスされた。