一大事 231210
2023/12/13
華道部を教えに行っている松山商業高校の階段の壁に「二流は三流を見下し、一流は二流からも学ぶ」というような箴言が掲示されている。若い頃は、私も一流になりたい気持ちが山々だったが、今となってはそんな気概も懐かしい。
草月の師範資格は、8段階ある。私が習い始めたのは40歳で、資格のことには何の興味もなかった。資格が人格や技能のすべてを表しているなどとは思っていないものの、今は少し感じ方が変わった。資格を得るために費やした時間とお金、そして手間暇などは、少なくとも自分の心構えか腕前を一人前にするためには必要なのだったと実感する。
かつて、後輩に、「絵は買い始めてから、本当にわかるようになる」というようなことを聞かされた。展覧会場で絵を観るうちは他人事でも、いざ金を払って買うとなれば自分事の一大事だ。この「一大事」をどう自分に課すかが、その本人の行く末を照らすこともあろう。
進学や就職を目指す高校3年生には、受験の一大事が降りかかる。しかし、他人や社会から課せられた一大事がなかなか身にならないのは、社会人も同じだ。
見極め 231209
2023/12/11
松山商業高校の文化祭で、華道部20人の生徒と花材・花器について相談した。部活動の時間や予算との関係で、準備は不完全なまま、ぶっつけ本番を迎えてしまった。
いけこみも、2時間しか取れなかった。前任の先生にも手助けに来ていただいて対応したが、1人ひとりを十分に見てあげることができなかった。真剣には見てあげたけれど、見入るところまではできなかった。
見入ったり見つめたりすると、より細かい部分が見えてくる。木を見て森を見ずという諺もあって、細かいところにこだわり過ぎる弊害もあるかもしれない、というのはここでは言い訳だ。
あと2時間あったらどうだった? と問われても、体力的にそれくらいが限度で、見られる生徒も集中が切れてしまうだろうし、何時間が理想かはわからない。
この消化不良の気持ちにならないようにするためには、素早く見極める能力を高めるしかない。あとでゆっくり考えると、指摘すべきポイントに思い当たることはある。あと回しにせず瞬間的に最適なアドバイスができるようになるためには、よく見るトレーニングを積み重ねるしかない。
塊の表現 231208
2023/12/11
小学校・中学校を通して習字の教室に通っていたので、私は墨の香りが好きになった。先生がお亡くなりになって、新たに紹介された先生とは反りが合わず、通うのをやめてしまったのは残念だった。しかし、その後も自己流で、墨文字を書くことを続けてはきた。
文字と余白の関係は、主役と脇役の関係ではなく、それぞれが気ままに主客逆転するような関係だと思うが、紙の上に墨を置く時、私は文字が生まれる様子よりも余白の現れ方に心が奪われる。
その延長線上で、いけばなにおいても、私は“線”による表現を突き詰めたいという気持ちが強い。何も気を引かないボンヤリした空間があっても、そこに“線”をいけることで、存在感のある余白空間が現れるというのが私の目指すところだ。
「言うは易く行うは難し」で、私はしばしば“塊”をいけてしまう。“塊”は密度が高いので、人の目を引きやすい。うっかりすると、重厚長大に仕上げてアピールしたいという誘惑に駆られてしまう。
“線”を自在に操れるようになる前段階として、“塊”を最小化するいけばなを練習することが目下の課題である。
線の表現 231207
2023/12/10
引き続き切り絵の話題だ。これは貼り絵よりも経験上技術を要する。きれいな曲線を切るには慣れが必要だ。小さい曲線はナイフをスムーズに回転(場合によっては、ナイフを動かさず紙の方を回転)させることが難しく、大きい曲線を切るときは、弧の中心に対して体を大きく使って等距離の円を切るのが難しい。
つまり、最終的に色面を切り出すにしても、きれいな線を描いてナイフを動かせるかどうかが作業の決め手となる。
さて、いけばなを構成する三要素というのがあって、それは「線」「色」「塊」だ。
三要素のうち、仮に花や葉の色を最も強く意識したとしよう。しかし、花材の茎や枝はどうしても線の要素を強く持ち合わせているので、これを無視することはできない。理屈っぽく言ってしまうと、数理的(?)には「面は線の集合」なので、面よりも線のほうがより基本的な要素。そして、いけばなで「色」を扱う場合も、「色面」よりも「最も基本的な要素は線」ということではないかと思う。
そして私は、色の表現がうまくいった時よりも、線の表現がうまくできた時のほうが喜びが大きい。
色の表現 231206
2023/12/10
ドローイングで描くとき、絵具の混色や塗り重ね方などに一定の熟練が必要だ。しかし、貼り絵であれば、色を作るのではなく色を選ぶ作業なので、技術をセンスが補える。
先日、黒紙で切り絵を描いた。切り絵は、子供でも取り組めるし、技術が低かろうとも何かが出来上がることにおいて、楽しみが得やすい。私は、複数の色紙を背景色として下地に貼っておき、黒い紙で切り出した影絵を表層に貼って仕上げた。
いけばなも、色をつくらず選ぶ点で、ドローイングよりも貼り絵に近い。ただ、立体的・空間的に配色していくため、作業方法は異なってくる。特に、貼り絵や切り絵であれば背景をコントロールできても、いけばなは、背景をつくることに制約が大きい。また、花が小さいカスミソウなどは、点描で描いたように向こうが透けてしまう。
花展でもない限り、「いけばなは基本的に与えられた場にいけるものだから、周辺空間の色合いに負けたりするんだよなあ」と思い出したりしているうちに、(花材に着色するなど)色をつくるいけばなに、草月はずっとチャレンジしてきたことに思い当った。