国際化 240321
2024/3/24
1980年代のキーワードは、国際化と情報化だった。企業に対する広告宣伝の提案書にも、地方自治体への中長期計画策定の提案書にも、冒頭に必ずこの2語が記されていた。
私が勤めていた広告会社は、地方にしては取り組みが早く、パソコンが1人1台与えられたし、地球の反対側の「カレ・ノアール」というパリの会社と業務提携して、24時間体制でデザイン業務をこなせる形を取った。うまく回り切らなかった原因は、1社員としてはわからない。今は国際化や情報化の言葉が踊らないところを見ると、うわべではもう成し遂げられたのだろう。
さて、3月の送別の時期になると花の値段が高止まりする。先日驚いたのが、いつもお世話になっている花屋さんで、バラ1輪が500円! ためらう私の顔を見て、花屋さんが「ケニアから来たこっちのバラは、400円だけど」と、申し訳なさそうに言う。「今日はインドからのバラはないけどね」。
野菜を輸入する時代だから花もあり得ると頭では理解できても、何か釈然としない。運ぶ方法は? 運ぶコストは? 地産地消がどれだけ難しい世の中なんだろうか!
描かれた花 240320
2024/3/22
絵描きが静物画のモチーフとして、よく花を描いている。ルドンのそれや、ゴッホのそれなど、著名な画家のものだけでも数え上げればキリがない。特に洋画において、描かれた花の多くが、(失礼な言い方をお許しいただいて)花瓶にバサッと無造作に入れている、または花束の包みを外しただけでぶっ込んだようなものが多い。
で、それをわざわざ描くのはどうしたわけだ? と思うのである。花が描かれていること自体を格別気にも留めなかったのに、いけばなを始めてから、突然に気になり始めた。あんな壺花をなぜ描くのだろう。
いけばなをする者は、お稽古の時に、いけた自分の作品をスケッチする。絵として完成させる意図は全くない。描く修行が目的ではなく、いけかたをつぶさに省みるためである。仮にも、いけた本人が、絵として完成させることを目的にして、自分のいけばなをモチーフとして描くだろうか。
それでは、というので、今後改めて日本画に目を向けてみようと思う。果たして、いけばなが、日本画にどれくらい描き込まれているだろうか。素敵ないけばなが、描かれているだろうか。
地震と花器 240319
2024/3/22
いつのことだったか、芸予地震で多くの食器や花器を割った経験がある。最近、地震が散発していて不安な状況なので、ちょっとだけ花器の収納に手を入れた。
高価な花器をできるだけ低い位置に置く。できれば床に。これまで、重さの軽重で上下に置き分けていたものを、金額の軽重で置き換えを図ってみたわけだ。仕分けをしてみて、必ずしも高価だから好きな花器だというわけでもないことに気付いた。むしろ、重量的な分類の方が、自分にとって価値の高いものを選択できていたかもしれない。これではまるで、お中元やお歳暮は重くてかさばるものがいいという、昔人間の感覚じゃないか!
しかしながら、自分自身に言い訳をしてみた。花器は軽過ぎると倒れやすいから、重い方が安定感があっていいのである! 全く正論である(拍手喝采)。あとは、花器を棚から取り出す際に、重い物を上から引き下ろすよりも、床から持ち上げる方がよっぽど安全である。
この考え方を住み方に応用すると、どうなるか? 命を重視する人は、マンションならば下層階へ。戸建て住宅ならば平屋建てへ、ということか。
伝統と前衛 240318
2024/3/21
いけばなは、畳の和室に正座して行うものだと思っている人が少なくない。いけばなは、おとなしく上品ぶっていると想像している人も少なくない。そして華道家は、日本文化に精通していて、茶や書にも造詣が深いはずである。
草月流と聞いた人は、「自由で前衛的ないけばなでしょう?」と言う。しかし、私の感覚では、自由は必ず不自由の向こうにあり、前衛は必ず伝統の向こうにある。つまり、不自由ないけばなをしている人は、自由の前段階を歩んでいるにすぎず、自由ないけばなをしている人は、不自由な型を越えて歩んできたのである。伝統はいずれ前衛の波に呑み込まれるし、前衛もいずれは新たな前衛に消化吸収されて、老いた伝統の引き波となっていく。
偉そうぶってはいけない。そういえば私は、先日の草月の昇格試験で、伝統を引く「花型」の問題で失敗したばかり。まだまだしばらくは、教えることを通して基本の「花型」を学ばなければならない身であった。私など、まだまだ前衛の領域に到達していないし、型を体得してもいない。
それにしても、世の中は先入観と誤解に満ち満ちている。
線と空(クウ) 240317
2024/3/21
私は、いけばなに向かうとき、「線」が好きだし、ひょとしたら「空(クウ)」はもっと好きだ。
子どもの頃、繰り返し見た夢のひとつに、モンゴルの平原を風に向かって西へ駆ける様子がある。画面(視界?)の下半分は緑が薄い土褐色の草原で、上半分が青い空(ソラ)だ。そして、流れていく風景の、無数に生え広がっている草の1本1本がくっきりと見えている。それは私の原風景の1つで、どうやって駆けているのか、馬の姿はないけれど、低空飛行で丘の起伏に沿って風のように飛んでいるかのようだった。もちろん、モンゴルの地を踏んだことはない。
20歳代の前半、喫茶店のメニューのイラストを描いて、糊口を凌いだ時期がある。線画で描いた女性の髪が、画面の端までなびいている絵ばかり。松本零士が描く女性が、というよりも、彼が描く女性の髪の線が相当好きだったとしか思えない。なびく髪でない場合は、風を数本の線で描いていた。
そして、その1本1本の長い線を表すためには、広い空間が必要だったのは言うまでもない。いけばなでも、できれば長い線を用いた空間をつくりたい。