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いけばな随想
diary

岩手県黒石寺の蘇民祭 231205

2023/12/9

 1000年を超える伝統的な奇祭「蘇民祭」を、黒石寺がもう開催しないというニュースが流れた。伝統を受け継いできた住民が減少の一途をたどり、信仰を基にした祭りの継続が困難になったのだ。
 一方、ある時期、私の母のふるさと五十崎では「大凧合戦」が観光化していき、あまりに多い外来観光客に対応するため、町民自身は祭り会場から離れた臨時駐車場で、誘導係をしなくてはならないジレンマに陥っていた。
 伝統行事や伝統文化というのは、細ると滅びるし、広がると薄まるようにできている。
 華道人口も減っているので、滅びないために何とか広げる手立てを考えている。これは、「華道界のため」と偉そうぶって思っているわけではなく、自分の生きる世界が滅びると自分も滅びる必然を避けたいだけだ。自分が生きやすい世界を広げたいという動物的本能だ。
 酒のアルコール度数ではないけれど、できれば、濃いままで広げていきたい。私の酒の好みはウイスキーか日本酒だが、世間にはビール党もワイン党もいて、どなたもそれぞれ自分の世界を広げたい競争となり、いずれかが細るか広がる。

水に流す 231204

2023/12/5

 日本の昔の家屋は木と紙だったから、比較的簡単に壊して更地にできた。建物だけではない。政治家が良くないことをやらかしても、心機一転、禊ぎを済ませたらすぐに「真新しく」返り咲ける。日本人は、不都合も何も「水に流す」ことが得意だ。
 ヨーロッパに約40年暮らす友人が、「ロンドンのアパートは古ければ古いほど家賃が高かったりしてさ」と、悲しいような自慢するような口ぶりで言う。「200年大丈夫だった建物なら、あと200年は安心な物件だ」というのが、石の建造物に対する彼らの感覚で、日本人の「もう50年経ったから、そろそろ危ないかも」という感性とは正反対らしい。
 一度ロンドンで、古書店街へ行った。1880年代発行の帆船図鑑や植物図鑑をバラしてページ1枚1枚に手彩色したものを、子供のクリスマス・プレゼントに購入している親が何人もいて驚いた。
 いけばなは、とにかく、いけた先から枯れ始める。作品を長く取っておけないので、自分の作品に対する執着もあまりない。気に入らないいけばなを今日しても、水に流して明日からまたやっていけるのがいい。

本格的の「的」 231203

2023/12/4

「個人的な意見です」とか、「基本的な考え方は」とか、「〇〇的」という表現を私もよく使う。私としては「私的(してき)」はOKで「私的(わたしてき)」はNGである。仮にOKであっても、「〇〇的」はあまり使いたくない。
 私は、退職してから、本格的にいけばなに取り組んでいる。「本格」かどうか自信がないから、「本格」と言い切らずに「本格的」とぼかしている。
 誰もが、自分のやっていることが「本格」かどうか自信がないから、用語的に「本格」と言い切る表現が失われて、「本格的」という表現に落ち着いたのだろうか。そんなことを無駄に考えていて、ひょっとしたら私は「華道」をやっているのではなく、「華道的いけばな」をやっているのかしらん? と得心した。
 このように、「てき」と読むとき「的」は曖昧さの手先かもしれないが、「まと」と読むとき「的」は明快さの王になる。「的(まと)」は遠くて小さいので、弓道でもしっかり狙わないと当たらない。
「てき」には矛盾が含まれうるので、妥協のない明快な「まと」を撃ち抜くべく、本格華道に是非とも近付きたい。

「心を込める」とは 231202

2023/12/4

 いけばな教室で開く「クリスマス・リース作りワークショップ」の準備を、数日前から行っている。
 最近の流行を、ネットや本屋で見てみるところから始めて、買い出しをスタート。まずは、既成のリース土台や土台に使える雲竜柳を買う。次に、産直市などで、杉や檜の枝葉や枯物を買う。そして、100円ショップを回って、オーナメント類を買う。
 目を引くアイテムに欠けていると感じたので、リューカデンドロンや野バラ、綿花の殻、松笠、ナンキンハゼ、ホウキグサ、シルバーブルニア、フォックスフェイスなど、手持ちのドライ花材を引っ張り出した。日頃から、お稽古で余った花材をドライフラワーにしていて、これらが役立つことになって嬉しかった。
 アイテムが増えたので、教室のテーブル配置を全部変えて、作業用テーブルと、アイテム陳列用テーブルに分け、グルーガンやワイヤーなどの工具・道具も並べた。
 手間暇かかったが、面倒だという気分にならない。目的が自分の気持ちとズレていないとき、準備に負担感がなく疲れない(後でドッと疲れるけれど)。そんな時、作業に心を込められる。

生き延びるか、生き切るか 231201

2023/12/1

 私は、23歳から62歳までの40年間で、仕事を5つやってきた。自分に向いた仕事とか、天職を探していたわけではない。仕事の質に対する自己評価や、世間が認めるかどうかという社会的評価ではなく、その時々に、全力を投入できているかどうかの基準で転職(離職)してきた。
 限られた人生で、あらゆる業種と職種を経験できるはずもなく、いろいろ試して消去法で1つに絞り込むやり方は間に合わない。だから、エイヤっと選んだものに賭けて、ひとまずしばらく追究してきた。
 仕事と同様、趣味もいろいろやってきた。同時に2つ以上の仕事に携わりにくい時代だったが、趣味に制限はなかった。気が多いほうだったので、それこそ同時に5つくらいやっていた。そして、消去法によって1つずつ趣味の範疇から脱落させて、残った趣味に没頭できる時間を確保した。取捨選択するなかで、23年間生き残ったのが華道だ。
 さて、若い頃は、ムリ・ムラ・ムダが成長を後押ししてくれたが、年を取ると、もうムリはできない。ムラっ気も持ちつつ、ムダに華道に取り組んで生き切りたいこの頃である。

講師の事