「いけばな」はクリエイティブ 200505
2020/5/5
クリエイティブは楽しい。だけど、何をやってもいいとき、苦しい。
クリエイティブは楽しい。だけど、何をやってもいいとき、苦しい。
街なかで芸を見せる大道芸人や、祭りの日の芝居小屋の見世物は凄かった!
延々と準備を見せたり、呼び込みの口上が面白くてかぶりつく。で、投げ銭したり前金の入場料を払う。
ところが、どっちもゴールを見せることなく終わるんだな! しかも、客の誰も不満を漏らさない。
ずっと前のこと。さくらももこの「踊るポンポコリン」の歌詞が話題になっていた。……エジソンはえらい人……キヨスクは駅のなか。
作為がないから、破綻もないんだよねーと、作曲の織田哲郎さんが言っていた。
いけばなの教室でシェアしたいのは、いけばなの技術もあるけれど、「はな」を「いける」行為のむこう側に見える景色とこちら側に持っているマインド。
いけばなで右脳が活性化される……などと言っていた頃もあって、それは嘘ではない。なぜ活性化するのかというと、その空間に右脳を刺激する人がいたから。
いけばなは「はな」とのコミュニケーションである以上に、「はないけびと」同士のコミュニケーションが面白い。いつも静かにエキサイトさせてくれる。
ひとりでいけるのは、ちょっと寂しい。
服を買う消費。服が残る。
肉を買う消費。肉は残らないが、腹に入って体をつくる。
花を買う消費。花は残らないし、作品も枯れるし、写真しか残らない。
写真以外に何が残るのか見つけられた人はまた花を買うし、その花と時間を消費して何かを得た気分になるが、何を得られたか明言できる人は多くない。
消費のしかたに文化は表れるもので、生産の現場では文化が嫌われ者の役を演じることがままある。