コメント拒否 250717
2025/7/25
いけばなを見た人から、聞きたい言葉はある? または言葉を期待していない? 私は歯切れ悪く、肯定的な言葉が欲しい時と欲しくない時があるし、言葉が欲しい人と欲しくない人がいると答える。また、言葉をかけてもらいたい作品ができた時とそうでない時があるとも。
温泉地の老舗旅館に泊まると、昔はその多くの客室が床の間を備えた和室だった。そして、床の間には軸が掛かり、花がいけてあった。掛軸の達筆も読めないし、たいていは「あ、花がある」と目で見るだけで、心で感じるというところにまでは至らない。旅館の側も控え目にいけてあることが多いし、客としても遠慮がちに「綺麗だね」と軽く満足の意を表すに留める。
しかし、現代の大型高級ホテルのロビーには、かなり主張のあるいけばなが迎え花としていけてある。コメントを求められているような気がして、心の中でいろいろ感じたことをつぶやく。
自分のいけばなのことに戻ると、花をいけて人前に出しておきながら、他人からの言葉を期待しないという態度は良くない。表現(発信)は理解(受信)とセットでなければ意味をなさない。
結局、何がしたい? 250716
2025/7/25
絵描きが羨ましいと思う。作品が売れるから。いけばなは作品として短命だし、梱包しにくく運搬に不向きなので売れない。だから作品で稼ごうという動機が生まれないので、教室を主宰するか、どこかの場所に出向いて装飾するという行為を売ろうと考える。教室へお客様に来ていただいて教えるか、お客様のもとへ馳せ参じてつくり込むか、たいていはこのどちらかが典型的な稼ぎ方だ。
ところが、地方都市の多くのいけばな教授は、それ一本では食っていけない。それで、ボランティアや趣味の部分が、活動のうちの一定割合を占める。
そうすると、私のように退職して年金生活に入った者は、より一層ボランティアや趣味に対する意識が高くなる。そこで、後進のために稼げる立場づくりをしたいものだと、一方では考えてしまうのだ。
私の前々職は、デザイン関係の仕事だった。デザイン業界というのは、一般の人々が思うほど華やかではなかった。業界として成り立ち始めたのはせいぜい1980年代からで、それまでデザイナーの多くは食うや食わずの生活だった。食えない仕事が、いつも私を呼んでいる。
いけばな鑑賞 250715
2025/7/25
私のいけばな歴を振り返って残念なことは、鑑賞に堪えられる作品をつくりえていないことだ。歴代家元の作品は、鑑賞に堪えられるものが多いところに価値がある。
鑑賞する行為を私の基準で勝手に定めると、まず、時間にして3分は見入ること。次に、「ふーむ」とか「うーん」とかの声を伴ってため息を漏らすこと。そして、近付いたり離れたり、また左右から見るなど位置を変えること。最後に、別の作品を見歩いた後もう一度戻ってきて、「うんうん、そうかー」とか何とか心の中に言葉が発せられること。この4つが揃えば、ちゃんと鑑賞したことにしてあげましょう。
いけばな展の会場で眺めていると、目で見ることをほとんどしないで写真に撮ることに忙しい人、歩みを一切止めることなく足早に一瞥していく人、席札の名前と花材の記載だけを念入りに見る人などが少なくない。立ち止まって、作品の裏側まで覗き込んでいるのは、大抵いけばなをやっている同業者だ。
いけばなの宿命は、最終的に空間の一部になることを目指しているので、絵画のように作品そのものを鑑賞しにくいところはある。
伝わる表現 250714
2025/7/25
取扱説明書は豊かな表現力を重視しない。詩や小説は、論理的で明快であるかどうかより味わいや余情が大事で、思わせぶりなままテーマが見えないこともある。だからこそ、あちこち心が揺さぶられて感動するし、それが読み手の求めるところであるが、取扱説明書に文学的表現が多用されていたら、その無意味さに辟易させられるだろう。
伝わりやすさは、明快なわかりやすさという方向性や、何かわからないけれど記憶に残る印象の強さという方向性など、幅広い選択肢がある。何度か読むうちに手元に置いておきたくなった本に、澁澤龍彦の『高丘親王航海記』や『西脇順三郎詩集』などがある。これらは、全くわからない用語や部分で構成されていながら、全体としてはわかるという気がするのだ。
話はズレるけれど、私にとって現代の利器であるスマホや自動車なども、部品や機構は全くわからないけれどある程度使えてしまうくらいわかっているモノだ。
いけばなも、花木の名前を全く知らなくてもわかる人にはわかるし、ある人にとっては花の名前は知っていても作品としては伝わっていなかったりする。
私という畑 250713
2025/7/23
私という畑に「いけばな」の種が落ちてきたのは25年前。それから芽が出て双葉になるまでは早かった。この調子でどれだけ生長できるのか、巨大木セコイアみたいになると家の中には収まりきらないぞと自惚れていた。
しかし、人生はそう易々と結果が出るものではなく、10年くらいのスランプの後に1度、また10年くらいして1度と、ちゃんとした成長期が2度くらいしかなかったので、私の「いけばな」の双葉は、やっと草の姿になった段階で、まだまだ太い木の幹になるには時間がかかりそうだ。
いけばなの技術は、私が初めから持っていたのではなく、後から教えてもらった。花に対する興味もそんなに強くなかったところに、楽しみ方を教えてもらった。私という土壌にそうした肥料が蒔かれたのだが、土壌そのものが耕されていなかったので、草になってからの生長は遅かった。
知識や技術という肥料を蒔くならば、自分という土壌の土を掘り起こしておかなければならない。その耕した土に、見たもの、聞いたこと、気付いたことや考えたことなど様々を、楽しみながら混ぜ込んでいきたいものだ。