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いけばな随想
diary

場の力 240329

2024/3/30

 私は、酒を飲むことも酒そのものも好きだ。だから、自分1人でスコッチウイスキー大会と日本酒選手権大会とを目下開催中である。「とても好き」「好き」「もう買わない」の3つでランキングする。新しい酒を飲むたびに評価してランキング表に加える。1位から3位はかなり不動でも、2~3年経つと、体の衰えに伴う好みの変化で少し順位が入れ替わる。
 この取り組みで困るのは、家で飲む評価よりも、バーで飲む評価の方が断然高くなること。家では緊張感がないせいで、味覚の働きが鈍いのだろうか。しかし、カクテルであれば作る技術差が優劣を生むだろうが、私は基本的に外ではスコッチウイスキーをストレートで飲むので、家で飲んでもバーで飲んでも同じ具合で飲めるはずなのだ。
 先日、美術館で企画展を見て、展覧会の図録を買った。現物に対して、図録の写真は解像度が低いし筆致が見えない。本物に勝るものはない。これはしょうがない。
 さて、いけばなも場の影響を受ける。花展の難しさがそこにある。誰に見せるでもないお稽古花も難しいし、不特定多数に見せる花展も的を絞りにくい。

完成度 240328

2024/3/29

 著名な画家の絵の中には、シロウトからすれば「塗り残してるじゃん」としか見えない作品もある。陶器にも、「歪んでるじゃん」というのから、「少し欠けてるじゃん」というのまである。
 日本のバブルが弾けていない1990年代後半、パリの高架橋の下に並ぶブティックの店頭に、日本のいけばなにインスパイアされたような、生花のディスプレイがちらほら見られたので、その後の行動では、店頭ディスプレイを気にしながら歩くようにした。
 総じて言えることは、日本の工芸的職人芸を見るような見方をすると、雑さが目に余るものが多かった。しかし、繊細な仕上げ技術よりも、造形全体の構成力が優れている方が、歩いている自分の目を楽しませるという点で芸術だと思った。
 いけばなは、汚らしい仕上げよりも、美しい仕上げの方が望ましいというのは、どちらかといえば工芸品への期待に近いものを感じる。美しい方がいいに決まってるでしょ? と言い切ってしまうと、いけばなと芸術とは別のジャンルになってしまいかねない。
 いけばなの美の完成度をどう見せるかが、その作家の傾向と対策だろう。

好み 240327

2024/3/28

 自分が好きな物事を、他人に「いいね」と言ってもらうことは快感だ。そのために投稿をやめられない人が増えるし、コレクションで散財する人も増える。
 私は徹底が足りないことが幸いして、家を失うほどには散財していないが、それでもコレクターの末席にいる自覚がある。
 最もハマったのはLPレコードの蒐集。高校生のとき、ラジオの「オールナイトニッポン」で流れる曲を聴いて、貯めた小遣いを握ってレコード屋に走った。最初に買ったLPは、クイーンの『クイーンⅡ』、次がピンクフロイドの『炎』。日本の歌謡曲なんてカッコ悪い! という気持ちだった。日本版の洋楽ロックの購入から、次第に、友人の持っていないバンドのアルバムを買うのが、とんがってカッコいいと思うようになり、“輸入盤”専門店へ出入りするようになった。バカだね。
 LPは、聴けば聴くほどレコード盤の溝が擦り減る。だから、最も好きな部類のレコードは、保管用にもう1枚買う。その中でも最高に好きなアルバムは、CDも買う。大バカだね。
 今は、もうLPもCDも買わないが、なぜかどんどん花器が増えていく。

人形 240326

2024/3/28

 かつて広島に、瀬戸内海汽船直営の星ビルという特殊な施設があって、ヨーロッパのアンティークドールやアンティークオルゴールを展示販売していた。その価格、数百万円から数千万円がずらりと勢ぞろいしていた。
 フランス人形たちの並ぶフロアに、四谷シモンの等身大くらいの人形が何体かあって、私はそれに釘付けになった。彼の人形は、ハンス・ベルメールの球体関節人形の影響を受けているという。その後、新宿か池袋で開催された四谷シモンの人形展に行き、ご本人からサインをもらっている。
 タイプは異なるが、球体関節人形の作家・清水真理さんとお会いする機会を得て、ご本人から舞奈という名の人形を購入した。人形は、人によって好みが分かれることは承知しているし、嫌いな人もいらっしゃるが、舞奈は、いけばな教室の天井に近い高みに座らせている。
 いけばなも、好みは分かれるものである。私は草月の家元の作品が基本的に好きだから、入門しても迷いがなかった。だからといって、すべての作品が好きなわけではない。好みの作品は増えるけれども、好みの範囲はあまり広くならない。

ドクダミ 240325

2024/3/28

 庭のあちこちにドクダミの芽が顔を出し始めた。彼らは地下茎を張り巡らせて、冬をひっそり暮らしていた。一昨年、かなりの地下茎を掘り返して捨てたのに、昨年も繁茂した。昨年もかなり掘り返したので今年はどうだろうと思っていたが、彼らの元気は衰え知らずだ。
 ドクダミの地下茎は、植栽している椿や桃などの根と絡み合っていて、ドクダミだけを枯らすことができない。その結果、庭木の下草がドクダミだらけになるのだけれど、夏季に咲く可憐な白い花を見るたびに、やはり引き抜かずにいようかと迷っていた。
 それからもう1つ。このところ、我が家の庭やベランダが、近所の飼い猫(保護猫)や野良猫たちの遊園地と化している。ネットで調べると、ドクダミには猫に害を与えず忌避させる効果があるかもしれないので、やはり引き抜かずにいようかとも考える。
 さて、子供の頃、私が脛に傷を負ったり火傷をしたりしたとき、祖父が黙ってドクダミの葉を幾層にも重ね固めて七輪で焼いたものを患部に当てて治してくれた。やはり引き抜かずにいようかと心が決まる。
 あとは、花材に使うかどうかだ。

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