言葉にならない 251219
2025/12/21
絵画作品に息を呑むことが何度かあった。青年期までは世の中にインターネットがなかったから、その絵のことや画家のことをよく知るためには、図書館か書店に行って画集を立ち読みするしかなかった。余程のときは、勢いで買う。そして、解説の上手なことに舌を巻くのである。
作品を見たときの気持ちを言葉にするのは難しい。感動した丸ごと1つの全体を細かく切り刻んで言語化しても、それはもう1枚のシャツではなくバラバラの端切れのようでしかない。言葉になる前のブクブク泡立つような心の動きは、上手い言葉に置き換えようにも自分の言葉にならず、他人の言葉のように胡散臭い。
いけばなは、絵画に比べてとても感覚的に制作される。だから尚更、いけばな作品を見た印象は、言葉で明確に表そうと思えば思うほど核心から遠ざかって行くようだ。いけばなの作品集に、人物のプロフィールや制作の背景が書いてあっても、作品そのものについての解説がないのもそういうことであろう。
いけばなは、言葉以前のものである。制作前や制作後には言葉があったとしても、作品に寄り添う言葉はない。
草月スタイル 251218
2025/12/18
若い人たちに聞いた。「無人島で過ごすのに何か1つだけ持っていくとしたら、何?」寝袋、ライター等々の回答は予想の範囲だったが、「親不孝をし続けた母への、感謝の気持ちかな」と、首までタトゥーを入れた男が静かに言った。回答の意外さに驚くとともに、私はその男の風貌と照れ方のギャップにも面食らった。
昭和35年生まれの私は経験的に、見かけがその人の人間性をも規定するというくらい、外面と内面に相関性があると見なす傾向が強かった。もちろん、人間性が身なりや立居振舞を作り出すという逆パターンもある。
私は大学生として上京するまで、大学生はみんなバンカラで、画家はみんな貧乏で、小説家はみんなヘビースモーカーだと類型化して思っていた。実際、小説家のプロフィール写真は、咥え煙草がホントに多かったのだ。
いけばなをする人については関心がなかったので先入観もなく、40歳で草月に入門して初めて、楽しい世界に来たもんだと感じた。明らかに異なるタイプの人々が、バラバラのスタイルでいけばなをしていたからだ。まさに百花絢爛と呼ぶにふさわしい流派である。
美意識(2) 251217
2025/12/18
この拙文をたまたま読む人がいたら、いけばなの稽古時に自己点検してみてください。なお、他人には無理に助言しないでください。助言は、気弱な私が勇気を出して行うべき仕事だと思っているので。
点検項目は、なぜ捨てる枝を短く切り刻まねばならないのか、なぜ枝を1度でも入れた花器は使わなかったとしてもよく洗わねばならないのか、なぜ茶碗は洗った後で汚れを再確認しなければならないのか、なぜトイレは男性でも座って使うことが求められるのか等々。
見苦しいとか、はしたないとかの基準は、家によっても職場によっても異なる。そして私の基準は、善悪や良否ではなく、美意識の有無だ。ともすれば、正邪にすら美醜は優先する。恐縮にも、倫理法人会に誘っていただいたことがあって、活動には賛同しても、私にとって倫理は、善悪・良否・正邪に関係が深過ぎて重荷なのだった。美学的経営法人会というのがあれば、ひょっとしたら参加していたかもしれない。
断っておくが、金になるかならないかは美意識を大事にしていることと相関関係にあると思いたいが、私を見る限り大いに疑わしい。
美意識 251216
2025/12/16
フォトグラファーをしている教え子の個展に行った。厳選された作品が、2階の1部屋に6点と、真上の3階に1点。暖房器具のない底冷えのする部屋に、ヒーリング・ミュージックが小音量で流れる。アパートの空き部屋を臨時的にギャラリーとしている会場である。
ウェディングドレスの女性の肩から下が水の中に<沈んで>いる写真は、左が上で右が下なので、じっと見ていると重力の感覚がおかしくなる。水の中に<浮かんで>いるとも、泳いでいるとも見える。1980年代(?)に注目された、実験的映像作家トニー・ヒルの『ウォーター・ワーク』という短編映画を連想した。
なぜ、駐車場もない場所で個展を開くのか、なぜアパートの天井と壁を剥がした暖房のない部屋を使うのか、なぜ芳名帳を置かないのか、なぜ7点しか展示しないのか、なぜ1点だけのためにもう1部屋用意したのか、なぜピントの合っていない作品だけなのか、なぜ手漉き和紙風の洋紙にプリントしたのか、なぜ客が見ている間ずっと土間で立ち尽くしているのか……。
解る気がして、全部を聞くことはしなかった。彼の美意識である。
古い情報も新しい 251215
2025/12/15
新しい情報は、日々周辺からやってくる。しかし、新鮮な情報は、老いた脳では咀嚼しきれず、消化もできず、吸収率も悪い。いけばなについての動画も巷に溢れているが、実はあまり見ていない。27歳の時の「あの人」の教えが、まだ根を張っているからだ。
その憧れの人は、「新聞取るな、テレビ見るな。みんなが見ているものは、みんなに見てもらえばいい。君は、君の心と目が求めるものを追え!」と言われた。私は雷に打たれたように、翌日から実行したのが懐かしい。
あれだけ続けていたはずなのに、専門学校生の進路をあずかるようになって以来、新聞やテレビ、スマホやパソコンに囲まれて過ごしている。しかし、この随想を書き始めてから、外界からの情報よりも、自分の体験や記憶から呼び覚ましてくる情報に対して敏感になった。
その当時に見聞きしたことは、その時点の経験量を基にした浅い理解だったが、いま2倍の年数を経験して記憶総量も増え、その気になって記憶や記録を発掘すると、改めて新しく掘り出せる情報があるとわかった。その情報は、いい意味で発酵していて味わい深い。