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いけばな随想
diary

無をいける 260311

2026/3/13

 子規記念博物館の、玄関の花台と子規像の位置を逆にできないか、昨日の思い付きを相談してみた。検討の余地はあると言っていただけたが、お話を伺った上での私の考えはこうだ。
 開館当初、彫刻家の手になる子規像が設置された。玄関を入った風除室の広い壁面の中央である。座像に向かって右上には、博物館名が控えめにある。その2つだけの、一切無駄のない完璧な空間が仕上がった。ところが、寒々しいと感じる人が多かったのではないか。それで、いけばなを飾る花台が置かれた。次々と、企画展の内容を伝える掲示や、関連パンフレットを置く棚も置かれた。そして、温かみのある空間になればなるほど、設計者の企図から離れていった。
 おかげで、私たちのいけばなを見ていただけるようになったので、とやかく言う筋合いではないが、ひょっとすると、いけばなの良し悪し以前の課題を考えなくてはならないのかもしれない。いけばなに省略が重要であるように、空間にも省略が重要だということである。
 いけばなで、「ない」という空間をいけることを徹底すれば、物を排除するといういけ方になる。

折衷花 260310

2026/3/10

 日本に漢字がもたらされて後、『古今和歌集』の序文は和漢両方で書かれた。『和漢朗詠集』には、和歌と漢詩が取り混ぜられた。以降、日本文化は中国文化との折衷で進んできたが、幕末から明治維新を経て、日本文化は西欧文化とのハイブリッドに転換された。ちなみに、草月のテキストは和英併記だ。
 私の学生時代、東京にはアメリカ西海岸からの風が吹いていて、横浜からはしきりに“ハマトラ”の風が吹いてきた。都心には、ビル風が渦巻いた。おそらくその頃から、日本の家庭には縁側からの風や、団扇や扇子の風が吹かなくなったのではないか。
 先週から今週の2週間、松山市立子規記念博物館の迎え花を担当させていただいている。正面から見て花台の50cm左には、正岡子規の着物姿の座像があって、右手を脇息(肘置き)に寄りかからせているため、いけばなを避けるような姿勢に傾いている。花台と座像の位置を逆にできないか相談してみよう。
 それは置いといて、床は黒大理石、壁も淡い石調、で、ガラスの自動ドアという空間は、和魂洋才的なのである。私の花も、見れば和洋折衷っぽいのだった。

カワイイ花 260309

2026/3/9

 松山商業高校の、とある場所に11個の砥部焼の大壺が超然としてある。それらはとても大事にされ過ぎたせいで、長年ひっそりと忘れ置かれたままになっていた。世間離れした態度は、世俗社会から乖離するという教訓である。
 さて、松山市立子規記念博物館の迎え花は、敢えて形容するならば「華やか」でも「壮麗」でも「質素」でもなく、「スマートな」花を目指した。「カワイイ」花ではない。しかし不思議なもので、マンサクとラナンキュラスの黄色でまとめていたことからか、「カワイイですね」という言葉を、通る方々からいただいた。世間に受け入れられるためには、トレンドを意識しなくてはならないという教訓である。
 フラワーアレンジメントの本などを見ると、「ロマンティック」「ナチュラル」というようなカタカナ言葉での形容が多く、これはやはり、欧米化した暮らし方に寄り添うデザインの傾向を示している。
 しかし、いけばなは、トレンドに乗せて多売する性格を持ち合わせていない。どうしても一点物のオリジナリティを追い掛けるので、カワイイ方へ走ってはいけないのだと戒めよう。

見かけの弱さ 260308

2026/3/9

 松山市立子規記念博物館の迎え花を、今日は手直ししなければならなかった。いけて5日目である。自分の読みでは、ツバキの葉とキブシの蕾は大丈夫で、マンサクの花が萎れかけ、ラナンキュラスは開ききって散りかけているはずだった。
 意外だったのは、マンサクの弱さとラナンキュラスの強さだ。マンサクの黄色い花びらは、もともと捩れて野性的だから、見た目に強そうだ。ところが今日の状態では、ギリギリ精一杯がんばってくれていたのだろう、枝に少し触れただけで、小さく細い花びらがハラハラとこぼれ落ちた。ラナンキュラスは3輪とも、確かに開ききっているように見えた。こちらは、もともとか細い茎だから、大きく広がった花がとても重たいように感じたのだが、茎も花もまだまだ大丈夫だった。
 私の見立てはまだまだ素人である。今日はそれが分かった。
 しかし、危険を冒すことを避けて、マンサクの枝もラナンキュラスの花も、すべてをいけ替えることにした。どうせ替えるなら気分も替えて、ラナンキュラスの黄色い花の2本は黄色いチューリップに、1本は白いラナンキュラスに替えた。

革命 260307

2026/3/7

 正岡子規の『病牀六尺』の1フレーズ。「何事によらず革命または改良ということは必ず新たに世の中に出て来た青年の仕事であって、従来世の中に立っておったところの老人が中途で説を翻したために革命や改良が行われたということはほとんどその例がない」。
 子規がここで指摘したのは個人のことだが、現状を眺めるに、日本人という民族が、そして日本という国が、私個人の老化と軌を一にして老人化してきたように感じる。
 この国民的高齢化は、草月の人々の昔の作品を見ても感じられる。1980年以前の時代(高度成長期)には、家元の作品も一般会員のいけばなも、見る者の意表を突いてくるものが多い。しかも、省略が利いている。おそらく、経済社会のチャレンジ精神の旺盛さと相まって、過信と猛進の表現意欲が渦巻いていたのだろう。岡本太郎が手掛けた、1970年大阪万博の「太陽の塔」が象徴的だ。
 私たちの社会は今、成長期も安定期も過ぎて衰退期に入った。変化が早過ぎて、衰退というよりも滑落とか墜落とでもいう感覚。草月流100年の歴史は、革命から成長、安定から……どんな現在にしようか?      

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