草月スタイル 251218
2025/12/18
若い人たちに聞いた。「無人島で過ごすのに何か1つだけ持っていくとしたら、何?」寝袋、ライター等々の回答は予想の範囲だったが、「親不孝をし続けた母への、感謝の気持ちかな」と、首までタトゥーを入れた男が静かに言った。回答の意外さに驚くとともに、私はその男の風貌と照れ方のギャップにも面食らった。
昭和35年生まれの私は経験的に、見かけがその人の人間性をも規定するというくらい、外面と内面に相関性があると見なす傾向が強かった。もちろん、人間性が身なりや立居振舞を作り出すという逆パターンもある。
私は大学生として上京するまで、大学生はみんなバンカラで、画家はみんな貧乏で、小説家はみんなヘビースモーカーだと類型化して思っていた。実際、小説家のプロフィール写真は、咥え煙草がホントに多かったのだ。
いけばなをする人については関心がなかったので先入観もなく、40歳で草月に入門して初めて、楽しい世界に来たもんだと感じた。明らかに異なるタイプの人々が、バラバラのスタイルでいけばなをしていたからだ。まさに百花絢爛と呼ぶにふさわしい流派である。
美意識(2) 251217
2025/12/18
この拙文をたまたま読む人がいたら、いけばなの稽古時に自己点検してみてください。なお、他人には無理に助言しないでください。助言は、気弱な私が勇気を出して行うべき仕事だと思っているので。
点検項目は、なぜ捨てる枝を短く切り刻まねばならないのか、なぜ枝を1度でも入れた花器は使わなかったとしてもよく洗わねばならないのか、なぜ茶碗は洗った後で汚れを再確認しなければならないのか、なぜトイレは男性でも座って使うことが求められるのか等々。
見苦しいとか、はしたないとかの基準は、家によっても職場によっても異なる。そして私の基準は、善悪や良否ではなく、美意識の有無だ。ともすれば、正邪にすら美醜は優先する。恐縮にも、倫理法人会に誘っていただいたことがあって、活動には賛同しても、私にとって倫理は、善悪・良否・正邪に関係が深過ぎて重荷なのだった。美学的経営法人会というのがあれば、ひょっとしたら参加していたかもしれない。
断っておくが、金になるかならないかは美意識を大事にしていることと相関関係にあると思いたいが、私を見る限り大いに疑わしい。
美意識 251216
2025/12/16
フォトグラファーをしている教え子の個展に行った。厳選された作品が、2階の1部屋に6点と、真上の3階に1点。暖房器具のない底冷えのする部屋に、ヒーリング・ミュージックが小音量で流れる。アパートの空き部屋を臨時的にギャラリーとしている会場である。
ウェディングドレスの女性の肩から下が水の中に<沈んで>いる写真は、左が上で右が下なので、じっと見ていると重力の感覚がおかしくなる。水の中に<浮かんで>いるとも、泳いでいるとも見える。1980年代(?)に注目された、実験的映像作家トニー・ヒルの『ウォーター・ワーク』という短編映画を連想した。
なぜ、駐車場もない場所で個展を開くのか、なぜアパートの天井と壁を剥がした暖房のない部屋を使うのか、なぜ芳名帳を置かないのか、なぜ7点しか展示しないのか、なぜ1点だけのためにもう1部屋用意したのか、なぜピントの合っていない作品だけなのか、なぜ手漉き和紙風の洋紙にプリントしたのか、なぜ客が見ている間ずっと土間で立ち尽くしているのか……。
解る気がして、全部を聞くことはしなかった。彼の美意識である。
古い情報も新しい 251215
2025/12/15
新しい情報は、日々周辺からやってくる。しかし、新鮮な情報は、老いた脳では咀嚼しきれず、消化もできず、吸収率も悪い。いけばなについての動画も巷に溢れているが、実はあまり見ていない。27歳の時の「あの人」の教えが、まだ根を張っているからだ。
その憧れの人は、「新聞取るな、テレビ見るな。みんなが見ているものは、みんなに見てもらえばいい。君は、君の心と目が求めるものを追え!」と言われた。私は雷に打たれたように、翌日から実行したのが懐かしい。
あれだけ続けていたはずなのに、専門学校生の進路をあずかるようになって以来、新聞やテレビ、スマホやパソコンに囲まれて過ごしている。しかし、この随想を書き始めてから、外界からの情報よりも、自分の体験や記憶から呼び覚ましてくる情報に対して敏感になった。
その当時に見聞きしたことは、その時点の経験量を基にした浅い理解だったが、いま2倍の年数を経験して記憶総量も増え、その気になって記憶や記録を発掘すると、改めて新しく掘り出せる情報があるとわかった。その情報は、いい意味で発酵していて味わい深い。
名前のこと 251214
2025/12/14
正岡子規の俳句革新運動が継承されてきた文芸誌『ホトトギス』は、夏の訪れを力強く告げる鳥の名称でもある。一方、植物のホトトギスは、開花時期が7~11月頃で、季語としては秋のものだ。植物のホトトギスの花びらの斑点が、鳥のホトトギスの胸の斑紋に似ていたのが、その名の由来らしい。
さて、我が家のホトトギスである。この真夏の日射に負けて、葉が茶色く日焼けしていた。10月以降、緑色の新しい葉が増えてくれて助かった。そして、寒風が吹いた今日もまだ何本か咲いている。こうしてみると、ホトトギスは暑さに弱く寒さには比較的強いということになる。夏が長かったから調子が狂って、やっと秋になったと感じているのかもしれない。
今日のいけばな教室で、「野菜・くだものをいける」のカリキュラムをやった人の作品は、好感度が高かった。うまくいった理由は、ネギとかサトイモという名前に惑わされなかったからだと思う。ネギと言うと、青ネギが湯豆腐の上にいたり、白ネギが鍋の中にいる様子を思い浮かべて、私などは嗅覚と味覚が始動してしまい、まず冷静さを失うのだった。