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いけばな随想
diary

好きなのは流木? 260317

2026/3/17

 椿や竹は、草月の歴代家元がよく使った花材の代表格だ。食べ物でも「好き嫌いをなくしましょう」と言われてなくなるものでもなく、ある程度花にも好き嫌いが生じるのは仕方がない。けれども今の私は、まだ花材を選り好みしたくない気持ちがあるし、絶対的に思い入れの強い対象も見つかっていない。
 今週末は、愛媛県華道会の華展がある。好きな花が決まっていれば、思い付きがいいのだが、そうではないので花屋に行った。店先で花を眺めているとインスピレーションが得られるかと思ったのに、「あまりにも花が高くなっとるんで、リスクを冒してまで仕入れできない」と、並んでいる花の種類がとても少ないのだった。かといって、私が使いたい少量の花のために、花屋は“箱買い”で仕入れることもできない。
 そこで、最後の手段として、流木の登場であろうか。過去、何度か使ったことがあって、大抵は中途半端に終わっている。今度こそ徹底すべき時かもしれない。何年もかけて集めてきた流木たちと、小春日和の茶話会をした。大きめの壺なども並べて、流木と花器との出会いパーティと相成った。

音そのもの、花そのもの 260316

2026/3/16

“子規博”のいけばなを撤花する際、自己嫌悪に陥った。4色のデルフィニウムのまとまりを形成した姿が、改めて見ると窮屈で息が詰まったからだ。デルフィニウムの良さは、風を纏って適度に揺れる軽さにあると見極めるべきで、それはコスモスやマーガレットにも共通する。花材そのものの価値よりも、それらを用いて創造する行為の方を高いと認める私に対するしっぺ返しだった。
 夕方、鯵が美味そうだったので、スーパーで握り寿司パックを買った。しかし、食べる段になって、その鯵のネタがアジフライ向きの厚みと大きさだったので閉口した。大きけりゃいいというものではないというのは、いけばなも同じである。
 原因と結果の関係は、次の4つだ。花材が良くて、いけばなもいい。花材は良いのに、いけばなは悪い。花材も悪いし、いけばなも悪い。花材は悪いのに、いけばなはいい。
 昨日の新聞に、往年の特筆に値するバンド「ピンク・フロイド」のD・ギルモアが愛用したギターが、クリスティーズで23億円余りで落札された記事を見た。楽曲もさることながら、その彼のギターの音も好きだった。

いけばなの目 260315

2026/3/15

 2027年に、草月は創流100周年を迎える。昔の資料が欲しいと思っていると、そんな機会に恵まれるもので、昨秋から草月に関りのある古い花器や書籍などが集まり始めた。幸運を招くためには思うだけではだめで、会う人ごとに喋っていたのが奏功したのだろう。
 得られた書籍や資料は50年くらい前のものが多く、当時の私は高校生である。私が所属した美術部の顧問教師は若く、絵を描きながらサックスを吹いたり、詩人や書道家や舞踏家らと合同で舞台を演ったりしていた。それを真似て、私も美術部と書道部と写真部の交流を始めた。文芸部の友人を真似て自費出版冊子も仲間と作ったし、VYSの人形劇も手伝った。
 草月の100年を書籍や資料で振り返ると、草月はいけばなの世界外との交流が盛んだった。草月ホールに様々な芸術文化が集まってきたことも大きい。第三代家元の宏といえば、もとは映画監督として名を上げていた。
 いけばなを遅い年齢から始めた私の役割を思うと、いけばなそのものの力量には限界を感じていて、「いけばなのための視野の拡大」に貢献できるかもしれないというところだろうか。

庭師と私 260314

2026/3/15

 来年のいけばな展のため、改めて萬翠荘の各所の長さを計測に行った。顔見知りの庭師が、ブロワーで落葉を吹き飛ばしていた。養生のため「芝生内立入禁止」の札があちこちに立てられていて気が引けたが、私たちは全貌を俯瞰する必要から芝生の中も計測した。
 3~4年前から何度か顔を合わせるうちに、彼は「(展覧会花材として)要るのがあったら、切っていいよ」と言ってくれるようになったが、私は竹と葉蘭くらいしか切れない。下手に剪定すると、元の木を台無しにしてしまいそうで恐いのである。庭師の買いかぶりであることは、庭木を相手に苦しむ私自身が証明している。
 庭師は、そこに生えている木の全体を生かすという考えが根底にあって、枝打ちするにはどこがいいかも知っている。いけばなをする身では、既に切ってある枝を花屋で買ってそれを生かそうとするだけなので、切り残された元の木のことにまで思いが至らない。
 同じように木を扱う仕事なのに、切り残した幹と根に情熱を傾ける人と、切り落とした枝にこだわる人とが対照的で不思議な思いがして、一人こっそり笑ってしまった。

90分1本勝負 260313

2026/3/14

 ある企業の、社内コミュニケーション促進のプログラムで、いけばな体験会を開いてもらった。講師は私と仲間の2名、参加者は21名で、うち1人の草月流の若手がアシスタントをした。
 プレバト風に! という無茶な注文は笑って無視したが、ホントに素人は無邪気で恐い。しかし、社風なのだろうか、積極的に自分をさらけ出せる人が多くて助かった。初めての人がほとんどだったにも関わらず、皆さんのいけていく手が早く、疑問や質問をぶつけてくることにも躊躇がない。
 ビギナーズ・ラックというのは、なにも不思議なことではなく、先入観がない状態で新しい事をやると、キャリアのある人間が予想していない切り口を見せることが往々にしてある。いやはや、そう来ましたか! という出会いは、こちらの方が興奮してとても楽しい。
 しかし、ただ喜びの表情を浮かべているだけでは、多少とも報酬をいただく身としては失格である。宣言通り、作品には「難癖」を付け、相手の人格は否定しないように気を付けながら講評し、私の一手を加えて回る。言葉数も手数も多いと、相手も自分も納得感が低くなる。

講師の事