日常品質 251224
2025/12/24
いけばなは日常的行為だ。昨日も今日もそこにあり、明日も明後日もそこにあって、日々の生活の質を高く保ちたい意識が表れている。この意識は、日本人の食生活の伝統にも表れていた。茶碗は陶磁器、汁椀は塗り物、箸は竹でも楊枝は黒文字というように細かい気遣いがあって、それは面倒だとは意識されず、平常心のもとにあった。
レストランでフランス料理のフルコースというのは、日常ではなく特別なハレの出来事であり、いけばな展も日常のいけばなを発表する場ではなく、非日常的な創作作品の発表の機会である。このような非日常をいくら繰り返しても、これは文化として定着したものにはならない。
花を飾るとか、食事を摂ることは、生活に根差しているから生活文化と呼ばれたこともある。しかし、わざわざ生活と文化とを区別したうえで合体させる必要はなく、日常の生活に表れている物事が文化なのである。
日常の反復による文化に対して、芸術は非日常である。毎日毎日驚かされたり価値観を揺さぶられたりしていたら、平穏な日常生活を送ることができない。泰然自若ないけばなでありたい。
虚飾の部屋 251223
2025/12/23
日焼けした本を捨てるかどうかと迷い、ひとまず筒井康隆は2度目を読み切った。読み直すと、もう1度は読まないと捨てられない気になるものが多く、5冊ばかり減ったにすぎず、一向に終活は進まない。
学生時代にハードカバー本の多くを買った。立派な本とレコードが私の精一杯の飾りだった。5畳の偏狭な部屋の、近所の酒屋から盗んできたビールケースを並べたベッド脇に、アパートを退居する先輩から受け継いだ本棚やレコード棚があるのだった。本とレコードは読み聴きできるという点で、実益的な装飾物として最強だったと思う。
当時の日本の居宅には重厚な応接室があって、1つの壁面に大きな棚が据えられ、テレビとステレオとウイスキー(かブランデー)が格納されていたものだ。これらもまた、見て聴いて飲むのならば実益的な装飾物と言えただろうが、ステレオとウイスキーの活躍機会が少ない家では、ただ中流市民階級を誇示する装置として虚飾だったといえよう。
しかし、実益を伴う装飾は、装飾の本道から見れば邪道である。いけばなのように、全く実益を伴わない装飾こそが完全だ。
捨てる物、捨てない物 251222
2025/12/22
ボーっと暮らしていると、いつの間にか服が増えている。着る服が増えるのではなく、体形が変わって着られなくなった服や、買ってはみたが似合わないと感じた服だ。食器、旅行先で買った土産物、結婚式でもらった引出物、プリント写真や写真データ、これらも多過ぎる物たちの一部である。
気を付けているつもりでも、暮らしの空間には物が溢れてくる。靴は何足以上持っていると贅沢品か? 消しゴムは何個以上からが不要物で、フライパンは何本以上からがガラクタか? ちなみに、花器の数はおそらく多分きっと200個を超えているが、怖いから数えない。
いけばなでは、骨格となる3本の主たる花木(主枝)を挿し、膨らみや奥行きを出すために数本の従たる花木(従枝)を挿す。従枝として花をたくさん挿すと、華やかになるかわりに空間が埋まって色気がなくなる。色気にとって、量は敵だ。量が程度を超えると色そのものの不透明な厚みが出て、透明水彩のような色の気配という性質とは別物になるのだ。
ただ、逆に徹底的に削ぎ落し過ぎると、減量に失敗したボクサーの顏のように頬がこけて貧相になる。
センスの正体 251221
2025/12/21
18歳で上京したとき、私は主体性を一度失っている。「ほやけど」と言って田舎者がバレるのが怖かった。テレビを見ていても、誰もかれも全部標準語で、関西弁の入り込む余地はないと思っていた。
昔の方言は互いに異国語のように差異が大きく、コミュニケーションに支障をきたすこともあった。今は全国が標準語に呑み込まれてしまったので、逆に小さな差異としての方言が、パーソナリティの一部として愛されもする時代である。高市首相の振る舞い全体にはあまりセンスの良さを感じないが、関西弁を会話に混ぜ込む彼女の話法はセンスが高い。
センスというのは、主体性を放棄しては成り立たない。感じ方や表現の仕方における、自分と他人との距離感のつくり方の適切さだと思う。相手に近過ぎると、存在感がなくて意識してもらえない。相手から離れ過ぎると親和性がなくなって遠ざけられる。だから、センスがいいと言われる人は、相手と同じ土俵上でちょっぴり違いを見せるのだ。
この意味で、いけばなは、センスが求められる。一般的なファインアートの世界は、もっと強烈に個性をぶつけ合う。
大人の趣味 251220
2025/12/21
コンサート会場での関連グッズの販売は、1980年代に盛んになったのではなかったか。ローリング・ストーンズのTシャツは代表格だったと思う。武道館や東京ドームみたいな大会場でやれる人気バンドだからこそ可能でもあった。
今はネットで世界中のファンが買える。草月流にも推し活グッズとして買える商品は豊富だ。歴代家元4人の名前がプリントされたTシャツや、草月のロゴ入りハサミなど、公式サイトに掲載される商品数は多い。2年後の草月創流100周年に向けて気分を盛り上げていくツールとしてお茶目なのは、月謝袋に押せる「花スタンプ(ハンコ)」だろう。
いけばなは子どももできるが、自分が歳を取って感じるのは、いけばなは大人向けの遊びだということ。子どもらしい遊びは、シンプルで安全であることがベースにある。華道のニュアンスが加わると、がぜん大人の遊びになる。高い花器や鋏に手を出し始めると、経済的危険も増して完全に大人の趣味だ。
初心者が持つにふさわしい花鋏は? と教室で話題になった。慣れるまでは安い物でいいか、道具には最初からこだわるべきか、迷う。