革命 260307
2026/3/7
正岡子規の『病牀六尺』の1フレーズ。「何事によらず革命または改良ということは必ず新たに世の中に出て来た青年の仕事であって、従来世の中に立っておったところの老人が中途で説を翻したために革命や改良が行われたということはほとんどその例がない」。
子規がここで指摘したのは個人のことだが、現状を眺めるに、日本人という民族が、そして日本という国が、私個人の老化と軌を一にして老人化してきたように感じる。
この国民的高齢化は、草月の人々の昔の作品を見ても感じられる。1980年以前の時代(高度成長期)には、家元の作品も一般会員のいけばなも、見る者の意表を突いてくるものが多い。しかも、省略が利いている。おそらく、経済社会のチャレンジ精神の旺盛さと相まって、過信と猛進の表現意欲が渦巻いていたのだろう。岡本太郎が手掛けた、1970年大阪万博の「太陽の塔」が象徴的だ。
私たちの社会は今、成長期も安定期も過ぎて衰退期に入った。変化が早過ぎて、衰退というよりも滑落とか墜落とでもいう感覚。草月流100年の歴史は、革命から成長、安定から……どんな現在にしようか?
理窟と蛇足 260306
2026/3/7
一昨日いけた花の状態を確かめに、松山市立子規記念博物館へ行った。風を受けてラナンキュラスが開ききっていないか、マンサクの花色が悪くなっていないかを見たら、あと2日は大丈夫そうだった。
せっかくなので、客として相当久しぶりに博物館の展示を見て回った。展示がグレードアップしていると感じたが、いかんせん、前の記憶がぼやけているので、同じものを見たのだとしても真新しく映った。
特に勉強になったのは、子規が他人の俳句を評して添削した手紙の内容である。理窟と蛇足に対して、徹底的に厳しい。この指摘は、私のいけばなが往々にして陥る悪癖にグサッと刺さる。ひと月前に目にした勅使河原蒼風の教本にも、「省略」の2文字が太字で書かれていたのを思い出す。理窟も蛇足も、省略しなくてはならない。
もう1つ。子規はこう言っている。「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生していると、造化(ぞうか)の秘密が段々分って来るような気がする」。いけばなをしているのなら、もっと真っすぐに花をよく見なければならない。ボーッと一瞥したくらいでは、ダメなのだ。
郷土いけばな 260305
2026/3/5
郷土料理があるなら、郷土いけばなだって……。ふと、そう思ってみたものの、郷土料理すらそのルーツを失い始めている時代に、郷土的ないけばなの確立は困難だ。2000年代だったか、スローフードの取組が日本でも注目されたが、経済活動推進の邪魔になるとされたのか、一過性のブームで過ぎてしまった。人が自分の住まう外部に憧れを抱くのは自然ではあるし、何事も「灯台もと暗し」で忘却される。
それでも何かあるはずだという気持ちはあって、数年前から気に留めているのが流木だ。愛媛県の海岸線延長は全国第5位(対面積比でも5位)なので、海からの漂着物の数は多いと推定できる。また、急峻な山が多いことから、山林から倒れ落ちて河川に流される流木も多いと思う。そこで、流木いけばなは、愛媛の郷土いけばなの有力候補になるというわけだ。
初代家元の勅使河原蒼風も、潔く生花を加えずに、ペイントした流木を湖畔にいけた。ここは1つ、私も流木にチャレンジしたいところである。ただし、無名な私が無名の一般的な客に、どう評価されるかと考えてしまったら、その時はもうやれない。
服装 260304
2026/3/4
厳粛な式典や華やかなパーティーに出向くとき、ドレスコードが気になる。草月では(少なくとも愛媛県支部では)、いけこみ時は全身黒で統一(黒や濃灰色の無彩色、最低でも濃紺などが望ましい)とされ、いけばな展の会場ではハレの衣装(着物やスーツ)を求められてきた。しかし、草月本部が販売するTシャツの柄が意外に派手だったりして、どこまで差し色を装うか、個々のセンスが問われるところである。
最近は、冠婚葬祭でも割とくだけた服装が許され、スマート・カジュアルOKの職場も増え、政財界人の記者会見でもノーネクタイが普通に見られるようになった。ますます迷いは大きくなるばかりだ。
歳を取ると恐いものが少なくなってきて、“外野”の動向があまり気にならない。それでも、後ろ指を指されるよりは指されない方が楽なので、こうしようと最初に思った服装の1段上でまとめることにしている。
先日、社中懇親会を、イタリアンの店で開いた。店のホームページを添付してみんなに案内したところ、私の装いの更に1段上のコーディネートをして来た人が多くて驚いた。嬉しかった。
文化財 260303
2026/3/3
国宝級の神社仏閣や近世の城郭を維持管理するには、莫大にお金がかかる。そして、それを実行するための費用を行政が出すことに対して、国民は簡単に納得するか、または関心を示さないまま拒否反応は起こさない。県の重要文化財になると予算はかなり小さくなり、市町村レベルになると、生活道路の維持費などが優先されて歴史や文化は徐々に失われていく。
国は、有形の重要文化財、例えば石手寺三重塔及び鐘楼に対して、令和6年度の保存・活用事業費を4千7百60万円補助した。しかし、無形の重要文化財保持者(人間国宝)への特別助成金の交付は、一律年額2百万円に留まる。形ある建築物や美術工芸品に対し、寿命の短い生身の人間の技術はショボいと見なされがちだ。形ある物を維持するためには、専門的な人間が必要だというのに。
いけばなの伝統は、池坊によれば500年前後の歴史がある。仮に文化財として国の予算が助成されるようになると、嬉しい反面、規則や制約でがんじがらめにされ、自由な表現を望まないことと引き換えになる。
時給が数百円でも、自由に文化を継承したい私である。