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いけばな随想
diary

庭師と私 260314

2026/3/15

 来年のいけばな展のため、改めて萬翠荘の各所の長さを計測に行った。顔見知りの庭師が、ブロワーで落葉を吹き飛ばしていた。養生のため「芝生内立入禁止」の札があちこちに立てられていて気が引けたが、私たちは全貌を俯瞰する必要から芝生の中も計測した。
 3~4年前から何度か顔を合わせるうちに、彼は「(展覧会花材として)要るのがあったら、切っていいよ」と言ってくれるようになったが、私は竹と葉蘭くらいしか切れない。下手に剪定すると、元の木を台無しにしてしまいそうで恐いのである。庭師の買いかぶりであることは、庭木を相手に苦しむ私自身が証明している。
 庭師は、そこに生えている木の全体を生かすという考えが根底にあって、枝打ちするにはどこがいいかも知っている。いけばなをする身では、既に切ってある枝を花屋で買ってそれを生かそうとするだけなので、切り残された元の木のことにまで思いが至らない。
 同じように木を扱う仕事なのに、切り残した幹と根に情熱を傾ける人と、切り落とした枝にこだわる人とが対照的で不思議な思いがして、一人こっそり笑ってしまった。

90分1本勝負 260313

2026/3/14

 ある企業の、社内コミュニケーション促進のプログラムで、いけばな体験会を開いてもらった。講師は私と仲間の2名、参加者は21名で、うち1人の草月流の若手がアシスタントをした。
 プレバト風に! という無茶な注文は笑って無視したが、ホントに素人は無邪気で恐い。しかし、社風なのだろうか、積極的に自分をさらけ出せる人が多くて助かった。初めての人がほとんどだったにも関わらず、皆さんのいけていく手が早く、疑問や質問をぶつけてくることにも躊躇がない。
 ビギナーズ・ラックというのは、なにも不思議なことではなく、先入観がない状態で新しい事をやると、キャリアのある人間が予想していない切り口を見せることが往々にしてある。いやはや、そう来ましたか! という出会いは、こちらの方が興奮してとても楽しい。
 しかし、ただ喜びの表情を浮かべているだけでは、多少とも報酬をいただく身としては失格である。宣言通り、作品には「難癖」を付け、相手の人格は否定しないように気を付けながら講評し、私の一手を加えて回る。言葉数も手数も多いと、相手も自分も納得感が低くなる。

いい花器とは 260312

2026/3/13

 昨日、子規記念博物館でいけこみをしていると、来館した老夫婦の男性が沈丁花の花に顔を寄せて、「いい香りだ、いい枝だ」としきりに呟いていたので、私は「どうですか」といけばなに対する意見を求めた。
 彼は、待ってましたとばかりに「この沈丁花の枝ぶりは、見つけてくるのも手間を掛けられたんでしょう? 花屋ではとてもこういうものは手に入らない」と言う。「植物にお詳しいんですね。庭木でも育てていらっしゃるんですか? 実際のところ、この枝は知り合いの庭からもらってきました」。
 すると、「花器もええですなあ。花器が良くないと、花も冴えないですからな。私は画家をしていましてね、花の絵をよく描くんですが、花器が悪いと絵も仕上がらない。花器がしっかりしていると、絵も生きてくるんですよ」ときた。「これは一本取られました!」
 確かに、花器によって気分も上がったり下がったりする。花との取り合わせにもよるが、どうにもできない花器もある。基本的には、どうにもならない花器はなくて、自分が使いこなせるかどうか、花器に力量を試されていると思うようにしている。

無をいける 260311

2026/3/13

 子規記念博物館の、玄関の花台と子規像の位置を逆にできないか、昨日の思い付きを相談してみた。検討の余地はあると言っていただけたが、お話を伺った上での私の考えはこうだ。
 開館当初、彫刻家の手になる子規像が設置された。玄関を入った風除室の広い壁面の中央である。座像に向かって右上には、博物館名が控えめにある。その2つだけの、一切無駄のない完璧な空間が仕上がった。ところが、寒々しいと感じる人が多かったのではないか。それで、いけばなを飾る花台が置かれた。次々と、企画展の内容を伝える掲示や、関連パンフレットを置く棚も置かれた。そして、温かみのある空間になればなるほど、設計者の企図から離れていった。
 おかげで、私たちのいけばなを見ていただけるようになったので、とやかく言う筋合いではないが、ひょっとすると、いけばなの良し悪し以前の課題を考えなくてはならないのかもしれない。いけばなに省略が重要であるように、空間にも省略が重要だということである。
 いけばなで、「ない」という空間をいけることを徹底すれば、物を排除するといういけ方になる。

折衷花 260310

2026/3/10

 日本に漢字がもたらされて後、『古今和歌集』の序文は和漢両方で書かれた。『和漢朗詠集』には、和歌と漢詩が取り混ぜられた。以降、日本文化は中国文化との折衷で進んできたが、幕末から明治維新を経て、日本文化は西欧文化とのハイブリッドに転換された。ちなみに、草月のテキストは和英併記だ。
 私の学生時代、東京にはアメリカ西海岸からの風が吹いていて、横浜からはしきりに“ハマトラ”の風が吹いてきた。都心には、ビル風が渦巻いた。おそらくその頃から、日本の家庭には縁側からの風や、団扇や扇子の風が吹かなくなったのではないか。
 先週から今週の2週間、松山市立子規記念博物館の迎え花を担当させていただいている。正面から見て花台の50cm左には、正岡子規の着物姿の座像があって、右手を脇息(肘置き)に寄りかからせているため、いけばなを避けるような姿勢に傾いている。花台と座像の位置を逆にできないか相談してみよう。
 それは置いといて、床は黒大理石、壁も淡い石調、で、ガラスの自動ドアという空間は、和魂洋才的なのである。私の花も、見れば和洋折衷っぽいのだった。

講師の事