コメント力 251213
2025/12/14
何事につけても傍観者は口が上手で、現場の当事者は無口で体を動かす。これは、実力というよりも、センスというよりも、資質(才能の質、得意不得意)の違いである。いつの頃からか、テレビのニュース番組にタレントのゲストが登場するようになり、次第にレギュラー化し、今はバラエティ番組顔負けでコメント力を発揮している。
NEWなNEWSはネットニュースの方が早いので、テレビニュースはニュースを深掘りしなければ視聴者の満足が得られない。深掘りできない時は、ゲストのコメント力でエンタテインメント番組に仕上げて視聴率を上げる。
いけばなも、だんだんそのように変化してきた。YouTubeその他で制作動画を上げて、料理番組と同じような段取りで事を運ぶ。喋りも上手な、羨ましい人が大勢いる。
だから、各流派の家元も大変だ。奥の院で鷹揚として座ったり寝たりしていられない。常に前線に立って人一倍動き、誰よりも喋っている。私は、頭の中では口数が多い自信はあるが、人前では構えてしまい、硬くなったり長くなったりするのだ。鼻歌を歌うように、言葉が自然体で出る秘訣はないものか。
二刀流 251212
2025/12/13
プロは1つの物事に腰を据えて取り組むことが、かつての日本社会では期待されていた。他のことに手を出すと、残念だと言われたり不謹慎だとまで言われた。野球界に大谷翔平くんが現れて、頑固な日本人もやっと一芸は多芸に通じることを再認識しただろう。
さて、どんなプロにも、その実力にはピークがある。だから、1つの物事の狭い了見だけで勝負すれば、ピークを過ぎたらお仕舞いだ。だから私も、2つ以上のエンジンを担いで乗り切りたい。1つのピークが過ぎても、別のピークがやってきて、まだ次のピークが控えているという具合。
思うのは、兼業農家の知人たちの力強さである。会社勤めをしている間は分からなかったが、彼らは勤め人をしながら週末農家というスタイルを、時には平日の出勤前後に、長いこと私に悟られずにやりくりしていたことである。いきなり今日から農家です、というわけにはいかないことが、私もささやかに庭仕事をして分かる。
二刀流は、実力の問題というよりはセンスの問題である。二刀流をやる人は自らそれを苦にしないが、やらない人はやる前から苦にしている。
プロとアマ 251211
2025/12/12
特にスポーツ界では、プロとして活躍できる期間が短い。しかし、ホームランを打ったり、ノーヒットノーランを達成したりすると、そのインパクトは自他ともに大きく記憶に残る。活動記録としては、短い時間軸の上に大きな波形が記される。
いけばな界では、プロとして立つ人が少ないだけでなく、立ったとしても、一握りの人を除いて年齢を重ねてからのことになる。だから、プロとして活躍できる期間はやはり短い。
ただ、スポーツ界では、プロを退くとき「ハイ、今日の試合をもって引退します」というようにスパッと終わりを迎えるが、いけばな教授の場合は、人知れずいつの間にか引退しているケースが多い。野球のホームランやノーヒットノーランのようなインパクトは望むべくもなく、活動記録としては、短い時間軸の上に小さな波形が記される。
教室を開いて生徒をとる業態は、現代に生業として成り立たせることは難しい。施設や店舗の装飾や冠婚葬祭での案件を請け負う機会も、コロナ禍を境に一気に減少した。この隙に、そういう場でアマチュアがプロと肩を並べて活躍できる可能性は大きい。
プロ意識 251210
2025/12/11
プロフェッショナルとは、専門的な技能を駆使して報酬を得る人のことだ。改めて考え直してみて、報酬を得るためには必ず責任が伴うということが、プロフェッショナルの最低条件かもしれないと思った。
いけばな教室を運営していると、何より花材調達の安定性を確保しなければならない。私は、性格の異なる主な仕入先を2つと、イレギュラーな仕入れ先として個性的な4つの花店を自分の中で定めている。そして今季初めて、自分で枝を切って準備できる山林と葡萄畑を確保した。
ただし、仕入先の安定的確保というのは、プロの仕事としては必要条件だが十分ではない。仕入れができるから、最高の仕事ができるとは限らない。いい花が、いいいけばなになるとは限らない、という見解を勅使河原蒼風が述べていた。
これまでお会いしたプロで私の心に残っているのは、三木清、赤瀬川原平、松岡正剛、高橋宣之の各氏。そして、このほど葉山有樹氏が加わった。共通するのは、オリジナリティへのこだわりと、表現に対する妥協のない徹底である。私は未だ、このギリギリ限界まで、攻め切ることができない。
自然の枝、栽培の枝(2) 251209
2025/12/9
元同僚が、葡萄の専業農家を継いでいる。栽培品種はシャインマスカットとピオーネ、そしてブラックビートだ。圃場は広く、品種ごとに区分けされている。収穫をゴールとして、1年前から畑の手入れは始まり、肥料や農薬の散布など、休みなく作業は続くようだ。
そして、来年の収穫までの作業がしやすいように、樹形と枝の配置を整えるための剪定が12月から行われる。私もそれに参加させてもらった。整列した木のそれぞれの枝は、幅2メートル長さ8メートルくらいに整える。前年に伸びた部分を、2個の芽を残して切る。その一部を、先に私が失敬して持ち帰るわけだ。残った枝は、燃やして灰にされ畑に戻る。
わかったことは、シャインマスカットの枝は素直で行儀が良く、いけばなの花材には向かない。ピオーネは、わずかに個性がある。ブラックビートは、とても個性的で力強い。私は、ブラックビートの枝だけを切って回った。
要は、自然界の枝だろうが圃場の枝だろうが、暴れる品種は暴れるということだ。森の木々も、全部がぜんぶ行儀が悪いわけではなく、個性が薄くて欲しくもない木は多い。