道場という場 250615
2025/6/15
剣道の道場は、空気がキンと引き締まっている。柔道や空手にも道場があって、なぜ華道には道場がないのだろうか。茶道には道場がないかわりに、茶室と呼ばれる一定の基準というか室礼というものを備えた空間がある。道場や茶室には、必要最低限の設えがあると同時に、不用なものは徹底排除している。わざわざ用意され、完璧に制御された空間だ。
おそらく、道場の中では1人の人間の命の長さは、大した問題ではない。天から眺めれば、1年も10年も50年も大した差ではない。だから年齢もキャリアも関係なく、志と技を研ぎ澄ませた者だけがその空間の支配者になり得る。
だからといって、しかめっ面で緊張ばかりしていては心も体も動かない。ピアノを正確に弾くだけではなく、弾きこなす域に達してこそピアニストになれる。一定のところまで技術も気持ちも磨くと、自由に自然体で物事に取り組めるようになる。
いけばなの最後のステージもこうだ。長年やって身に付いた作為的な態度や癖の分厚い垢を、なんとか擦り落として自由になりたい。長くやった分だけ、引き剝がすのは大変な作業だが。
山の郵便配達 250614
2025/6/14
フォ・ジェンチィ監督の映画『山の郵便配達』、そしてケビン・コスナーの映画『ポストマン』。どちらの題名も郵便配達だが、テーマに共通性はない。また、前者を静とすれば後者は動で、性格もまるで異なる。類似を無理矢理見つけようとすれば、郵便配達の務めを受け継ごうとする若者が登場することだ。
フォ・ジェンチィ監督には、10年以上前に来県した時に会った。静かに感動したことを静かに伝えたかったが、通訳はうまく表現してくれただろうか。今日、『ポストマン』を再び観た。
どちらの映画でも郵便配達の務めは厳しく、常識的にはその働きに見合った報酬は得られない。普通に愛媛県の郵便配達を考えてもわかる。雪の降りしきる山あいの寒村に、黒い空が降りてきた山道をたった1人で向かう心細さ。数十円の切手代で、それは完遂される。
仕事の満足は報酬額によっても得られるし、使命感の達成によっても得られる。資本主義下では必然的に搾取が起こる。それで公共性の高い事業は国家事業とされてきた。郵便事業が民営化された代わりに、森林保全と活用を国家的事業にしてはどうか。
本末転倒 250613
2025/6/13
目的と手段が入れ替わるというのは、油断した暮らし方をしていると、ちょくちょく起こる。油断とは関係なく、初めから目的と手段の関係が自分でもよくわかっていないこともある。
私がいけばなを始めたときは、いけばなをしたかったというよりも、いけばなを通して「ちょっとひねった表現」がしたかった。その時には、ひねった表現が目的で、いけばなを手段に置いていたフシがある。さて、今は何のためにいけばなをしているのか、すぐに答えなさいと言われたら困る。何のために生きているのかと聞かれるくらい難しい。社会性とか他人の目が気になって、答え方を難しく考えてしまう。人間は他の動植物に比べて、とても難しく生きているのだった。
雨上がりの庭はとても緑が濃い。特に紫陽花と野バラが育ち過ぎるくらい育って、隣で弱々しく何とか生き残っている椿や桃に覆いかぶさっている。生命力はシンプルだ。
世の中には、美味しいものを食べるために生きている人もいれば、生きるために何とか食い繋いでいる人もいる。決め付けはできないが、目的と手段が入れ替わると人生の景色も変わる。
言うか言わないか 250612
2025/6/12
ヨガのスタジオをやっている方と話をした。決めてあるレッスン時間内で、生徒さんにどこまでのことを言うか、これは、相手の個性やキャリアや状態を見極めて言えたなら、相手も自分も満足度の高いコミュニケーションになるという内容。
本当に伝えたいことは、必ずしも相手が理解しやすい事柄だとは限らない。しかし、中学で教える内容を、小学生に教えようとしても難しいことは誰にでもわかるが、みんなが大人の場合に、相手によって伝える内容を変えるというのは、教える側に相当高いスキルが必要とされる。しかも、本当に伝えたいことが明白だという状態でなければ、相手に話せる環境に置かれても、ムダ話で終わったり、他人の言葉を受け売りしたり、質の低い冗談で笑わせて胡麻化すことしかできない。
だから、相手のレベルに合わせて、言いたいこと伝えたいことを瞬時に引き出せる才能というのは素晴らしい。
「道」の付く日本の伝統文化には、饒舌より無口が美徳という風潮が強かったし、基本的には一子相伝の秘技秘策で「言わぬが花なり」ということで、言わないことが美徳であった。
花の流通現場 250611
2025/6/12
花市場ではなく、産直市の話だ。出荷者の1人と言葉を交わした。片道2時間かけて山の現場へ行き、枝を切って、また2時間かけて町に戻ってくると言う。
ここからは私の計算だ。売価500円のアセビを40本分切り出したとする。全部売れると売上2万円。切り出す時間が1時間として、出荷前に長さを整えたり虫や枯枝を取り除くなどの下処理を行い、価格シールを貼ったセロファンを巻き、再び軽トラに積んで産直市に持ち込み、所定の売り場に並べるのに3時間。2万円を売り上げるのに合計8時間だ。苗木の仕入れ、山の手入れやガソリン代などの経費を引いた粗利は1日5千円くらいで、時給625円だ。
つまり、この仕事だけで生きることは難しい。切り出す本数を倍の80本分にすればいいのかもしれないが、軽トラの積載量には限界もあるし、それだけの量が毎日売れるという期待もできない。
廃業されたら困る。私が枝もの花材を入手し続けられるためには、その枝を買う人がもっと増えるか、いま買っている人がもっと金を払うか、いずれにせよ出荷者の収入が増えることが鍵になってくる。