いけばな展でのダンディー 240531
2024/6/3
いけばな展の空間は、生活や仕事の場ではない。展覧会は「静」エンターテインメントの場である。「動」エンターテインメントがTDLなどの体験型テーマパークだとすれば、ボクシングや野球などスポーツ観戦やコンサートなどが中間的な「動寄り」エンターテインメント、映画や演劇などが中間的な「静寄り」と言えるだろう。
これまで、こういうことについて自覚が足りなかった。エンターテインメントである以上は、いけばな展も観客にサービスしなければならない。特に入場料を頂く場合には、視覚的悦楽を提供する義務がある。いけばな展とはそういう空間なのだ。
「空間にふさわしいいけばなをいける」この大テーマに即したとき、本来であれば、会場全体のトータルなコンセプトが問題にされなくてはならない。そして、コンセプトに従ったうえで、作品個々のオリジナリティが大事である。
個々の個性が際立ったバリエーションを感じさせながら、全体としての主張を支え合っているといういけばな展。逆に見れば、統一感の中で、それぞれがちゃんと自己主張している展覧会。これがダンディーだ。
ダンディーないけばな 240530
2024/6/2
気取らないで気取るというのは、やり過ぎても足りなくても野暮になる。見せつけ過ぎず抑制されたいけばなが理想だ。
人間で言うと、高級スーツに高価な靴、高価な腕時計に香水をまとった紳士が『007』の古いシリーズのショーン・コネリーだったらいいが、最近作のダニエル・クレイグには取って付けた感じがしてむず痒い。
同じような感覚で、私が高価な花器に高価な花材をいけると、むず痒い作品になってしまうことは明らかだ。花器も作品の一部なので、いけばな展で私が見てしまうのは花器と花材と全体のバランスだ。絵は下手なのに額縁だけ立派、みたいにならないよう気を付けたい。気を付けるのは、上品さと言い換えてもいい。これは、作品の荒々しさを否定するものではない。意図した荒々しさにブレーキをかけるような花器はバランスが悪く、荒々しさを強調するような花器を取り合わせるのは理知的で上品だと思う。
ダンディーないけばながあるとすれば、それはいけばなによって空間全体の調和が取れ、かつ華やかさや静謐さやなごやかさなど、そこで過ごす人の心情とマッチすることだ。
ダンディー 240529
2024/6/2
1980年頃だろうか。学生が学生運動やヒッピーなどの文化にくるりと背を向けて、シティボーイやダンディーを意識し始めたのは。
その頃の私の本棚(酒屋の店先から盗んできた瓶ビールのケース)の一角には、吉行淳之介や筒井康隆の文庫本に混じって、『ルパン三世』(モンキー・パンチ)や『ゴルゴ13』(さいとう・たかを)なども並んでいたような気がする。学生時代の4年間、ベッドもビールケースだった。
ビールケースを盗んできては、自室のあらゆる家具として使うことには、一種の気取りがあった。金がない学生を気取っていた。アルバイトに明け暮れていたから、生活費がないわけではなかったが、レコードと本を買い、映画と演劇を見て明け方まで酒を飲むことに金は使った。そのかわり、食事は3合飯にマーガリンと胡麻塩をかけて食べていたのは、気取り以外の何ものでもない。
あれから40年も経ったのに、今でも気取って生きている。気取っていないように見せかけて気取っている。私が表現したいいけばなも、気取らないことを気取るダンディーないけばな、そうなんだ、そう思う。
進歩 240528
2024/6/2
技術の進歩によって、生活の利便性がどんどん高まって現在がある。便利な機器や道具を敢えて活用しないなんてナンセンスだという見方が当然ある。
また、技術が進歩したと感じられやすいものは、衣食住など人間生活に最も深く関わっているジャンルである。全国民が毎日のようにトライ&エラーを繰り返すから、改善と進歩のスピードがますます速くなる。
しかし、利便性という楽な道を選ぶことは、とりもなおさず高速進歩の道を選ぶことでもある。便利さを享受するためには、右へ行ったり左へ寄ったりせず、その川の本流に逆らわないことだ。どっぷりと浸かって流されている限り、溺れることもない。偏屈な私は、川の流れにしろ海の潮流にしろ、それに逆らうかのように自分の力で漕ぐことに満足を見出すタイプなので、時に溺れかけたり思わぬ方へ流されたりする。
スローライフの象徴的なたしなみだと思ってきたいけばなでも、近頃は物流の進歩によって遠い国から花がやってくる。いけることを大切にしたいのだが、それを撮影してSNSに投稿することに労力を使う自分が、ちょっぴり悲しい。
もう一押し 240527
2024/6/1
若い頃は徹夜も大好きだった。30歳代は、まだ半徹夜を連続でこなすことができた。明日の仕事に差し支えるというような不安はなく、納期を守るというよりも、もっと完成度の高い成果を実現することに妥協したくなかった。クライアントのためというより、クライアントをダシにして自分が描きたいゴールを完成させたかった。
しかし、実力・実績ともに足りないし、金力や人脈もないから、やれることといえば無我夢中で勉強するか、あらゆる会合や飲み会に出掛けてアピールするしかなかった。
いま、まだまだ自己犠牲の境地には至らないけれど、自分だけがよりよく生きたい狭い視点から、自分が生きやすい環境を整えたいという広い視野でゴールイメージをを描けるようになった。いけばなについても、自分が自分のいけばなをすることと同じくらいの気持ちで、高校生が華道部の活動に対してやる気を出せる環境をつくりたいということを考えている。
この態度が生まれたのは、ひとつには気力と体力の衰えがある。もう一押しの頑張りが利かないために、自分のもう一押しを他人に委ねたいのであった。