小松シェフの仕入れ 240924
2024/9/24
明石でレストランを営む小松シェフ。彼がパリ近郊のオーベルジュを閉めて帰国し、日本のオーベルジュのシェフに就いて落ち着いた頃、彼の仕入れを見させてもらった。
「小松だけどさ、3キロ持ってきて」と、材料を指定せず漁師さんや農家さんに何本かの電話をかける。このやり方は生産者を困らせるはずで、案の定うまくいかない相手も多かった。しかし、時間と共に小松シェフの人となりや考え方がわかってくると、納品に工夫や挑戦が表れてきた。
「今日はホタルイカだけ持ってきた(笑)」とか「今日の野菜はウチの七草(旬のもの7種類)」というふうに、その土地のその日の最高の食材が手に入るようになったのだ。届いた物を見てディナーコースと翌朝食のメニューを決めるシェフに対して、面白がらせたり困らせたりして、生産者も遊ぶのだという。
メニューを決めてから必要食材を仕入れるのは簡単だ。食材を見てメニューを決めるのを、苦しいと感じるか楽しいと感じるか。いけばなも、その日その時の花材を見て、その時の気分やインスピレーションでいけられるようになるのは目標である。
仕入れと手入れ 240923
2024/9/23
表面が青々とした竹もあれば、白く埃った部分や黒い斑点がこびりついた竹もある。いけばなや建築で使われる青竹は“育ちの良い”ものを選んで切り出しているのであって、もとから汚れた竹は使い物にならないのだろうと思ってきた。
竹林に入って、自分でも数本の竹を切ったことが何度もある。もちろん、つやつやした竹を手に入れたくて目を凝らすのだが、実際にはなかなか綺麗な竹に出会えない。綺麗だと思って切っても、上の方に茶色くなった部分があったりして、希望に沿う完璧な竹は見つからない。だから、歳も取ったし、最近は竹屋さんに頼むことが多い。
かといって、価格交渉で安く抑えようとするから、竹屋さんも必要以上の仕事はしないのか、ほどほど汚れた竹も混じって納品される(竹屋が努力をしないとか目利きでないということではなく、彼は正しく仕事をしてくれている)。
さて、半月前に「正しい竹の磨き方」を知る機会があり、汚れた竹でも手入れの仕方で美竹になることを知った。金を払って品質の高い竹を買うか、労力を払って品質の良い竹にするかという問題だったのである。
うろうろしたら見えてくる 240922
2024/9/22
山の麓から見上げても、頂上は見えない。途中の森や岩場が視界を遮るからだ。10キロも離れたら、頂上も稜線も見えるというのに。
しかし、とにかく遠ざかればいいというものでもない。富士山を飛行機から見ても、弾丸登山の人たちの国籍や表情までは読み取れない。遠くなればなるほど、人間の五感で感じ取れる境界の外へ出てしまう。
つまり、物事は矛盾に満ちている。山の全体像が見えるということが、「わかった!」という安直な達成感になってしまうと、もう探究心も想像力も失くしてしまう。「知らなかったら良かったのに」ということも、世の中にはたくさんある。謎がない世界、裏がない世界ほど退屈なものはない。見たいものがすぐ見えるのは、不幸なことでもあるのだ。
いけばなに頂上があるとして、考え方は同じかもしれない。理念的にいえば、いけばなばかりに囚われて、奥義に近付こう近付こうとしていたら、逆にいけばなの頂上は見えなくなる。物質的にいえば、いけばなの全体を見ようと後ろに下がったり、花のおしべの1本を見ようと近付いたり、うろうろするのが正しい見方だ。
残像 240921
2024/9/22
花火の残像が頭から薄らぐ頃に、秋が来る。記憶の種類によっては、それを体験したときと変わらぬ生々しさがあるし、肌感覚が消え視力低下によって瞬く星が見えなくなってしまう間際のようにかすかなものもある。
記憶に残る出来事は、1つの出来事に対して前後の出来事があったり、いつ誰と体験したことかというような、関連する複数の体験群から成っているものが多い。2つの点を結ぶと線になり、3つの点で囲むと面になり、複数の点を結んで立体化したとき、記憶は劣化しにくくなるのだろう。
いけばなの作品を構想するとき、無から始めることが私にはできない。どうしても過去に見たいけばなや、絵画や彫刻や、映画や演劇や、演奏会や旅行や、食べたものや飲んだものなどあらゆる残像を集めて大鍋に入れ、かき混ぜながらアクを取り除き、だんだんイメージが固まってくる。
結局のところ、創造は残像の寄せ集めだったり、残像たちを使った料理だったりするようなものだ。そうすると、残像という材料の良し悪しが作品の良し悪しに影響するから、日頃からモノをよく見ておくことが大事である。
写生的 240920
2024/9/20
正岡子規についての知識も俳句についても明るくないし、彼の写生説というものがずっとよく分からなかった。
創作は個性の表現行為であるという常識とされる立場に反して、かつてエリオットが、芸術の発達は不断の自己犠牲であり、不断の個性の消滅であるという感情移入を避けた没個性説を唱えた。たまたまこの記述に出会って、「それ、子規の写生説?」と閃いた。
17文字の制約を設けたことで、俳句は「私は」や「私が」という主語の自己主張から自由になれた。私たちのいけばなには制約がないことで、作品の規模は大きくなり、個人の作業ではまかなえなくなった。花を主役の座から引きずり下ろし、自分が主役の座に君臨した。俳句の主役は、そこに言葉で写生された花やカエルや暗示された状況である。
いま、私は迷いに迷っていて、主観的につくり込んだいけばなをいけようとしてみたり、一歩引いて自分の気配を消したいけばなの方が“華道的”には品格がありそうだと思ったりしている。意思の力を消し続けるという意思の強さを要求するというところが、没個性説の逆説的で面白いところだ。