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いけばな随想
diary

パウル・クレー様(1) 200701

2020/7/1

 私は学生時代に美術部や演劇サークルに所属して、絵が好きだった。
 いけばなを始めてしばらくのこと、パウル・クレーの次の言葉で私はいけばなに親和感を覚え、継続するモチベーションを得た。
 自然に近づき、自然に学び、自然をさかのぼり、自然に抱かれ、そして自然と訣別することによって、自分自身の自然を展開できる。

Why と How 200602

2020/6/2

 どのように「いけばな」をするかという方法論の問いは、何のために「いけばな」をするかという目的についての問いの後に付属する。
 では、何のためにしているかというと、意地でしかないと思うこともあれば、何かが発見できそうな予感がすることもあるが、何となく続いてきたというのが本当のところで、あまり強くWhyを意識すると、生きていることもしんどくなる。
 だからと言って、あまりHowにこだわるのもしんどい。

象徴するいけばな 200601

2020/6/1

 いけばなは自然を模倣するものではない。自然を象徴するものだと思っている。
 野にある花の姿や周辺の様子を「野にあるように」いけるのではなく、野にあった花の姿や様子、あるいは全植物のありよう、そして、野にあるすべてのもの、大げさに言うと地球の未来も、いけばなを見たすべての人がそれぞれの感受性で想起できるように、「(花が主語ではなく、私自身が私の描く世界としての)野にあるように」いけられるようになるのが目標だ。

意識と手(2) 200509

2020/5/9

 手がうまくなることが「上手」になることなので、やはり「上手」は目指さなくてはいけないけれど、やっぱり私はアタマでっかちが拭えないんだなあ。特化×異化で、どこかユニークさを求めてしまうのだった。

意識と手(1) 200508

2020/5/8

 いつも何かを考えている。それが行動に表れる。いつも意識していることが、いけばなにも表れるはずだ。
 ところが、大抵、思うようないけばなにならないのは、手の技術が意識に追い付いていないことが原因だ。いつも意識を優先し過ぎなので、ひとまず目の前の花から始めよう。

講師の事