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いけばな随想
diary

「いけばな」をプロセスで魅せられるか 200504

2020/5/4

 街なかで芸を見せる大道芸人や、祭りの日の芝居小屋の見世物は凄かった!
 延々と準備を見せたり、呼び込みの口上が面白くてかぶりつく。で、投げ銭したり前金の入場料を払う。
 ところが、どっちもゴールを見せることなく終わるんだな! しかも、客の誰も不満を漏らさない。

「いけばな」の作為 200503

2020/5/3

 ずっと前のこと。さくらももこの「踊るポンポコリン」の歌詞が話題になっていた。……エジソンはえらい人……キヨスクは駅のなか。
 作為がないから、破綻もないんだよねーと、作曲の織田哲郎さんが言っていた。

「いけばな」と「はないけ」 200501

2020/5/1

 いけばなの教室でシェアしたいのは、いけばなの技術もあるけれど、「はな」を「いける」行為のむこう側に見える景色とこちら側に持っているマインド。
 いけばなで右脳が活性化される……などと言っていた頃もあって、それは嘘ではない。なぜ活性化するのかというと、その空間に右脳を刺激する人がいたから。
 いけばなは「はな」とのコミュニケーションである以上に、「はないけびと」同士のコミュニケーションが面白い。いつも静かにエキサイトさせてくれる。
 ひとりでいけるのは、ちょっと寂しい。

「いけばな」は消費する文化 200401

2020/4/1

 服を買う消費。服が残る。
 肉を買う消費。肉は残らないが、腹に入って体をつくる。
 花を買う消費。花は残らないし、作品も枯れるし、写真しか残らない。
 写真以外に何が残るのか見つけられた人はまた花を買うし、その花と時間を消費して何かを得た気分になるが、何を得られたか明言できる人は多くない。
 消費のしかたに文化は表れるもので、生産の現場では文化が嫌われ者の役を演じることがままある。

講師の事