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いけばな随想
diary

好み 240327

2024/3/28

 自分が好きな物事を、他人に「いいね」と言ってもらうことは快感だ。そのために投稿をやめられない人が増えるし、コレクションで散財する人も増える。
 私は徹底が足りないことが幸いして、家を失うほどには散財していないが、それでもコレクターの末席にいる自覚がある。
 最もハマったのはLPレコードの蒐集。高校生のとき、ラジオの「オールナイトニッポン」で流れる曲を聴いて、貯めた小遣いを握ってレコード屋に走った。最初に買ったLPは、クイーンの『クイーンⅡ』、次がピンクフロイドの『炎』。日本の歌謡曲なんてカッコ悪い! という気持ちだった。日本版の洋楽ロックの購入から、次第に、友人の持っていないバンドのアルバムを買うのが、とんがってカッコいいと思うようになり、“輸入盤”専門店へ出入りするようになった。バカだね。
 LPは、聴けば聴くほどレコード盤の溝が擦り減る。だから、最も好きな部類のレコードは、保管用にもう1枚買う。その中でも最高に好きなアルバムは、CDも買う。大バカだね。
 今は、もうLPもCDも買わないが、なぜかどんどん花器が増えていく。

人形 240326

2024/3/28

 かつて広島に、瀬戸内海汽船直営の星ビルという特殊な施設があって、ヨーロッパのアンティークドールやアンティークオルゴールを展示販売していた。その価格、数百万円から数千万円がずらりと勢ぞろいしていた。
 フランス人形たちの並ぶフロアに、四谷シモンの等身大くらいの人形が何体かあって、私はそれに釘付けになった。彼の人形は、ハンス・ベルメールの球体関節人形の影響を受けているという。その後、新宿か池袋で開催された四谷シモンの人形展に行き、ご本人からサインをもらっている。
 タイプは異なるが、球体関節人形の作家・清水真理さんとお会いする機会を得て、ご本人から舞奈という名の人形を購入した。人形は、人によって好みが分かれることは承知しているし、嫌いな人もいらっしゃるが、舞奈は、いけばな教室の天井に近い高みに座らせている。
 いけばなも、好みは分かれるものである。私は草月の家元の作品が基本的に好きだから、入門しても迷いがなかった。だからといって、すべての作品が好きなわけではない。好みの作品は増えるけれども、好みの範囲はあまり広くならない。

ドクダミ 240325

2024/3/28

 庭のあちこちにドクダミの芽が顔を出し始めた。彼らは地下茎を張り巡らせて、冬をひっそり暮らしていた。一昨年、かなりの地下茎を掘り返して捨てたのに、昨年も繁茂した。昨年もかなり掘り返したので今年はどうだろうと思っていたが、彼らの元気は衰え知らずだ。
 ドクダミの地下茎は、植栽している椿や桃などの根と絡み合っていて、ドクダミだけを枯らすことができない。その結果、庭木の下草がドクダミだらけになるのだけれど、夏季に咲く可憐な白い花を見るたびに、やはり引き抜かずにいようかと迷っていた。
 それからもう1つ。このところ、我が家の庭やベランダが、近所の飼い猫(保護猫)や野良猫たちの遊園地と化している。ネットで調べると、ドクダミには猫に害を与えず忌避させる効果があるかもしれないので、やはり引き抜かずにいようかとも考える。
 さて、子供の頃、私が脛に傷を負ったり火傷をしたりしたとき、祖父が黙ってドクダミの葉を幾層にも重ね固めて七輪で焼いたものを患部に当てて治してくれた。やはり引き抜かずにいようかと心が決まる。
 あとは、花材に使うかどうかだ。

椿 240324

2024/3/26

 東温市、今治市と西条市の境界に、東三方ヶ森がある。その山を登る中腹に、シャクナゲが群生した素敵な林がある。
「シャクナゲ=素敵」という感覚を持つ理由は、私が小中学生の頃、父がよく登山に連れ出してくれたことに起因する。バスで登山口の近くまで行き、高縄山や福見山などに登っていた。そのときシャクナゲに出会うと、「これがシャクナゲだ」と、他の木のことは何も言わないのに、父はシャクナゲにだけこだわっていたように思う。
 母は母で、俳画をよくしていたのだが、ワレモコウがとても好きだった。母にとって、ワレモコウと自分の母(私の祖母)とが、なぜか緊密な関係にあったようでもある。
 私は、椿が気になる。好きというほどではない。いけばな教室の庭にも、赤と白1本ずつ椿がある。松山市のシンボルの木が椿であり、草月の初代家元が心を寄せたのも椿だったと聞くからだ。また、かつて東三方ヶ森に一緒に登った友人が、自分が植林した椿の間伐材で椅子を作っていた。彼は、“波動法”処理水を散布して、その椿の林を育てていた。
 花木と人との間のエピソードは尽きない。

辺境四国 240323

2024/3/26

 境界はどこにでもある。最も明確なのは地図上の境界。しかし、現地に行くとどこにも境界線が描かれていないから、本当は境界はないのかもしれない。
 ずっと以前、私が愛媛県の端っこに憧れをもって走り回っていた頃のこと。銅山川沿いの道で、私は急ブレーキを踏んだ。10数m先の1.5mくらいの高さの擁壁の上の茂みから、得体の知れない大きな塊が飛び降りてきたのだ。その場所は木々が生い茂った正真正銘の茂みである。すぐにその物体が人間であることはわかったものの、想定外の出来事に呆然としてしまった。
 彼は両肩から“どうらん”を下げ、大きなリュックを背負い、いわゆる探検隊員の恰好だった。恐る恐る声を掛けると、奈良県の大和生物という会社の社長で、役所から受託して、1ヶ月はテント暮らしをしながら四国山地の奥深く入り込み、動物の生息状況を調査しているのだという。私のことは気もそぞろに、路上の糞が気がかりなようで、彼は不意にその糞に人指し指を立て、「ううん、まだ新しい。ハクビシンです!」と、嬉しそうな顔をするのだった。
 四国は素敵な辺境だ(喜)。

講師の事