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いけばな随想
diary

善行 240105

2024/1/5

 好きなことをしている人を見て、羨ましかったり、疎ましかったりした。どんな物事でも、程度というのは相対的で、私も相当好きなことばかりしてきたくせに、真似できないくらい好きなことをしている人が妬ましい。
 専門学校で教えている頃、私は自分を好きなことばかりやってきた人間だと自己紹介した。だから、君たちも好きなことをすればいいという気持ちが大きかった。しかし、それを徹底すると、社会悪をやってしまうことにもなりかねないと、気弱に補足するのだった。
 自分の好きなことをすることが、社会善と一致する場合は幸せである。
 私がいけばなをしていることは、果たして善行だろうか、それとも身勝手な悪行だろうか。もちろん、好きなことをやっている自分としては、悪行であってもやめられない。それなら、受け入れられないまでも、人に許される行為である方が望ましい。最も身近な妻にとっては、ギリギリ許せる範囲かもしれないし、高校の華道部の生徒たちにとっては、別の落ち着いた先生の方が良かったかもしれない。
 しかし、まあ、嫌いなことで悪行になるよりはいいか。

出会い 240104

2024/1/5

 経営資源は次の4つだと、そのむかし教えられた。ヒト、モノ、カネ、情報。
 1月2日に高校3年の同窓会があった。日頃から懇意にしている奴、同じクラスだった顔なじみ、久しぶりに会った女子……。
 特に二次会では、在学中ほとんど話したことがなかったT君や、やはりほとんど話したことがなかったM君とも45年以上ぶりに話をした。Tは寺の住職で、Mは経営コンサルタント上がりのドクター(大学教授)。どちらも、人に話をする仕事なのに、片方は無償の仕事の範囲が広く、片方は無償で抱える部分がほとんどないという印象を持った。住職だけでなく、日本に昔からある仕事は有償・無償の境界があいまいで、欧米由来の仕事は境界が明確なのではないだろうか。日本的ムラ社会では、コトに当たるとき共同で作業に従事してきた。それができない者は村八分にされた。
 それはそうと、改めて、人生において大切なのはヒトだと思う。しかも、「出会い」は求めて得られるものでもない。私は、いけばなをしていて、幅広い世代の幅広い属性の人と出会えている。それもあってか、やめられない。

心力 240103

2024/1/4

 体力という力があるように、心力もありそうだ。そう思って国語辞典を引くと、あったあった、心力(しんりょく)=心の力。
 何が気になったかといえば、これまで体力測定は幾度もやったことがあるのに、心力測定を一度もやったことがないと思い当たったこと。それから、体力と対をなす語は精神力だと思い込んできたけれど、体の反対語は精神ではなくて心ではないかと改めて思ったこと。これも調べるとその通りだった。
 それにしても、体力という力を、速さや高さ、重さなどに置き換えて測定はしているが、その足し算が本当にその人の総合体力なのだろうか。ましてや、心力の測定方法は見つかっていない(と思う)。
 だから、徹底して測定されてきた学力と、少しはわかったような体力とを無理矢理合計したところで、まるでわかっていない心力を無視している以上、人の全能力など誰にもわからない。
 華道は、その最もわからない心力を鍛えるものではなかろうか。ただし、残念かもしれないけれど、どれだけ修得できたかということについては測定不能であるからこそ、なかなか免許皆伝には至らない。

目の前のボール 240102

2024/1/4

 私は30歳でゴルフを始めて34歳でやめた。去年、友人から使わなくなったセットを譲り受け、打ちっ放しの練習場へ行った。1時間で160球も打って、まともに前に飛んだのは10球くらい。練習場を出るとき、160球も打ったらそれは打ち過ぎだと、自分の体が訴えていた。
 頭ではわかっている。動作が雑だ! 目の前の玉に集中せず、打つ瞬間にはもう、玉よりも先に意識だけが着地点に飛んでいた。まだまだ目の前の玉に集中できない私が、遠い展望に気持ちを飛ばし過ぎるから、ゴルフクラブは空を切るだけで、玉は微動だにせずそこに残ってしまうのだった。
 いけばなでも、最終的なイメージばかりを追っていると、目の前の小さな作業がおろそかになる。一方で、「仕事は、前と後が大事」という、万全な準備と綺麗な片付けができない者は目の前のちゃんとした仕事すらできんぞという戒めもある。
 私は夢日記をつけているくらい夢見るのは得意だから、今日からは、夢をティーショットのティーの上に乗せるくらい地面(現実・日常)に近い高さに置いて、確実に真芯を捉える振り方を心掛けよう。

生長変化 240101

2024/1/3

 変化することこそが、生きている証だと思う。ただ、その変化の大小については検討したことがなかった。
『ウサギとカメ』では、ウサギは変化が大きく(スピードが速く)、カメは変化が小さい(遅い)。その能力を過信して怠けるウサギに対して、休まず堅実に歩み続けるカメが勝つ。
 カメは万年の寿命があるから目的地に到達するかもしれないが、私の余命は数年か十数年だから、そうゆっくりもしていられない。私の身体的な変化は、月日と共に微妙に継続的に成長した後、感覚的には27歳をピークに衰退曲線を描き、40代の大病を機に急降下している。 
 元気な若者であれば、考え方が180度変わっても体が付いていける。何かを契機にまた180度変わっても、角度は360度回って元の位置だが、蔓草のように、より高みに生長していける。私の歳でそれをやると、目が回って倒れるのがオチだ。
 だから、回転角度にして45度、下降角度15度くらいを私の今年の目標にする。そのベクトルの先には、いけばなを続けられるよう何かで稼ぐという、とてもぼんやりした「坂の下の雲」が浮かんでいる。

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